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コレクション展

2023年度 第3回コレクション展

2023.10.05 thu. - 12.17 sun.

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西洋近代美術作品選 アンリ・マティス《鏡の前の青いドレス》1937年

 当館所蔵ないし寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は、今年日本で約20年ぶりに大規模な回顧展が開催され話題となったアンリ・マティス(1869-1954)の作品を紹介します。
 マティスは、色彩による芸術家の主観や感覚の自由な表現を目指したフォーヴィスム(野獣派)を牽引し、鮮やかな色彩とその対比、簡潔な線による対象把握によって、生涯にわたり数多くの名作を生み出した20世紀美術の巨匠のひとりです。ここで紹介する4点の作品はいずれも、彼が極めて実験的で多作であった1920・30年代に制作されています。
 《エトルタの断崖》は、1920年に数週間滞在した北フランスの海辺の町エトルタで描かれたものです。エトルタは、波浸による断崖や奇岩で知られており、クールベやモネなど多くの画家によって描かれてきました。ここでも、断崖の右端に「象の鼻」と呼ばれる奇岩が描かれています。画面全体は茶色や灰色が主体となっていますが、明暗色が巧みに対比されることで、北フランス特有のほのかな陽の光が表現されています。また、1918年にニースにアトリエを移してからのこの時期のマティスは、比較的小型の人物画や室内情景画を数多く描き、造形各要素間の緊張と相互作用を利用して新たな絵画的統一を模索していました。《シルフィード》もその1点です。室内の構造や壁紙などの設えから、この絵の舞台が彼のニースでの最初のアトリエであることがわかります。そこでバレエ「ラ・シルフィード」の主人公のようにふんわりと拡がる白いスカート姿でポーズをとっているのは、当時マティス作品の多くでモデルを務めていたアンリエット・ダリカレールです。何気ない光景を写し取ったように見えながらも、色彩の配置や構成は綿密に練り上げられており、緊張感をもった画面となっています。
 1930年代になると、マティスの作品は20年代の写実的表現から、画面の装飾性や平面性の強調へと変化します。金髪のロシア女性リディア・デレクトルスカヤがモデルを務めた《鏡の前の青いドレス》でも、ドレスに陰影がわずかに施されているものの、モデルの背後の鏡の描写を含めて、遠近を感じさせる要素はほとんどありません。目に印象的なのは、むしろ素早い筆致で塗られた色面で、それらがリズミカルに配されることで画面の調和的装飾効果が高められています。より写実的な素描作品《ブルガリアンブラウス》でも、ここで重きがおかれているのは線描による対象の再現性ではなく、ブラウスやクッションの刺繍やアクセサリーの描写が生み出すリズミカルな装飾性だと言えるでしょう。
 最後に《鏡の前の青いドレス》が辿った数奇な来歴をご紹介しましょう。本作品は、1936年からマティスと専属契約を結んでいたパリの画商ポール・ローザンベールが1938年に開催したマティス展で、初めて公開されました。しかし、ゴッホやピカソといった名だたる近代画家の作品を扱っていたローザンベールは、ユダヤ系であったため、1940年6月にパリを占領したナチス・ドイツの手によって、本作品を含む彼の所蔵作品の多くが没収されました。それらはまずパリのドイツ大使館に運び込まれたあと、ナチの略奪美術品倉庫となっていたジュ・ド・ポーム美術館で保管されました。集められた作品のうち、ナチの文化政策に適した古典的絵画や名画はドイツへと送られましたが、それ以外の、特にナチが「退廃芸術」と断じた作家の作品については、協力的画商を通して、より好ましい作品を手に入れるための交換品として利用されました。《鏡の前の青いドレス》も、17世紀オランダ絵画と引き換えに、1942年5月にジュ・ド・ポーム近くに店を構えていたドイツ人画商グスタフ・ロホリッツに引き渡され、その後すぐにフランス人画商ポール・ペトリデスに売却されました。しかし戦後いくつかの画商の手を経て、本作品は再びポール・ローザンベールに戻り、アメリカの著名美術コレクターであるノートン・サイモンの所蔵を経て、1978年に当館に収蔵されました。経済のみならず政治の思惑がいかに芸術、そしてその自由に影響をもたらすか、警鐘的とも言える事象を本作品の来歴は伝えています。


「京都画壇の青春」展によせて 岡本神草《花見小路の春宵(未成)》1916年

 3階で開催される「京都画壇の青春」展と関連のある作品を、当館日本画コレクションと寄託作品だけでなく、今年設立された国立アートリサーチセンターの協力により、当館と同じ独立行政法人国立美術館に所属する東京国立近代美術館からも選んでみました。
 第一部は、若きアヒルたちがひなだった頃、学生時代の作品をご紹介します。京都は、日本で初めて公立美術学校が出来た土地。大正、昭和に活躍した日本画家の殆んどは、その後身である京都市立美術工芸学校(美工)、京都絵画専門学校(絵専)に関係がありました。3階でも作品を紹介している岡本神草を中心に、彼が影響を受けた竹久夢二、同級生の福田平八郎、髙谷仙外、木村斯光、さらに先輩の榊原始更、先輩ながら長く交流のあった甲斐庄楠音、後輩の稲垣仲静、山口華楊をグググとよせて、彼等のまさに青春時代の一頁を覗き見てみます。美工の後身である京都市立美術工芸高等学校(昨年度までの銅駝美術工芸高等学校)は今年4月に、絵専の後身である京都市立芸術大学は10月に、JR京都駅北側へ移転、京芸さんはグッと当館から近くなりましたね。先輩たちの学生時代の作品、どうですか?
 第二部は、若きアヒルたちが立派なアヒルになった頃、完成期の作品をご紹介します。それぞれの作家の代表作として、印刷物などで目にされたり、実際に展覧会でご覧になられたりしたことがあるかと思います。3階でご覧いただいた若きアヒル時代の作品と、どちらが心に響きましたか?
 「京都画壇の青春」展とともに、お楽しみください。


抽象と現実:ポール・ストランドの写真を中心に ポール・ストランド《抽象、ポーチの影、コネティカット(原題:フォトグラフ)》1915年

 このコーナーでは、写真におけるモダニズムを推し進めたアメリカ人写真家、ポール・ストランドの作品を中心にご紹介します。
 1890年ニューヨークに生まれたストランドは、17歳頃にルイス・ハインのもとで写真を学びました。校外学習でアルフレッド・スティーグリッツの設立した291ギャラリーを訪れたのをきっかけに、写真家の道を志します。1917年『カメラ・ワーク』最終号では特集記事が組まれ、「今日の直接的な表現」と評され鮮烈なデビューを飾りました。1930年代にはメキシコ政府の招きで、メキシコ各地の教会や人々の日常生活を撮影しています。大胆な構図やフレーミングによって身の回りの世界を抽象化することと、現実社会を見たままに記録するという、ストレート・フォトグラフィの二つの側面を体現したストランドの写真は、近代写真史において重要な位置を占めています。
当館の写真作品の収集活動は、1986年京セラ株式会社から寄贈された1050点に及ぶ「ギルバート・コレクション」から出発しました。これは1960年代末から80年代にかけて、米国シカゴ在住のアーノルド&テミー・ギルバート夫妻が収集した写真コレクションです。
このコレクションの特徴は、写真史を通史的にたどる内容であることと、ギルバート氏とアメリカ近代写真を代表するレジェンドたちとの直接の交流をしめす、稀少なオリジナル・プリントが数多く含まれていることです。今回の展示では、ストランドを中心に、ハインやスティーグリッツら周辺作家の作品をご覧いただきます。


友禅と型染 羽田登喜男《高雅縮緬地友禅訪問着「浮遊」》1961年

 「京都画壇の青春」展出品作には着物を着た人物が沢山登場します。断定はできませんが、それらの着物には絞り染、友禅、型染、絣織など様々な技法が用いられているようです。そもそも染織は染めと織りを装飾する言葉で、技法と装飾効果とが密接に結びつくところに鑑賞上の面白さの一つがあります。本コーナーでは友禅と型染に焦点をあて、着物、壁掛、屏風など、当館所蔵作品の中から近現代の染織作品を紹介します。
 友禅は江戸時代に京都で活躍した扇絵師・宮崎友禅に由来する言葉です。もともとは友禅の扇絵が流行となって小袖(着物)の意匠にも取り入れられたように、「友禅」とは流行を生み出す模様のことでした。しかし、次第にこれらの流行模様を表現する染めの技法と結びつき、今日の「友禅」が誕生しました。友禅染が非常に繊細な表現を可能としたことは、ここで紹介する三代田畑喜八や木村雨山、森口華弘らなどの作品に顕著です。一方の型染は、江戸時代に盛んになった染めの技法で、模様を彫った型紙を生地にのせて糊を置いた後に染料を用いて色を挿すものです。型紙を彫って模様を現わすことから表現には自ずと制限が加わりますが、生地の上で型紙の模様が繰り返されていく反復性が独自の装飾効果を生み出します。鎌倉芳太郎や鈴田照次の作品は模様の反復性をみせる仕事ですが、型染をより絵画的な表現へと展開させた芹沢銈介や稲垣稔次郎は「型絵染」の技法で人間国宝に認定されました。また、型紙による抑制された染色効果を大画面の中に展開する、日展等で活躍した(する)春日井秀大、中堂憲一、内藤英治の作品もあわせて紹介します。


河井寬次郎の模様 河井寬次郎《青華花下翔鳳文壺》1922年

 河井寬次郎の模様をテーマに当館所蔵の河井作品をご紹介します。近代日本を代表する陶芸家の一人である河井は、明治23年(1890)に現在の島根県安来市に生まれました。東京高等工業学校(現、東京工業大学)を卒業後、京都市陶磁器試験場に技手として勤務し、同僚であった浜田庄司らとともに膨大な数の釉薬研究に没頭します。大正6年(1917)に試験場を辞し、陶芸家として独立後は、中国や朝鮮陶磁を手本とした作風で大正10年(1921)の最初の個展で華々しいデビューを飾りました。この時期の河井は「天才は彗星の如く突然現れる」と評されるなど高い評価を得ましたが、その後、創作の方向を大きく変え、民藝運動に参画することで、暮らしと創作の密接な関係において作陶活動を展開していきます。河井の作品における造形性は、晩年に向かうほど、ますます意欲的となり、生命の喜びに溢れたものとなりました。ここで紹介するのは人物や動物、植物などの模様が施された初期から晩年にかけての河井の陶器作品です。制作にあたっては三彩や青華、流掛け、施釉陶器など多彩な技法が駆使されており、模様も筆で描くだけでなく、型取りしたものをレリーフ状に貼りつけたり、削り出したり、象嵌したり、筒描したりと様々な手法が用いられています。それらは古典の様式に倣ったものから即興的に表現されたものまで様々ですが、いずれも河井の窯業に関する深く広い知識と経験が背景にあって初めて成立するものだといえます。その上で「自分が楽しけりゃそれでいいじゃないか」と白洲正子に語ったように子供のように純真に創作に打ち込む河井の姿がありました。


大正期洋画の個性派 岸田劉生《夕陽》1912年

 元号としての大正期は1912年に始まり、1926年に終わりますが、日本近代美術史上の大正期は、明治末期の1910(明治43)年頃に始まると言われます。終わりの時期については、関東大震災があった1923(大正12)年とも、昭和初期の1930(昭和5)年頃とも言われます。この短い時代の前半には、西洋から印象派とポスト印象派が同時に移入され、特にゴッホの強烈な人生やセザンヌの明晰な造形思想が知られるようになったことで、旧来の、印象派風の外光表現を不完全に取り込んだ東京美術学校式アカデミズムの地位が揺らぎ、それに反旗を翻す個性派の画家たちが続々と登場しました。後半には、そうした先駆者たちの後に続く人々の中から、未来派、抽象主義、超現実主義を標榜する画家たちの活動が先鋭化し、1930年以降の、昭和期の新動向を準備することとなりました。
 大正の個性派と呼ばれる洋画家たちは、岸田劉生にしても萬鉄五郎にしても小出楢重にしても、なぜか夭折であり、その短い活動期間は美術史上の大正期とほとんど重なります。彼らの活動がそのまま、大正の美術史の特色を作り、流れを導いたといってもよいのでしょう。これに対し、坂本繁二郎のように長命を保った画家たちは、大正から昭和にかけて自身の個性を見詰め直してその表現を深めながら、美術史の激動から距離を置いて生きることになったといえそうです。
 ここでは大正の個性派と呼ばれる画家たちを特集します。その代表格といえる岸田劉生、萬鉄五郎、小出楢重の作品とともに、長命を保った坂本繁二郎や、昭和期に新展開を見せた古賀春江の作品もご覧いただきます。


エデュケーショナル・スタディズ04「チョウの軌跡――長谷川三郎のイリュージョン」 〈キャンバスに長谷川三郎の筆致をなぞる〉 撮影|表恒匡 〈長谷川三郎にまつわる文献資料を読み合わせる〉 撮影|表恒匡 〈動物行動学からチョウの飛ぶ道をさぐる〉 撮影|表恒匡 〈キャンバスに《蝶の軌跡》の触図をつくる〉 撮影|表恒匡

 当館では、「みる」ことを中心としてきた美術鑑賞のあり方を問い直し、「さわる」「きく」などさまざまな感覚を使うことで誰もが作品に親しみ、その新たな魅力を発見・共有していく「感覚をひらく」事業を行っています。2020年度からは作家(Artist)、視覚に障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性・経験を生かして協働し、所蔵作品をテーマとする新たな鑑賞プログラムを開発する「ABCプロジェクト」に取り組んでいます。今回は第3弾として、「チョウの軌跡――長谷川三郎のイリュージョン」を開催します。
1937年、長谷川三郎は《蝶の軌跡》という抽象絵画を描きました。画面は8の字や楕円、点々や荒い筆致だけで構成されているため、どこにチョウの動いた軌跡が描かれているのか分かりません。ただ、画面のなかで何かが動いていた気配だけが漂ってきます。こうした抽象絵画から受ける目に見えない気配のような感覚は、どのように伝え合うことができるのでしょうか。
 本プロジェクトでは、中村裕太(A)、安原理恵(B)、松山沙樹(C)の3人が、この作品と同じ大きさのキャンバスの上で、長谷川の筆致をなぞりながら言葉を交わし、図録や美術雑誌などの文献資料を読み合わせ、さらに動物行動学からチョウの飛ぶ道を検証していきました。そして、粘土やロープ、小豆などの素材を組み合わせることで、触れることで想像力が刺激される《蝶の軌跡》の触図*を作り出していきました。
 展覧会では、3人の会話や行動をもとに《蝶の軌跡》にまつわる長谷川の思索を推し量りながら制作した14種の触図を展示空間に設えます。会場を巡りながら、触図を見て、聴いて、触れることで抽象絵画の新たな鑑賞方法を探っていきます。
 また展示とあわせて、《蝶の軌跡》を言葉、文献資料、チョウの行動、触図からひもといたウェブサイト「ABCコレクション・データベースVol.3 長谷川三郎のイリュージョン」も公開しています。

*触図(しょくず)とは、作品の構図や色合いなどを触覚情報に変換・翻案して表した図

助成:令和5年度 文化庁 Innovate MUSEUM事業
特別協力:甲南学園長谷川三郎記念ギャラリー


京都国立近代美術館開館60周年企画
「拝啓、きょうきんび」

 京都国立近代美術館は今年で開館60周年を迎えました。この60年でみなさんと美術館との間にはどのような物語が生まれたでしょうか。現在、当館の歴史をふりかえる企画として、過去の展覧会やイベントでの思い出、心に残った作品や作家にまつわるエピソードを募集しています。これまでに「作品のパワーに圧倒されたのを覚えています」「おじいちゃんの生まれた年と同じ(作品)だったので、より歴史を感じられました」「レストランで食べた、作品をモチーフにしたデザートも忘れられない思い出の一つです」といった投稿などが日々寄せられています。
 コレクション展の当コーナーでは、こうした思い出の中から〈所蔵作品・作家とのつながり〉が記されたものを当館スタッフが選び、実際の作品とともにご紹介していきます。一人の来場者の方と作品とのご縁に思いを馳せながら、美術館でのひとときをお過ごしいただければ幸いです。
 「拝啓、きょうきんび」はどなたでも何度でもご参加いただけます。開館60周年のこの機会に、当館にまつわる思い出を便箋にしたためてみませんか。
詳しくはこちらのページからご覧ください。


会期 2023年10月5日(木)~12月17日(日)
[前期]
10月5日(木)~11月12日(日)
[後期]
11月14日(火)~12月17日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
「京都画壇の青春」展によせて
抽象と現実:ポール・ストランドの写真を中心に
友禅と型染
河井寬次郎の模様
大正期洋画の個性派
エデュケーショナル・スタディズ04「チョウの軌跡――長谷川三郎のイリュージョン」
京都国立近代美術館開館60周年企画
「拝啓、きょうきんび」

常設屋外彫刻

展示リスト 2023年度 第3回コレクション展(計186点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館(10月6日と12月15日を除く)
*入館は閉館の30分前まで

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。

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夜間割引 夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円

コレクション展無料観覧日 10月7日(土)、11月3日(金)、11月18日(土)、11月19日(日)、12月16日(土)、12月23日(土)
*都合により変更する場合がございます。

展示リスト 2023年度 第3回コレクション展(計186点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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