美術館の概要
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沿革
国立近代美術館が東京に開設された翌年の昭和28年(1953年)、かねてから懸案であった松方コレクションの返還が具体的な運びとなった。これを機に、京都市長は同コレクション美術館の誘致を考慮したが、フランス政府がこれを日本の首都に設置する要望を示したため不可能となった。そこで京都市は同市における文化施設建設の一環として、計画を国立近代美術館の誘致に変更し、さし当たりその分館の設置を文部大臣に要望した。これに対して、国立近代美術館は趣旨に賛意を示したものの、同館の整備、充実が図られた後に改めて考慮するとの結論に達した。
その後、昭和37年(1962年)に至り同館の増改築工事もほぼ完了の見通しがつき、分館設置に必要な諸経費を予算要求し、これが認められ、また文部省設置法が改正されて、分館設置が正式に決定した。それに伴い、京都市は勧業館別館の1、2階を改修の上、国に無償譲渡することになり、文部省設置法施行規則の改正が行われて、昭和38年(1963年)3月1日、国立近代美術館京都分館が発足、初代分館長には今泉篤男(前国立近代美術館次長)が発令された。以来展観の準備が進められ、同年4月27日、第1回展《現代日本陶芸の展望ならびに現代絵画の動向》を開催するに至った。
しかし、この建物は昭和12年(1937年)に建築されたものを改造したものであったため、美術館活動に極めて不備な点が多く、当初から新館の建設が必要であると考えられていた。また、昭和42年(1967年)6月に京都国立近代美術館として独立後は、ますます新美術館建物の必要性が痛感されるようになった。
そこで、昭和47年(1972年)に新館建設のための庁舎新営調査費が認められ、翌48年(1973年)には基本設計準備委員会において、設計者を槇文彦氏に決定し、また、新館建設には(1)美術館運営に当たって機能的であること、(2)岡崎地区は主要な都市文化施設が集中し、しかも風致地区に指定されているので周囲の環境との調和に配慮すること、(3)スマートな建築物であること、以上3点を基本方針の柱として、新館建設の準備が進められた。建設地については、複数の候補地が種々の事情により不可能となったため、現在地で建て替えることとした。
昭和59年(1984年)1月開催の《現代美術における写真》展を最後に、旧館での展観事業はすべて終わり、発掘調査及び土地の所管換え等を行い、総工費約50億円、延べ床面積約10,000uの規模をもつ新館建設工事は旧館の解毀工事を含めて、2年8ヶ月の工期を要し、昭和61年(1986年)9月15日に竣工した。
昭和61年(1986年)10月25日に新館開館記念竣工式を挙行し、翌10月26日新館開館記念特別展《京都の日本画1910〜1930》展を開催し、新たに常設展示—近代日本の美術と工芸及び現代世界の工芸—を開設した。
平成8年(1996年)から検討が重ねられた行政改革の一環として、新たに独立行政法人制度が創設され、平成13年(2001年)4月1日に東京国立近代美術館、国立西洋美術館及び国立国際美術館とともに一つの法人として独立行政法人国立美術館に移行した。
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