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コレクション展

2023年度 第2回コレクション展

2023.07.13 thu. - 10.01 sun.

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西洋近代美術作品選

 当館所蔵ないし寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は、3階企画展示室で同時期に開催している「走泥社再考」展に関連し、ジョアン・ミロの作品をご覧いただきます。
 ジョアン・ミロ(1893-1983)は、スペインのバルセロナ出身の画家で、彫刻作品や陶芸作品も手がけました。一般的にはシュルレアリスムのオートマティスムを利用した作風で知られ、具象と抽象のあいだを揺れ動くような象形や自由な描線、鮮やかな色彩による画面構成が特徴的です。またミロと日本の間には様々な繋がりがあり、昨年開催された「ミロ展 日本を夢みて」(愛知県美術館ほか)では、それが包括的かつ詳細に紹介されました。
 『あらゆる試練に耐えて』は、1930年に刊行されたポール・エリュアールのテキストに、ミロが挿画を制作した作品です。テキストは「宇宙孤独」「制作」の二章構成で、そこに52の短詩が含まれています。大恐慌後の不穏な世情や妻との不幸な関係などを背景に、エリュアールの詩には失意や孤独感が表現されていますが、それを慰めるかのように、木版画にフロッタージュやコラージュの技法も駆使したミロの画は温かさとユーモアに満ちています。本詩画集の制作がミロに打診されたのは1948年ですが、80葉の挿画に233枚もの版木を用いたこともあり、完成には10年を要しました。実は本版画制作中の1952年に、ミロのもとを当館初代館長今泉篤男が訪ねており、その制作状況について「ジュネーブで出版するという自刻の木版の刷りをやっていたが、これも桜のような材に日本風の丸のみでやっていた」と報告しています。
 ミロの陶芸作品制作は、1942年にバルセロナで旧友のジョゼップ・リュレンス・イ・アルティガスによる陶芸展を訪れたことに端を発します。陶彫《あるモニュメントのためのプロジェクト》は、中国や日本の陶磁器に深い関心を寄せていたアルティガスそしてその息子とともに手がけた200点以上の陶芸作品の1点です。1951年からミロは《あるモニュメントのためのプロジェクト》と題した作品を散発的に制作していますが、それらは陶に限らず、木や鉄そしてブロンズなどを組み合わせたもので、ごく一部のみ巨大なモニュメントへと発展しました。陶片を積み上げたような本作に見られる頭部は、1945年に原型が制作された《太陽の鳥》と同じですが、1966年にはこの部分だけが大理石およびブロンズで拡大されています。屋外設置を前提としたモニュメントにおいてミロが目指したのは、作品が風景の一部となり自然と一体することでした。
 1966年、ミロは初めて来日します。東京の国立近代美術館と当時その分館であった当館で開催された大規模な『ミロ展』が、そのきっかけでした。ミロはその際、関西にも足をのばし、京都で桂離宮や龍安寺を訪れると同時に当館での「冨田渓仙展」を鑑賞、さらには信楽で信楽焼を見学しています。この関西旅行中、ミロに随行したのが八木一夫でした。


歴程美術協会からパンリアル、そしてパンリアル美術協会へ 山岡良文《シュパンヌンク》1938年

 歴程美術協会(以下、歴程)は、岩橋英遠、田口壮、馬場和夫、船田玉樹、山岡良文、浜口陽三、津田正周、常玉、四宮潤一の9名によって昭和13年(1938)4月に結成されました。「歴程」の名称とシンボルマークのデザインは、日本にシュルレアリスムを広めた瀧口修造によるものです。翌年3月の第1回試作展から京都の山崎隆が参加し、第6回展では山崎が近所に住んでいた陶芸家の八木虚平(八木一夫)を誘って会友とし、八木は歴程最後の展覧会となる第8回展まで参加しました。歴程では、フロッタージュやデカルコマニー、フォトグラムなどの技法を使用した実験的な制作が試みられました。日本画にホルマリンを使用することで、画面を耐水性に硬化させたこともその一例で、この技法はパンリアルへ受け継がれ、多彩な表現を生み出す基礎となりました。戦時統制下における表現の制約などの困難が付きまといましたが、京都と東京に事務所を構えた歴程の全国的な活動は注目を集めました。しかし、昭和18年(1943)に美術新協や明朗美術連盟とともに、日本作家協会へ統合されて終焉を迎えます。
 昭和17年(1942)に召集令状を受けて日本を離れていた山崎隆が昭和21年(1946)に復員し、三上誠と意気投合したことがパンリアル結成のきっかけとなりました。当初は歴程を再興しようとしていたこともあり、分野の制限がなかった歴程展を継承して分野横断的な会の発足を目指しました。昭和23年(1948)、日本画の三上誠、山崎隆、星野眞吾、不動茂弥、田中進(田中竜児)、洋画を描いていた青山政吉、陶芸の八木一夫、鈴木治の8名でパンリアルを結成しました。「パンリアル」で「リアルなものすべて」という意味であり、「(具象抽象関係なく)あるがままに気持ちを表現するものすべてがリアル」と山崎は述べています。京都の丸善画廊でパンリアル展を開催した後、八木と鈴木が脱退して走泥社を結成し、青山も抜けたことで、日本画のグループとしての性格が明確となり、大野秀隆(大野俶嵩)、下村良之介、鈴木吉雄、松井章、小郷良一、佐藤勝彦が新たに加わることでパンリアル美術協会として昭和24年(1949)に再出発することになりました。
 歴程もパンリアルおよびパンリアル美術協会も、日本の因習的な思想を打破し、日本美術に新しい地平を切り開こうとする点は共通していますが、歴程では花鳥風月への意識が残っているのに対し、パンリアル美術協会では花鳥風月に違和感を持っており、伝統的な日本画からの脱却を目指しています。それは歴程の山岡や山崎の作品に屏風作品が多く、パンリアル美術協会の作品は額装を主としていることからも意識の違いが感じられます。これは戦時中と戦後というグループが活動した時代の違いもありますが、パンリアル美術協会は日本画のグループであり、日本画に特化した問題意識を有していたことも関係していると考えられます。


フラジャイル:修復、治癒、再生 竹村京《修復されたプラム柄の皿》2021年 撮影:衣笠名津美

 「FRAGILE(フラジャイル)」——壊れやすい品物を送るときに使用するステッカーなどに見られる、「壊れやすい」という意味の言葉です。美術作品にも取り扱いに注意を要する、物理的に壊れやすい・脆弱な作品があり、あるいは、ある種の脆弱さをテーマとした作品もあります。
 キューバ出身のフェリックス・ゴンザレス=トレスは日用品や言語を素材に、ある決まった形をもたない流動的で可変的な作品を提示することで、一般的に美術作品の価値を保証する、作品の唯一性に対する疑問を投げかけてきました。《“無題”(夢)》は、スナップショット写真を印画紙でなくジグソーパズルにプリントした作品です。「他愛のない夢は消えて」と記された本作では、眠っている間だけ見られる夢の儚さと、バラバラの小さな断片へと還元される写真イメージの儚さが重ね合わせられています。
 物が壊れるという現実を肯定し、そこから新たな作品を制作するのが竹村京です。耐久性のある釜糸を用いた「修復シリーズ」では、食器やおもちゃなど壊れた日用品を白のオーガンジーで包み、器の傷跡をなぞるようにさりげなく刺繍を施しています。
人間もまた「修復」を必要とする場合があります。「治癒」という言葉が当てはまるでしょうか。ピピロッティ・リストの《ヒーリング(癒し)》では、救急箱の側面に取り付けられたモニターに手術中の臓器と赤血球のCG画像を重ねた映像が映し出され、治療を受ける人間の身体が示されます。
 一方、失われゆく技術を後世に伝えるために新たな作品を制作する作家もいます。福本潮子は玄界灘の対馬に伝わる「対馬麻」の古い着物を、力強い藍染めのタピスリーとして再生させています。フィオナ・タンは民族誌学的なアーカイヴ・フィルムを映写=再生させています。か弱き存在である幼子を布に包む様子からは、まさしく壊れやすいものに対する人間の営みの原点を思い起こさせます。


染織の前衛 1960年代の志村光広、中野光雄、麻田脩二、田島征彦 麻田脩二《'68-D》1967年

染織の分野では、1970年代以降になるとファイバー・ワークと称される自由な繊維造形が登場します。しかし、それ以前、他の工芸分野同様に日展が作品発表の中心であり、それ以外では日本工芸会や新匠会などの工芸団体が有力な活動の場でした。ただし、美術界全体を見渡せば、反官展を打ち出した在野の前衛グループが戦後に次々と登場し、アンデパンダン形式の展覧会も盛んに開催されていました。このような中で、京都では、日吉ヶ丘高校美術コース(現・京都市立美術工芸高校)と京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)染織図案専攻の卒業生が、自由な作品発表の場を求めて1958年に染織グループ「ダンダラ」を結成します。このグループは京都書院画廊を会場に作品発表を行いましたが、第3回展に志村光広、中野光雄が参加し、第5回展に麻田脩二が加わりました。第5回展終了後にダンダラは解散し、反公募団体を鮮明にした染織集団∞(無限大)が翌年に結成されます。中野は新匠会への出品を選んだために新団体には加わりませんでしたが、麻田の大学の後輩である田島征彦が参加し、∞は志村、麻田、田島ら5人の集団としてスタートしました。∞は1973年に解散するまで、染めの可能性を追究する新作で展覧会場を埋めるという姿勢を貫きます。そして、志村の写し糊による型染の反復性と色彩の持つ表現力を追究した作品、麻田の幾何学的なフォルムの重なりを色鮮やかに表現したステンシル型染、田島の三度黒による民話に由来する物語性の強い作品など、各自が独自の作風を確立させました。一方で新匠会に出品していた中野は、この時期に単純な形態を用いて、その形態の組み合わせや色彩の配置の工夫で様々な視覚的効果を生み出す作品を制作しています。


戦後の工芸団体―新匠会 稲垣稔次郎《型絵染壁掛「ソング・オブ・グリーン」》1956年

 日本では、1945年の第二次世界大戦の敗戦から今日までを、一般に「戦後」と言っています。戦後まもなく1947年に創立した新匠美術工芸会(後の新匠会、1975年から新匠工芸会)は、富本憲吉が国画会を退会したことから、富本を慕う作家たちが同様に国画会を離れ、新しい工芸の団体を作ったのが始まりでした。染織の稲垣稔次郎や、陶芸の徳力孫三郎、福田力三郎などが参加しており、次に引用する創立文からは、その熱気が伝わってきます。

此際すみやかに旧殻を蝉脱し、新ママしい日本再建に、工藝の課せられたる重大な責務を、独自の立場より自由に、現代生活の上に課すべきが、今後吾々の歩むべき真に正しい方向であると考へ、ここに新らしく発足しやうとして居る。

 1951年には、官展と位置付けられる日展への出品作家が退会したことから、新匠会と改称して再編成されており、これは結果的に会の性格を明確にしたと言えます。陶磁研究者の内藤匡は「新匠会の印象」という文章で、新匠会の出品作を「平常着ふだんぎの友人」に例えました。
 求心力を持っていた富本と稲垣は、1963年に相次いで亡くなりましたが、新匠会は継続します。富本の創作姿勢に惹かれて会に参加し、そこで稲垣の型絵染に魅せられて、それまでの蝋纈染から表現技法を変化させていった伊砂利彦や、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)で稲垣に学び、後に、伊砂も務めていた沖縄県立芸術大学工芸学部教授として制作拠点を移した長尾紀壽など、直接/間接の影響を受けた多くの作家が発表の場としてきました。
 日本の「戦後」という長い期間のなかで、既存の価値観に対して変化を求める切実さは、活動領域や個人の問題意識によって異なるかもしれませんが、自由な創作とその発表の場は常に必要とされているのです。


日本洋画の「前衛」の頃 恩地孝四郎《失題》1913年

 日本の近代美術史は、西洋からほぼ同時代の近代美術を学び取るところから本格始動しました。過去の美術に対峙してそれを乗り越えようとすることが近代美術の基本であるとするなら、そこには常に前衛性があるともいえます。前衛という語は本来、軍隊において最前線を進む部隊を指していますが、日本の近代美術史を顧みるなら、油彩画を最初に試みた者も、印象派を最初に取り込んだ者も、同時代においては最前線を進む前衛の画家だったことでしょう。
 しかし一般には、近代美術における前衛といえば抽象主義や超現実主義を指していると解されます。日本でも、1912(大正元)年に「アンチ・ナチュラリズム」という語でキュビズムの動向が紹介されたのち、未来派や抽象主義を含めた「新興美術」の運動が広がることになりました。そうした中で一つの画期をなしたといえるのが、1920(大正9)年、普門暁(1896-1972)による未来派美術協会の結成でした。以後は美術だけではなく文学や演劇、音楽、建築などさまざまな分野の人々が加わる形で「アクション」、「マヴォ」など新たな集団も結成され、前衛の運動が広がりました。
 それは大正の末年までには一旦、政治運動へ回収されて静まりましたが、1930(昭和5)年、二科会から脱退したフォーヴィズムの画家たちを中心に独立美術協会が結成され、そこに超現実主義風の幻想性を志向する画家たちが合流したことで、あらためて前衛美術が再始動しました。二科会の側には抽象主義の画家たちが集い、その他にも前衛系の画家たちが集まって自由美術家協会を結成したほか、独立美術協会でも超現実主義系の画家たちが脱退して美術文化協会を結成し、こうして賑やかに展開された前衛の運動は、戦時期の弾圧をくぐり抜け、戦後の美術へ繋がったと見ることができます。
 ここでは当館コレクションの中から、大正期と昭和戦前期の前衛傾向の画家たちの作品をご覧いただきます。


特集展示:関東大震災から100年
池田遙邨《大正12年9月関東大震災》の全貌
池田遙邨《大正12年9月関東大震災》1923年

 池田遙邨(1895~1988)は、父の故郷である岡山県で生まれ、明治43年(1910)に大阪へ行き、洋画家の松原三五郎の天彩画塾で学びました。しかし、小野竹喬との出会いにより日本画家へと転向し、大正8年(1919)に竹内栖鳳の竹杖会へ入塾しました。同年の第1回帝展に入選し、帝展や新文展、日展などを中心に活躍し、京都市立絵画専門学校や主宰した画塾「青塔社」において後進の育成に尽力しました。独特のアングルで風景を切り取り、愛らしい姿の動物を登場させる作品のほか、晩年は種田山頭火に私淑し、山頭火の俳句を絵画化した「山頭火シリーズ」に取り組んで、昭和62年(1987)に文化勲章を受章しました。
 遙邨が栖鳳門下となって4年が経った大正12年(1923)9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源とする関東大震災が起こりました。地震の規模はマグニチュード7.9と推定されています。死者・行方不明者は10万人を超え、11万棟近くの家屋が全壊しました。この震災では特に火災による被害が大きく、全焼した建物は21万棟に及び、約10万人の死者・行方不明者のうち約9万人は火災によるものと報告されています。発災日の9月1日は「防災の日」に制定され、この日を含む1週間は防災週間とされています。
 関東大震災が起こってから20日後、遙邨は洋画家の鹿子木孟郎に誘われて被災地へ向かいました。約1か月にわたった取材旅行で描いたスケッチは400点にのぼるとされています。そのうちの約170点は倉敷市立美術館が所蔵していますが、1997年に156点のスケッチが新たに見つかり、翌年に当館へ寄贈されました。その点数の多さから前後期の展示替えとなりますが、本特集では156点すべてを公開いたします。

「これ程一生懸命であったことは後にも先にもなかった」

 これはこれらのスケッチを基にして描かれた《災禍の跡》(倉敷市立美術館蔵)に対する遙邨の言葉です。この作品は震災翌年の第5回帝展に出品され、残念ながら落選しますが、震災による甚大な被害と悲惨さをいまに伝えています。本作の制作過程で、遙邨は批判や嘲笑を受けて孤独な日々も過ごしましたが、そうしたさまざまな経験は遙邨を画家として大きく成長させました。


京都国立近代美術館開館60周年企画
「拝啓、きょうきんび」

 京都国立近代美術館は今年で開館60周年を迎えました。この60年でみなさんと美術館との間にはどのような物語が生まれたでしょうか。現在、当館の歴史をふりかえる企画として、過去の展覧会やイベントでの思い出、心に残った作品や作家にまつわるエピソードを募集しています。これまでに「作品のパワーに圧倒されたのを覚えています」「おじいちゃんの生まれた年と同じ(作品)だったので、より歴史を感じられました」「レストランで食べた、作品をモチーフにしたデザートも忘れられない思い出の一つです」といった投稿などが日々寄せられています。
 コレクション展の当コーナーでは、こうした思い出の中から〈所蔵作品・作家とのつながり〉が記されたものを当館スタッフが選び、実際の作品とともにご紹介していきます。一人の来場者の方と作品とのご縁に思いを馳せながら、美術館でのひとときをお過ごしいただければ幸いです。

 「拝啓、きょうきんび」はどなたでも何度でもご参加いただけます。開館60周年のこの機会に、当館にまつわる思い出を便箋にしたためてみませんか。
詳しくはこちらのページからご覧ください。


会期 2023年7月13日(木)~10月1日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
歴程美術協会からパンリアル、そしてパンリアル美術協会へ
フラジャイル:修復、治癒、再生
染織の前衛 1960年代の志村光広、中野光雄、麻田脩二、田島征彦
戦後の工芸団体―新匠会
日本洋画の「前衛」の頃
特集展示:関東大震災から100年
池田遙邨《大正12年9月関東大震災》の全貌

京都国立近代美術館開館60周年企画
「拝啓、きょうきんび」

常設屋外彫刻

展示リスト 2023年度 第2回コレクション展(計266点)(PDF形式)
2023年度 第2回コレクション展(特集展示)(PDF形式)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館(7月14日と9月29日を除く)
*入館は閉館の30分前まで
*新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。

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夜間割引 夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円

コレクション展無料観覧日 7月15日(土)、9月30日(土)
*都合により変更する場合がございます。

展示リスト 2023年度 第2回コレクション展(計266点)(PDF形式)
2023年度 第2回コレクション展(特集展示)(PDF形式)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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