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2020年度 第4回コレクション展

コレクション展

2020年度 第4回コレクション展

2020.12.24 thu. - 03.07 sun.

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西洋近代美術作品選

 当館所蔵・寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は、当館に寄託されているモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883 ‒ 1955)の三作品を紹介します。
 ユトリロは、1883年に、ルノワールやロートレックらの絵のモデルを務め、自身も画家となったシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として、パリに生まれました。ユトリロという姓は、彼を認知したバルセロナの貴族出身で文芸ジャーナリストのミゲル・ウトリーリョ(・イ・モルリウス)に由来します。母のシュザンヌは、こののち二度結婚しますが、ユトリロは終生この名字を名乗りました。自らの生活と絵画制作に没頭する母はユトリロから離れ、彼は母方の祖母と二人きりで幼年期をパリ郊外で過ごします。しかし孤独感からパリの中学校に入学したのを契機に酒を飲み始め、早くもアルコール中毒に陥ります。その治療法の一環として絵筆をとり、独学で絵を描くようになったのが1904年、ユトリロ20歳のときでした。それ以降、飲酒による度重なる不祥事や精神病院への入退院を繰り返しつつ、ユトリロは自ら暮らした主にモンマルトルの風景を描き続けました。
 《田舎の教会》(1911年)と《モンマルトルのミミ・パンソンの家》(1915年)は、ユトリロの最も著名な「白の時代」(1910~16年頃)の作品です。いずれもざらりとした壁のマチエールが特徴的ですが、この漆喰壁の描写を実現するために、彼は石灰や卵の殻、砂といった白い物質を絵具に混入しました。また、前者の作品では教会へ繋がる道が左にカーブし、後者の作品においても丘の斜面を下るはずの道はふっつりと途中で途絶え、いずれにしても先を見通すことができません。画面中央を占める、朴訥な尖塔と複数の屋根を持つ教会、そして屹立する複数の煙突を持つ赤い壁の家は、将来を見通せないユトリロ自身の姿に重なります。モンマルトルの丘に立つサクレ・クール寺院へと繋がる《サン・リュスティック通り》を描いた1921年、ユトリロは公然猥褻罪で逮捕され、刑務所に拘留されたのち、責任能力なしとの鑑定により精神病院に収容されます。この事実を踏まえれば、写実的なこの作品が、実際の風景を前に描かれたと考えるのは難しく、事実、ユトリロがラパン・アジルに代表されるモンマルトルの同じ風景を何度も繰り返し描く際に参照したのは、市販の絵はがきでした。通称「色彩の時代」の本作品では、以前の物質的マチエールは影を潜め、黒い描線の強さが目を引きます。しかしここでも、画面奥へと延びる通りはその先で湾曲し、サクレ・クール寺院に至る道筋が明らかになることはありません。
 モンマルトルの風景は、ユトリロにとって単に描く対象ではなく、描くことによって自らが生きる場所そのもの、つまり彼自身だったと言えます。そのことをジャン・コクトーは、風車のあるムーラン・ド・ラ・ギャレットを想起しながら、ユトリロの死去に際して寄せた追悼文で次のように述べています、「粉ひき屋のいない風車、それは死んだ翼である。」


描かれた建物 伊藤柏台《木屋町夜景》1915年

 日本画の中で建物はどのように描かれてきたでしょうか。絵巻でよく描かれる屋根を取り払った吹抜屋台が思い浮かぶでしょうか。多くの建物が描かれている「洛中洛外図」を思い浮かべる方も多いかもしれません。古くは和歌に詠まれた題材を描いた名所絵の中に建物が登場し、宮曼荼羅や参詣曼荼羅では寺社の様子が描かれました。
 江戸時代になると、蘭学や本草学のような実証的な学問の隆盛により、真景図や写生図のように実際の景色を写し取った絵も描かれるようになります。また、街道が整備されたことにより旅が盛んとなり、宿場町や観光名所を描いた浮世絵が制作されました。
 明治時代になると欧米の文物が一般の人々の目にも触れるようになり、写実への意識がより一層高まりました。さらに、自然観察を重んじて森や農村風景を描いたフランスのバルビゾン派の絵画が日本で紹介され、画家たちに大きな刺激を与えました。日本画家たちも古画や模本類を研究するだけでなく、屋外に出て自分が目にしたものをスケッチし、それをもとに絵を完成させるようになりました。山水図は風景画となり、それまで風景の一要素でしかなかった建物が絵の主役となることもありました。
 時代が進むにつれて日本画の表現方法も多様化していきます。抽象表現など同時代の欧米の美術動向に呼応しつつ、新たな日本画の創造を目指す画家が現れ、既成概念にとらわれることなく、日本画の可能性を切り開いていきました。


エデュケーショナル・スタディズ02:中村裕太 ツボ_ノ_ナカ_ハ_ナンダロナ? 石黒宗麿《壺「晩秋」》1955年頃

 当館では、見える・見えないに関わらず誰もが楽しめる作品鑑賞のあり方を探る「感覚をひらく―新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業」を行っています。2020年度より、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かし、さまざまな感覚をつかう鑑賞方法を創造する「ABCプロジェクト」を立ち上げました。今年度は、当館所蔵の石黒宗麿《壺「晩秋」》の新たな鑑賞方法を探っていくためにABCが協働しています。
 石黒宗麿(1893-1968)は、1936年に京都市左京区八瀬に「八瀬陶窯」を築窯し、晩年までこの地を拠点に陶器作りを続けてきました。石黒は、1955年に鉄釉陶器の技法による重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されたことを機に、中国や朝鮮の古陶磁を逐った近代的な個人作家として紹介されてきました。ところが、石黒の手によってこの土地に捨て去られた陶片からは、陶器作りに苦心する新たな一面を見出すことができます。
 本プロジェクトは、陶片を発掘することから始まり、中村裕太は陶片の研究とその制作、安原理恵は陶片を触察し言葉にすることで、石黒の陶器作りを解きほぐしてきました。さらに、それらの考察をもとに、学芸員は当館のコレクションとのつながりを再構築してきました。今回のエデュケーショナル・スタディズでは、来場者が手や耳の感覚を研ぎ澄ませ、壺のなかに入ったひとつひとつの陶片に触れたり、八瀬での陶片を介した対話の様子を垣間見ることをとおして、《壺「晩秋」》の新たな鑑賞方法を探っていきます。またウェブサイトでは、石黒の陶片をABCそれぞれの視点から紐解いた「ABCコレクション・データベース 石黒宗麿陶片集」を公開しています。
(特別協力:京都精華大学伝統産業イノベーションセンター)


北大路魯山人、八木一夫、清水卯一 ー石黒宗麿とのつながりの中でー 北大路魯山人《呉須花入》1949年

 石黒宗麿は、古典の特性を独自の眼でつかみだし、それを自作の中で生かすことで、創作活動を行いました。その技術と芸術性は高く評価され、1955年に鉄釉陶器の技法で重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定されています。石黒は、古陶磁や陶片などの研究を通じて、陶技を独学で身につけましたが、同時に様々な作家とのつながりを有していました。
 北大路魯山人は、昭和初期の古典復興を先導した芸術家であり、石黒とも作風や創作意識における共通性がみてとれます。一方で魯山人は、陶芸のみならず、書や篆刻、絵画、漆芸、料理にいたるまで多彩な才能を発揮しました。石黒は魯山人を訪ねた時のことを「北大路さんと私」という文章に残しており、魯山人の意固地な性格を記した後に「相変わらずうまいものの話に話が咲いた」と述べています。
 八木一夫は、陶による立体造形(オブジェ焼)の先駆者の一人として知られています。一見すると八木と石黒は、遠いところにいるようですが、八木も中国陶磁や朝鮮陶磁などの古典に強く惹かれており、それら古典のよさを現代的な表現へと昇華させるために苦心した一人です。八木は八瀬の石黒のもとを訪ねた時の記憶を「現代そのものにも生きている感覚や、瀟洒な好み、造りの確かさと柔軟性、そんなものに感心させられていた」と語っています。
 清水卯一は、後に石黒と同じく鉄釉陶器の技法で人間国宝に認定された陶芸家ですが、14歳の時に石黒の通い弟子となっています。戦時体制の強化が影響し、弟子の期間は数か月で終了しましたが、石黒の創作世界を間近で体感したことは、その後の清水の制作における方向性を決定づけることになりました。


モダニズムの日本工芸 二橋美衡《花鳥文様真鍮製手筥》1929年

 日本の工芸において、いわゆる個人作家と称される人たちが登場したのが明治末から大正時代にかけてのことになります。また、昭和2年に国が主催する文部省美術展覧会(文展)に第四部美術工芸が設置され、名実ともに工芸は、美術という制度に組み込まれることになりました。この時の文展で特選を受賞した一人が金工家の高村豊周です。高村は工芸を美術の制度に組み込もうと運動をした中心人物であり、「装飾美術家協会」、「无型」、「実在工藝美術会」など、工芸史上重要な団体を結成し、美術における工芸のあり方に大きな影響を与えました。文展で特選を受賞した作品を含め、高村の作品の特徴とは、幾何形体を軸にしたいわゆるアール・デコ調にあります。
 アール・デコは、1925年に開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会(パリ万国装飾美術博覧会、通称:アール・デコ博)においてその様式を世界に知らしめました。それらはアール・ヌーヴォーの有機的な曲線に対して、幾何学や工業製品を思わせるものです。この博覧会において日本人として審査員を務めたのが高村の恩師でもある津田信夫でした。津田は帰国後に金工家を中心とする日本の工芸家たちに工芸における「モダニズム」の精神を説き、日本でアール・デコ様式は世界と同時期に広がることになりました。その影響は、金工を中心としながらも、陶芸や漆芸など、多方面にわたっています。
 ここでは、「分離派建築会100年 建築は芸術か?」の開催に合わせて、1920年に結成された分離派建築会とほぼ同時代に花開き、工芸界を席巻したアール・デコ様式による日本工芸の作品を紹介します。


十亀広太郎と関西の「色彩派」 十亀広太郎《朝》1922年

 1914(大正3)年10月、官設の文部省美術展覧会から脱退した画家たちが創立した二科会の第1回展で、一人の新人画家の作品が注目を浴びました。十亀広太郎(1889-1951)の作品6点で、水彩画家の三宅克己によると、彼の作品には「一種の力と新鮮なる色彩と空気のざわめき」がありました。当時、東京では岸田劉生や萬鉄五郎の新たな表現が話題になっていましたが、大阪や京都で同じく新たな表現を試み、色彩派として評価されたのが十亀でした。
 十亀は大阪の出身ですが、叔父の吉田初三郎に影響を受けて画家を志し、父の反対を押し切って京都の関西美術院に学びました。当時の院長は鹿子木孟郎で、厳格なアカデミズム教育を行っていましたが、同じ関西美術院に学んだ津田青楓や梅原龍三郎が相次いで欧州留学から帰国したこと等に刺激を受けたのか、十亀も丸善で洋書を買っては西洋の新たな美術を研究しました。第1回二科展出品作はその成果で、無名の新人ながらも二科賞を受賞しました。
 しかし間もなく彼の画業は中断しました。彼が絵の道へ進むことに反対していた父が、この受賞を知って危機感を抱き、彼を祖父の故郷の愛媛県西条へ転居させ、画家になることを諦めさせたのです。それでも絵の道を諦めきれなかった十亀は1920年、坂本繁二郎等の助力で上京し、画業を再開しましたが、以後は穏健な写実による風景画の制作を続けました。
 2021年は彼の歿後70年です。当館蔵の彼の作品とともに、同時代の京都・大阪の画家たちの作品を展示し、大正初期の関西に輝いた色彩派の活動を回顧します。


特集:三島喜美代 三島喜美代《パッケージ 78》 1977-78年

 1932年に大阪に生まれた三島喜美代は、1970年代初頭まで絵画に取り組み、主にコラージュによる平面作品で注目を集めました。平面作品では1965年シェル美術賞展佳作賞を受賞。その後、 70年代初頭より陶による作品制作を始めます。陶の作品では、 1971年日本陶芸展前衛部門入選を皮切りに、数々の公募展での入選・受賞、国内外での展覧会に招待出品されるなど、今日に至るまで精力的に活動を続けてきました。
 三島の陶の作品は、新聞や雑誌の紙面、商標の印刷された段ボール箱などの活字をシルクスクリーンで転写したものが主体となります。三島は、陶器は割れるという性質を持つことから、不安感や危機感、危うさを表すのに適した媒体だと位置づけます。当初、三島は、情報に埋没する危機感を表現することを試みていました。しかし、大量のビラや新聞、雑誌はすぐに廃棄されてゴミとなるように、情報からゴミへと制作上の問題意識を転換させたことで、捨てられたゴミを手間とお金をかけて陶器で作るという現在の三島の創作スタイルが確立しました。そこでは、かつてとは比較できない今日の社会特有の大量の情報とゴミの関係が、ユーモアをもって示されるとともに、過剰な情報に脅かされて生きる現代人の心理が表象されています。
 当館ではこれまでに三島の転写による初期の陶作品《パッケージ 78》と3点の絵画を所蔵してきましたが、2019年度に三島の陶による近作を収蔵したことで、三島の創作の軌跡をたどることが可能となりました。そこで今回、近年ますます国際的な評価が高まっている三島喜美代の作品世界をご紹介いたします。


会期 2020.12.24 thu. - 2021.03.07 sun.

テーマ 西洋近代美術作品選
描かれた建物
エデュケーショナル・スタディズ02:中村裕太 ツボ_ノ_ナカ_ハ_ナンダロナ?
北大路魯山人、八木一夫、清水卯一 ー石黒宗麿とのつながりの中でー
モダニズムの日本工芸
十亀広太郎と関西の「色彩派」
特集:三島喜美代
常設屋外彫刻

展示リスト 2020年度 第4回コレクション展 (計97点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前9時30分~午後5時
※ただし金、土曜日は午後8時まで開館
1月16日(土)より当面の間、夜間開館は中止します
※いずれも入館は閉館の30分前まで
※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生、18歳未満、65歳以上:無料
※( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。

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※本券ではコレクション・ギャラリーのみご観覧いただけます。企画展はご観覧いただけませんので、ご注意ください。

コレクション展無料観覧日 2020年12月26日
※都合により変更する場合があります。

コレクション展夜間割引 夜間開館日の午後5時以降、コレクション展観覧料の夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
※午後5時以降に観覧券をご購入、入場されるお客様に割引を実施します。
※観覧券のご購入、入場は閉館の30分前まで。

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