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展覧会文人画の近代 鉄斎とその師友たち

文人画の近代 鉄斎とその師友たち

 文人画というジャンルは元来中国で発達したものである。士大夫などと呼ばれる身分の高い政府の官僚たちが、余技として描いたものを言い、生活の糧を得るために描く職業画家とは異なり、いわば高雅な精神の遊びであった。清時代の中国は異民族の満州族に国を支配され、漢民族、中でも知識階級の間には、抑圧された感情がわだかまっていた。文人画は彼らのこのような感情のはけ口として、まさに格好の画体であった。江南を中心に広まった文人画の流行は、やがて長崎を通じて日本に移入され、武士、僧侶、富裕な商人などの間に急速に広まり、彼らの教養となっていった。
 富岡鉄斎は、1836年京都に生まれた。青年時代を迎える頃、京都は討幕運動の巷と化し、全国から血気旺んな若者が集まって、頻りに時代の改革を求めた。太田垣蓮月の学僕として、蓮月の作陶の仕事を手伝っていた鉄斎は、そこで多くの勤王家と交友を持ち、自身もひとかどの勤王家に成長していった。後に長崎に遊学した鉄斎は、そこで海外の事情を知るとともに、文人画家や来舶の清人に接し、また周囲からの助言もあって、本格的に絵の勉強を始めた。
 この展覧会は、この若き日の鉄斎を中心に、彼と交友を持った画家や勤王家の中から、小田海僊、貫名海屋、田能村直入、浮田一惠、藤本鉄石、山中静逸(信天翁)、江馬天江、村山半牧、板倉槐堂、鉄翁祖門、木下逸雲、徐雨亭ほか4人の清人ら計16人の文人画約100点を選び、鉄斎作品約100点とともに展示した。師もなく弟子もなく、単独の巨人として扱われ、その作品の近代性ゆえに高く評価されてきた鉄斎ではあるが、彼がその芸術を形成するに至る過程で交友した多くの文人画家や、かれらと鉄斎の交友の痕跡を、その作品によって検証しようとする試みは、これまで殆ど行われてこなかった。その暗点とでも言うべきところに光を当て、当時の文化状況をもあわせて明らかにしようとするのが、この展覧会のひとつの目的でもあった。

会期
12月9日―1998年1月18日(28日間)
入場者数
8,702人(1日平均311人)
共催
東京国立近代美術館
出品作品数
204点
カタログ
『文人画の近代 鉄斎とその師友たち』/30.0×19.0cm/243頁
編集:加藤類子、島田康寬、河本信治、池田祐子(京都国立近代美術館)/デザイン:大向務(株式会社アノン)/発行:京都国立近代美術館
所収論文:「鉄斎とその師友たち」加藤類子
巡回先
東京国立近代美術館

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