展覧会アンドリュー・ワイエス展
アンドリュー・ワイエス展
HOME > 展覧会 > 過去の展覧会 1974(昭和49)年度 > アンドリュー・ワイエス展
第2次世界大戦後、世界の現代美術の推進力はパリからニューヨークに移ったといわれ、日本においても活発なニューヨーク・スクールの紹介が行われてきた。そしてこのたび、日本ではほとんど名前も知られていなかったアメリカの写実主義の地方画家アンドリュー・ワイエスの展覧会が、まったく予期しない爆発的な人気と関心を集めたのは注目すべきできごとであった。(東京展4月6日-5月19日)たしかに近年のニューヨークでもスーパー・リアリズム、フォト・リアリズムとよばれる徹底した迫真描写主義が、最新の絵画動向としておこってはいた。しかし、ワイエスの写実絵画はとり上げる題材においても、また制作の態度においても別個にして独自のものである。彼が描くのは都会風景でもハイウェイでもなく、彼が生まれかつ住みつづけているペンシルヴェニア州のチャッズ・フォード、そして夏期を過ごすメイン州のクッシング周辺の自然のみであり、肖像や人物画は家族や隣人や友人のみであるが、そこには自からニューヨークとは対照的な原アメリカ風景や人物像が息づいている。しかも、都会化や物質文明化されていないワイエスが、その心と眼で選択、瀘化して描くのだからなおさらである。
また、ワイエスが油絵具でなく、テンペラ、水彩で描いているのも興味ぶかい。テンペラ画であるために、油絵の粘っこさの代りに、清潔で暖かみのある材質感と見る人の心を誘いこむようなマットで静かな画面となっていた。したがって西洋画というよりも、もっと広く東洋画にも共通する親しみがあり、日本画系統の作家や愛好家層をも魅了したと思われる。また、ワイエスは自分で考案したドライ・ブラッシュの技法を、大ていは水彩画と併用してペン描きのような鋭い効果を導入していた。
そしてワイエスの画業を通じての世界観ないし絵画思想が、エッセイ「森の生活」で知られる詩人、哲学者ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817~62)に培われているのは注目に値いする。アメリカ文明への反省をうながすこの1世紀あまり前の思想家ソローは、今アメリカで強い関心を以て再評価されつつあるが、ワイエスの絵画が彼の内的生活の率直な反映であること、また、自然への限りない愛着と参入の仕方において、端的にいえばワイエス芸術は絵画におけるソローの現代版としての特質を多分にもっているといえよう。この反文明的であり、かつ東洋の思想家や隠者に共通する思想を背景としたワイエス芸術が、アメリカの現代絵画として日米両国の民衆を熱狂させたのはきわめて興味ぶかい。
- 会期
- 5月25日-7月7日
- 入場者数
- 総数166,505人(1日平均4,381人)
- 出品目録
題名 | 制作年 | 材質 |
---|---|---|
黒がも撃ち | 1941 | 水彩 |
春の花 | 1943 | ドライ・ブラッシュ |
マザーアーチーの教会 | 1945 | テンペラ |
1946年の冬 | 1946 | テンペラ |
海からの風 | 1947 | テンペラ |
「からすが飛んでいった」 | 1949-50 | テンペラ |
ドーヴァを下って | 1950 | テンペラ |
北の岬 | 1950 | テンペラ |
踏みつけられた草 | 1951 | テンペラ |
遥か彼方に | 1952 | ドライ・ブラッシュ |
雪まじりの風 | 1953 | テンペラ |
からす群れ | 1953 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
人里離れて | 1953 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
貝がら | 1953 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
月曜日の朝 | 1955 | テンペラ |
ニコラス | 1955 | テンペラ |
白くさらされたかに | 1955 | 水彩 |
アラン(「焼き栗」のための習作) | 1955 | ドライ・ブラッシュ |
焼き栗 | 1956 | テンペラ |
トム・クラーク | 1956 | 水彩、ドローイング |
ベッド | 1956 | 鉛筆ドローイング |
ロープと鎖(「ブラウン・スイス牛の牧場」のための習作) | 1956 | 鉛筆ドローイング |
ブラウン・スイス牛の牧場 | 1957 | テンペラ |
川の入江 | 1958 | テンペラ |
船曳き場 | 1958 | ドライ・ブラッシュ |
粉ひき小屋 | 1959 | ドライ・ブラッシュ |
冬の蜂の巣 | 1959 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
卵のはかり | 1959 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
トムと娘 | 1959 | 鉛筆ドローイング ドライ・ブラッシュ |
ゼラニウム | 1960 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
仔牛 | 1960 | ドライ・ブラッシュ |
牛乳かん | 1960 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
五月の日 | 1960 | 水彩 |
堰 | 1960 | 水彩 |
遠雷 | 1961 | テンペラ |
眠り | 1961 | ドライ・ブラッシュ |
野いちごをつむ人 | 1961 | ドライ・ブラッシュ |
永遠の心尽くし | 1961 | ドライ・ブラッシュ |
穀物倉 | 1961 | 水彩 |
洗濯もの | 1961 | 水彩 |
こけもも | 1961 | 水彩 |
チェスター郡の人 | 1962 | 水彩 |
屋根裏部屋 | 1962 | ドライ・ブラッシュ |
まきストーヴ | 1962 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
彼女の部屋 | 1963 | テンペラ |
祭りの日 | 1963 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
毛皮の帽子 | 1963 | ドライ・ブラッシュ ドローイング |
しまりすジョージの住み家 | 1963 | 水彩 |
バケツ | 1963 | 水彩 |
シダー酒用のりんご | 1963 | 水彩、ドローイング |
流れ者 | 1964 | ドライ・ブラッシュ |
風下 | 1965 | テンペラ |
納屋のつばめ(「風下」のための習作) | 1965 | 水彩、ドローイング |
ひとりごと | 1965 | ドライ・ブラッシュ |
海の嵐 | 1965 | ドライ・ブラッシュ |
へぎ板の灰かご | 1965 | 水彩 |
遥なるニードハム | 1966 | テンペラ |
マガの娘 | 1966 | テンペラ |
ガニング・ロックスの思い出 | 1966 | ドライ・ブラッシュ |
流域 | 1966 | 水彩 |
泉からのひき水 | 1967 | テンペラ |
フランス風のまき髪 | 1967 | ドライ・ブラッシュ |
霜がれたりんご | 1967 | 水彩 |
エプロン | 1967 | 水彩、ドローイング |
歩哨のように | 1968 | テンペラ |
アルヴァロとクリスティーナの家 | 1968 | 水彩 |
浮氷 | 1968 | 水彩 |
ウィラードの上着 | 1968 | 水彩 |
私の姉 | 1968 | 鉛筆 |
題名 | 制作年 | 材質 |
---|---|---|
黒人 | 1969 | テンペラ |
薄氷 | 1969 | テンペラ |
おとめ | 1969 | テンペラ |
凍りかけた池 | 1969 | 水彩 |
ケルナー牧場の夕暮れ | 1970 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
森かげで | 1970 | ドライ・ブラッシュ |
田舎の婚礼 | 1970 | 水彩 |
もみの森 | 1970 | 水彩 |
アンナ・ケルナー | 1971 | テンペラ |
ちん入者 | 1971 | テンペラ |
老船員 | 1971 | テンペラ |
氷雨あらし | 1971 | ドライ・ブラッシュ |
ケルナー夫妻 | 1971 | ドライ・ブラッシュ |
ウィル | 1971 | ドライ・ブラッシュ |
からすの巣 | 1971 | 水彩 |
ひき臼 | 1972 | 水彩 |
鷹の木 | 1973 | ドライ・ブラッシュ 水彩 |
悪夢 | 1973 | 水彩 |
鯨の骨 | 1973 | 水彩 |
- 新聞雑誌関係記事
-
日経 4月30日、5月24日、5月25日、5月29日-6月6日、6月20日-6月25日、6月3日、7月2日、7月7日、6月15日(吉田光邦)
京都 6月1日
サンケイ(夕刊)6月3日
朝日(夕刊)6月5日
毎日(夕刊)6月20日
毎日(夕刊)7月4日(鈴木 進)
このページの先頭へ