コレクション・ギャラリー

2019年度 第2回コレクション展 (計159点)

会期

2019年4月26日(金)〜6月9日(日)

主なテーマ

展示作品

没後80年 村上華岳

 最初の近代日本画家展として取り上げ、また、平成17(2005)年にも大回顧展を開催するなど、当館が注目し続けている村上華岳。その華岳が昭和14(1939)年11月に逝去してから今年で80年が経ちましたので、これを記念して特集展示を行います。
 村上華岳は明治42(1909)年京都市立美術工芸学校(美工)を経て、新設されたばかりの京都市立絵画専門学校(絵専)に入学。両校で円山四条派の流れを学び、浮世絵や南画、さらには西洋絵画を取り入れ、文展に入選、受賞を重ねました。ところが、美工、絵専で出会った入江波光、榊原紫峰、土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花、華岳の間で、唯一の発表の場であった文展の審査基準への不信が募り、大正7(1918)年彼等と共に自由な制作発表の場を求めて国画創作協会を結成、同協会の展覧会(国展)で活躍します。
 しかし、徐々に、画壇活動がかえって画家の自由な創作を束縛し、芸術活動を不純なものとするのではないか、という当初からの考えが強まっていった華岳は、持病の喘息が悪化したこともあって都から芦屋へと移り、15年第5回展への出品を最後に画壇から離れ、翌年さらに、村上家がある神戸花隈に移ります。
ここで隠遁者のような生活を送るなか、有名な「製作は密室の祈り」という言葉に代表されるように、絵を描くことは、世界の本体を掴み宇宙の真諦に達するための修業と考えるようになりました。主要なモティーフである仏画、六甲山、そして牡丹花や椿花までも主に墨で表現されるようになりますが、色彩が全く無くなったわけではなく、一見墨のみで描かれたようでも、時間をかけ、角度を変えて見ていると、紙地が現れていると思われたところに胡粉が置いてあったり、緑青や朱、代赭、黄土が僅かにさされていたり、金、銀、アルミ泥が刷いてあるのが目に飛び込んできて、はっとさせられます。
 本特集展示では、所蔵作品20点と寄託作品約50点に、資料類並びにこの度修復が終了した盟友入江波光の代表作の大下絵を加えて、前期(4月26日〜6月9日)では京都絵画専門学校から国展時代までの、後期(6月12日〜8月4日)では花隈隠棲時代の作品を中心にご紹介いたします。2期にわたり、華岳作品の魅力をご堪能ください。

村上華岳、夜桜之図、1913年
村上華岳《夜桜之図》1913年

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近代アメリカの写真家たち:ギルバート・コレクションより

 ヨーロッパでおよそ200年前に発明された写真術が一つの芸術表現としての地位を確立するべく展開したのは、20世紀アメリカにおいてでした。
 20世紀に入り、カメラやレンズの機能を生かすことで写真独自の表現を追究するストレートフォトグラフィーの理念を提唱したのが、「近代写真の父」と称されるアルフレッド・スティーグリッツです。ドイツ出身のスティーグリッツはニューヨークでエドワード・スタイケンらと「写真分離派(フォト=セセッション)」を設立(1902年)するとともに機関紙『カメラワーク』を刊行し、芸術としての写真の普及に貢献しました。同紙の最終号では気鋭の写真家ポール・ストランドの特集が組まれ、ニューヨークの日常の光景を斬新な構図で切り取った写真は、写真表現の新たな方向性を印象づけました。
 一方サンフランシスコでは、1932年にエドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、イモジェン・カニンガムらが「グループf.64」を結成します。アメリカの大自然の風景や静物を研ぎ澄まされた観察力と美しいモノクロの階調と精緻な描写でとらえた数々の写真は、近代アメリカ写真のひとつの到達点を示すものでしょう。
 第二次世界大戦が終結する頃のシカゴでは、バウハウスの講師モホイ=ナジ・ラースローが移住・設立したデザイン学校(通称ニュー・バウハウス)に講師として招かれたアーロン・シスキンやハリー・キャラハンらによって、光線工房などの授業が展開され、独自の実験的な写真が数多く生み出されました。
 当館の写真作品の収集活動は、1986年京セラ株式会社から寄贈された1050点に及ぶ「ギルバート・コレクション」から出発しました。これは1960年代末から80年代にかけて、米国シカゴ在住のアーノルド&テミー・ギルバート夫妻が収集した写真コレクションです。このコレクションの特徴は、写真史を通史的にたどる内容であることと、ギルバート氏とアメリカ近代写真を代表するレジェンドたちとの直接の交流をしめす、稀少なオリジナル・プリントが数多く含まれていることです。今回の展示では、その中から厳選した10人の写真家たちの写真作品をご紹介します。

エドワード・ウェストン、教会堂の扉、ホルニトス、1940年
エドワード・ウェストン《教会堂の扉、ホルニトス》1940年

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河井をめぐる作家たちー棟方志功、芹沢_介、黒田辰秋ー

 近年、「生活」に根ざした価値や活動が再評価されるなど、民藝運動は今日でも強い影響力を有しています。この運動の特徴は、無名の工人らが製作した日常の雑器(民衆的工芸)などの中に健康的な美を見出し、その特性を言語化することで、近代の「美術」とは異なる美の体系を作り上げたところにあります。
 そもそも民藝運動は、大正15(1926)年に富本憲吉、河井ェ次郎、濱田庄司、柳宗悦の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を刊行したことにはじまります。民藝運動に関わった作家たちは西洋近代美術に見られる作者の個性と創造性のあり方への理解を深めつつ、そこに無名の工人たちの残した仕事を対峙させることで、自らの美意識を確立していきました。
 民藝運動は多くの共感を呼び、板画の棟方志功や型染の芹沢_介、木工の黒田辰秋など、後に近代日本を代表する作家たちも同人となります。棟方はそもそも国画会で柳らにその才能を見出されたことから活躍の場を得た作家ですが、民藝運動に関わる中で、芹沢は沖縄の紅型との出会いから独自の型絵染を展開させ、黒田は朝鮮王朝(李朝)の木工芸に強い影響を受けています。民藝同人は、互いに密接な交流を持ち、一貫制作を行う創作者として、同時に一種の運命共同体的な関係の中で、個々の活動を展開していきました。
ここでは、企画展「京都新聞創刊140年記念 川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井ェ次郎」にあわせて、当館所蔵コレクションから民藝運動の主要な同人であった三人の作家の作品23点を紹介します。

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太田喜二郎

 京都に生まれ、京都で亡くなった洋画家、太田喜二郎(1883-1951)は、東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)を卒業したのちベルギーに留学し、同地の印象派の画家たちが試みていた点描技法を学んだことで知られています。
 美術学校の卒業生たちの多くがフランスへ留学していた当時、太田がなぜ留学先にベルギーを選んだのかは定かではありませんが、美術学校における恩師、黒田清輝に薦められたからであると考えられています。明治41(1908)年から約4年半の留学中、太田はベルギー印象派の大家エミール・クロースの指導を受けました。
 ジョルジュ・スーラが点描技法の名作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1886年)を発表して既に約20年を経ていた当時、フランスでは新印象派も下火になっていましたが、ベルギーでは新印象派の点描技法を学びながら、むしろ印象派の自然観照をやり直そうとしていました。太田がベルギーで学んだのは、新印象派を経験したあとの印象派だったと言えます。
 黒田清輝が印象派風の光の表現を取り込んだアカデミズムを日本へ伝えたのに対し、弟子の太田は点描技法による洗練を通して印象派を再検討しようとしていたと見てよいのでしょう。
 ここでは、滞欧中から帰国後にかけて太田が試みた自然の観照、光の表現を、当館所蔵の作品によりご覧いただきます。なお、京都文化博物館では企画展「太田喜二郎と藤井厚二」が開催されていますので、併せてご覧いただければ幸いです。

太田喜二郎、少女、1915年
太田喜二郎《少女》1915年

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特集:井田照一と戦後の版画表現

 前回の東京オリンピックや大阪万博が開催された1960年代から70年代の日本では、いわゆる版画ブームが起きていました。戦前からの浮世絵や創作木版画に加え、印刷物や写真イメージをつかったシルクスクリーン・プリントや、単純な形態と色面によるリトグラフ、緻密な銅版画などその技法も多彩に広がり、さらにグラフィックデザインなど近接領域とも相互に影響しあい、ビエンナーレなどの国際展でも日本人作家の版画表現が大きな注目を集めました。関西を中心に活動したデモクラート美術家協会出身の池田満寿夫や靉嘔、磯辺行久、京都市立芸術大学で版画クラスを創設した吉原英雄、グラフィックデザイナーとして活躍していた横尾忠則、伝統的な浮世絵から現代的表現を生み出した黒崎彰、そして写真製版を取り入れた吉田克朗や野田哲也、木村光佑、木村秀樹などが活躍しました。
 表現者たちは、いわば「古くて新しい表現メディア」としての魅力を【版画】という技法と視覚言語に見出していました。版を媒介することによる手仕事の否定と身体性の排除、写真や印刷イメージの活用、実在と表象の関係をめぐる「概念芸術」的思考などは、同時代の他ジャンルの美術運動とも共通する問題意識です。
 井田照一もまたその只中でデビューし、生涯にわたり新しい版画の概念を模索したアーティストでした。1941年京都に生まれた井田照一は、京都市立芸術大学西洋画科に在学していた1960年代半ばから版画制作を開始し、「Surface is the Between―表面は間である」というコンセプトを掲げ、版画概念を検証するかのように創作活動を展開しました。今回の特集展示では、デュシャンやウォーホルからの影響がうかがえるデビュー当時の色鮮やかなリトグラフ、壁紙を用いたインスタレーションの先駆的作例、もの派など現代美術の動向ともシンクロする自然素材との対話による創作、さらに多様な素材を版として用いた実験的な作品まで、井田の版画をめぐる挑戦的取り組みの数々をご紹介します。


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