コレクション・ギャラリー

2019年度 第1回コレクション展 (計104点)

会期

2019年3月8日(金)〜4月21日(日)

主なテーマ

展示作品

音声ガイド

作品解説、音声ガイドアプリをご利用ください。
ご利用方法(PDF)

ウィリアム・ケントリッジ《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》

*本作品のみ、展示期間:12月21日(金)〜2019年4月21日(日)

 ウィリアム・ケントリッジ(1955年、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生)は、大学で政治学を修めた後、演劇や映画制作の経験をへて、1980年代末から木炭とパステルで描いたドローイングのコマ撮りアニメーション・フィルムを発表して注目を集めます。南アフリカの人種隔離政策の歴史と社会状況を背景に生み出されたケントリッジ作品への評価は、1990年代のポストコロニアル的状況の反映のみならず、不条理な現実を前にした個人の苦悩や人間の尊厳、そして分裂した自我といったテーマの普遍性に対する共感と支持によるものと言えるでしょう。ストーリーボードなしに描いては消し、そして長時間かけて一コマずつ撮影しながら、ドローイングのなかに物語を見出し紡いでいく独自のスタイルで制作された短編アニメーション作品は、後進世代のアーティストたちの映像表現に大きな影響をもたらしました。
 2009年の大規模な個展以来、当館ではおよそ10年ぶりの展示となる《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》は、ゴーゴリの短編小説を原作としたショスタコーヴィチのオペラ『鼻』(1930年)のプロダクションの準備過程で制作された8面映像インスタレーションです。タイトルは、ロシアの農民が一切の罪を否定する際の決まり文句で、スターリン体制下で大粛清の犠牲となったブハーリンに関するソ連共産党中央委員会の議事録に由来します。ケントリッジは、ロシア構成主義者の視覚言語を用いながら、紙の切り抜きと映像のコラージュ、ダンスの影、1920・30年代ソ連のアーカイヴ映像、ヴェルトフの映画の抜粋、政治文書の引用などさまざまな要素を作品に取り込んでいます。ケントリッジの朗読と本人が登場する映像を組み合わせた同名のレクチャー/パフォーマンスでも、コワリョフと彼の鼻をめぐるゴーゴリの不条理劇に、分裂した自己、支配する側とされる側の反転、世界の秩序の破綻といったテーマが重ね合わせられています。

ウィリアム・ケントリッジ、俺は俺ではない、あの馬も俺のではない、2008年
ウィリアム・ケントリッジ《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》2008年

このページの先頭へ

春の日本画

 日本には四季があり、古来日本人はそれぞれの季節の美を愛で、詠い、書き、描いてきました。今回のコレクション展日本画コーナーでは、春から初夏にかけての風物を描いた作品をご紹介いたします。
 春と言えば「桜」。物語絵を得意とした森田曠平が、谷崎潤一郎の小説『盲目物語』に取材して描いた《惜春》、同じく森田曠平が故郷・京都を想いながら描いた《京へ》、池田遙邨の名高い山頭火シリーズから、宇治で詠んだ句に取材した今年新収蔵の《春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏 山頭火》、花鳥画の名手であった西村五雲による《夜桜》《吉野の桜》、そして京の春の名物都をどりのポスターで知られた磯田又一郎による花鳥画《夕桜》、華やかでありながらも、儚さを感じさせる桜を描いた日本画の競演と、春から初夏にかけての花で溢れた世界もお楽しみください。

このページの先頭へ

西洋近代美術の巨匠たち

 当館は設立以来、京都ゆかりの工芸や日本画に比重をおいて活動する一方で、近代美術史の成立に重要な役割を果たした西洋の近代美術の作品収集にも取り組んできました。1978年にはピカソ、マティス、モンドリアンの絵画を、1987年にはシュヴィッタースのコラージュ、エルンストの絵画、そしてデュシャンのレディメイドをまとめて購入する機会に恵まれました。その後も点数は多くないものの、1974年に個展を開催したベルリン・ダダの女性作家ハンナ・ヘーヒの重要作、日本画家の土田麦僊が渡欧した際に買い求めたルドンの《若き日の仏陀》、そして先日まで展示公開していた世紀末ウィーンのグラフィック・コレクションなど、京都国立近代美術館のコレクションの方向性と収集方針を明確に反映した作品収蔵が行われています。こうした年代ごとのコレクション収集の歴史自体もまた、作家の流行や評価基準の変遷を少なからず反映した、美術館による美術史編纂というひとつの長期的プロジェクトとして見なすことができるでしょう。今回の展示では、寄託作品も交えて当館の西洋近代美術の名品をご覧いただきます。

オディロン・ルドン、若き日の仏陀、1905年
オディロン・ルドン《若き日の仏陀》1905年

このページの先頭へ

近代京都の陶芸と漆芸

 明治2(1870)年の東京奠都まで、京都は長らく日本のみやこであり、文化の中心地でした。しかし、「みやこ」としての役割を終えた後、京都は自己変革を求められていきます。それによって、それまで当然であった「みやこ」という具体的には「見えない」けれども、人々の中で潜在的な共通理解としてあったものを、視覚的イメージを通じて様々に提示していくようになります。これが今日の近代的歴史都市・京都の背景にあります。
 京都の工芸分野も例外ではなく、みやこであった時期に陶磁や漆工、染織など様々な工芸が高度に発展したことはよく知られています。そして近代以降、京都の工芸界は、伝統的な徒弟制度に加えて、浅井忠や神坂雪佳らによる遊陶園(陶磁器の図案研究団体)や京漆園(漆芸の図案研究団体)、京都市陶磁器試験所(試験場、後に国立に移管)、京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の設立などを通じて、時代に即した新しい工芸表現を模索していきます。「みやこ」のイメージを視覚化させる新進の意識は、図案、技法、形態など多岐に渡って見ることができますが、いずれもいたずらな新奇さを追うというよりは、京都という土地に由来する気品が兼ね備わっていることが特徴だといえます。それはおそらく戦後の実用を離れた表現においても共通する意識です。
 ここでは当館所蔵の膨大な京都ゆかりの陶芸と漆芸作品の中から、近代から現代にかけての展開を示す作品33点を紹介します。

鈴木睦美、塗蓋物付内銀楕円大鉢、1999年
鈴木睦美《真塗蓋物付内銀楕円大鉢》1999年

このページの先頭へ

水彩画

 西洋においてルネサンス時代以前から制作されていた水彩画。これが日本にもたらされたのは幕末明治初期です。文久元(1861)年に来日したイギリスの報道画家ワーグマンが日本の風景や人々の様子を水彩で描いて、高橋由一や田村宗立のような画家たちに多大な影響を与えたのです。明治9(1876)年に創設された工部美術学校でも、絵画の教師をつとめたイタリア人画家フォンタネージが油彩画とともに水彩画を教え、戸外における風景写生が大切であることを説きました。その教え子の一人が浅井忠です。浅井をはじめとするフォンタネージ門下の画家たちは、戸外における風景写生を好み、水彩画を盛んに制作しました。持ち運びに便利で、しかも俳画のように軽やかな筆致にも向いている水彩画という媒体は、水墨山水画を愛した当時の日本人には親しみやすかったのでしょう。イギリスから優れた水彩画家たちが相次いで来日した明治20年代以降は、多くの画家たちが水彩画を盛んに制作するようになり、三宅克己のような水彩画を専門とする画家たちも現れました。水彩画入門書や専門雑誌の刊行も相次いだ明治30年代には、水彩画の大流行時代が到来しました。流行は間もなく沈静化しましたが、人々を絵画表現へ誘う身近な画材として、水彩画の地位は今なお揺るぎないといえます。
 この展示では当館コレクションの中から、浅井忠の教え子たちを中心に、日本近代の水彩画をご覧いただきます。

河合新蔵、緑蔭、1934年
河合新蔵《緑蔭》1934年

このページの先頭へ