展覧会投稿 No. 6 (岡﨑麻美)
投稿 No. 6 (岡﨑麻美)
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日本画を専攻する学生として、疑問に思ったことを3点述べたいと思います。
(1)日本画と水墨画の関係について
岩絵の具の美しさやマットな絵肌など、画材や表現技法に惹かれて、日本画を選び、「日本画」とは何かをあらためて意識することもなく、これまで描いていました。しかし、あるとき、日本画という言葉を強く意識する出来事がありました。大学での専攻を聞かれ、「日本画を描いている」と言うと、「日本画って、水墨画みたいな絵を描いているの?」と質問され、日本画という言葉の曖昧さに戸惑った覚えがあります。水墨画とは違い、墨も使うが、主に岩絵の具という絵具を膠と混ぜて描く絵であること、油絵具や水彩絵具との違いについて説明したのですが、画材の違いを説明するだけでは不十分であったと思います。
水墨画は現在では日本画とは別のジャンルとして扱われているように見えます。日本画の団体展でも水墨画を見ることはほとんどありません。カルチャーセンターなどでも水墨画と日本画の教室は分けられています。私が在籍している日本画コースには水墨画を学ぶ科目はありません。模写の授業を除いては、墨だけで制作する課題はなく、模写の対象も白描の絵巻です。そういうわけで、日本画には水墨画が含まれないような説明をしたのですが、近代の日本画家といわれる作家の作品には水墨画も多く見られます。水墨画は日本画のなかの一つの技法なのでしょうか。
今回の展覧会で洋画家による「日本画」の作品として出品されている須田国太郎の《老松》は、単に画材として墨を用いた表現として捉えることもできます。「日本画家」ではない長谷川等伯の松林図屏風と比較するのは邪道かもしれませんが、両者を比べると、須田の作品は油絵に近い表現のように思われ、「日本画」として扱われることに違和感を覚えました。水墨画と日本画の関係はどう捉えればよいのでしょうか。
(2)洋画で日本画的な要素は日本画では伝統的(古典的)な表現なのか
藤田嗣治の作品には細い墨線を生かした日本画的な表現が見られますが、日本画的と形容されるのは油彩画であるからで、油絵具が使われていない作品であれば、伝統的な表現として捉えられるものなのでしょうか。小林古径が描くような、均質な線描を生かした日本画は新古典主義的と言われます。洋画に対して用いられる「日本画的」という語は、明治以降に成立した「日本画」のようなという意味での「日本画的」ではなく、古来の中国絵画、日本絵画にも見られるという意味での古典的、伝統的な表現を表すものなのでしょうか。
(3)南画家(文人画家)は日本画家なのか
今回の展覧会では萬鉄五郎の南画風の作品は日本画として扱われていますが、日本画と南画(文人画)とが区別されることがあるのはなぜでしょうか。たとえば、富岡鉄斎は日本画家ですが、南画家(文人画家)と呼ばれることもあります。2003年に京都国立近代美術館で開かれた「ヨハネス・イッテン 造形芸術への道」展の図録に掲載された山野氏の論稿では、水越松南は日本画家ではなく、南画家と書かれています。近代日本美術史においては、南画家と南画風の日本画を描く日本画家とが区別されているのでしょうか。南画家は日本画家・洋画家という分類にはあてはまらない画家なのでしょうか。
「日本画」を知らない人に日本画とはどういう絵か問われて、自分で納得できるような説明ができなかったことで日本画についてあらためて考えるようになりました。考えれば考えるほど、考えも言葉も混乱してきます。意見ではなく、質問になりましたが、ご教示をいただければと思います。
岡﨑麻美(33歳)
京都造形芸術大学通信教育部日本画コース
大阪府
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