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キュレトリアル・スタディズ村山知義と同時代の日本の「前衛」

村山知義と同時代の日本の「前衛」

期間
2012年4月7日(土)~5月13日(日)
展示作品
村山知義と同時代の日本の「前衛」展示目録

 このたび「すべての僕が沸騰する―村山義の宇宙―」展を開催するにあたり、コレクション・ギャラリーでは、同展に連動して、村山知義と同時代に活動し新たな表現を求めた洋画家や版画家、そして日本画家たちの作品も含めた当館所蔵作品による小展示を企画いたしました。
 この小企画には、村山知義(1901-1977)とともに「三科」にも加わった日本画家・玉村方久斗(善之助)や、ロシア・アヴァンギャルドのグループで活動し、来日して「三科」創立にも加わったワルワーラ・ブブノワなど、直接村山と交流した作家の作品はいうまでもなく、わが国の1920年・30年代のいわゆる「前衛」表現において重要な役割を果たした普門暁、恩地孝四郎、長谷川三郎などの作品も集めています。
 普門暁は1920年に未来派美術協会を結成し、来日したロシア未来派のブルリュークらとも親交を深めました。同年に東京で開かれた「日本に於ける最初のロシア画」展で、普門は竹久夢二を誘い、ブルリュークやパリモフ(ともに「村山知義の宇宙」展にも出品)らを紹介したといいます。
 アメリカ画壇で活躍した石垣英太郎の《鞭うつ》は、当館に収蔵された油彩画の第1号作品であり、石垣綾子夫人から寄贈いただいたもので、出品した第9回全米インディペンダント協会展で好評を博した貴重な作例です。さらに戦後の前衛運動として、今や世界的にも高い評価を得ている「具体美術協会」のリーダー・吉原治良の最初期の《朝顔等》(1928年)は、関西学院を卒業した年に描かれた作品で、師事した芦屋在住の画家・上山二郎の紹介で、吉原は東郷青児(「村山知義の宇宙」展にも出品)や藤田嗣治らとも交流します。
 また、1914年に創刊された詩と版画による同人詩『月映(つくはえ)』で、わが国ではじめての「抽象表現」を追求した恩地孝四郎も、カンディンスキーから強い影響を受け、そのカンディンスキーのわが国初の画集『カンディンスキー』(アルス藝術叢書、1925年刊) を著したのが村山知義にほかなりません。当館では、昨秋「川西英コレクション収蔵記念展夢二とともに」を開催しました。神戸で活躍した川西英の千点に及ぶ本コレクションには、「村山知義の宇宙」展にも出品されている村山や、後年漫画家・田河水泡の名で活躍し、村山の「マヴォ」にも参加した高見澤路直の現存する唯一の版画が含まれるほか、恩地孝四郎、ブブノワ、前田藤四郎らをはじめとした貴重な「前衛」作品が含まれているのも、すでに同展でご紹介したとおりです。
 さらに2010年に開催した、当館の特別展「『日本画』の前衛1938-1949」展で、「日本画の前衛作品」第1号として位置づけた山岡良文の《シュパンヌンク》(このドイツ語で「緊張」を意味する「シュパンヌンク」の言葉も、カンディンスキーのバウハウス時代の基調句でした)や、山崎隆の《象》(1938年)らの作品も加え、本小企画で、村山知義と同時代に活発化したわが国の「前衛」表現の息吹の一端に触れていただきたいと思います。


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