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展覧会[クッションから都市計画まで]ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相 1900―1927

[クッションから都市計画まで]ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相 1900―1927

 本展は、今まで我が国でほとんど紹介されることのなかった、第一次世界大戦前後、つまり世紀末からバウハウス誕生に至るドイツにおける近代デザインの動向を検証するべく企画された。その際それを、バウハウスを金字塔とする従来の近代デザイン史の文脈から回顧するのではなく、1907年に設立された「ドイツ工作連盟」の活動を中心に、そのイデオローグであったヘルマン・ムテジウスの言説から再構築することを目指した。
 「ドイツ工作連盟」は、20世紀に入り社会の産業化が進むにつれ、日常生活とそれを取り巻く様々なものの改良と質の向上が急務とされた社会状況を背景として設立された。参加者には、ペーター・ベーレンスやリヒャルト・リーマーシュミット、カール・エルンスト・オストハウス、フリードリヒ・ナウマンや若きグロピウスやタウト兄弟ら、芸術家・建築家・資本家・政治家など多様な人々が含まれ、「芸術と産業の融合と近代化」という連盟の活動理念は、主に展覧会・出版活動を通して一般に流布された。中でも1914年の第1回ドイツ工作連盟ケルン展と1927年にシュトゥットガルトで開催された「住居」展が、よく知られている。この連盟発足の中心人物であったヘルマン・ムテジウス(1862―1927)は、ドイツでのイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動紹介者として知られ、若き日に日本に滞在した経験を持っていた。また彼は、建築家として数多くの郊外住宅を設計する一方、生涯ドイツ政府官吏として連盟の理念である芸術と産業の近代化に尽力し、それを支える工芸学校教育システムの改革に腐心し、更に彼の幅広い批評活動は様々な書籍や新聞雑誌記事として公にされ、当時のデザイン理念の動向に大きな影響を与えたのである。しかし、1914年のケルン展開催を機におこった「規格論争」で連盟内の若い世代から批判を浴び、その後彼の活動が取り上げられる機会はほとんどなかった。
 本展は、ドイツ及び日本で所蔵されている作品・資料約200点で構成された。それらの多くは日本初公開のものであり、20世紀初頭ドイツにおけるデザインの実作品に触れる貴重な機会となった。また本展に併せてシンポジウムが開催され、展覧会だけでなくそこでの活発な議論を通しても、近代デザイン史に新たな視点を提供できたものと自負する。
 本展は、京都会場終了後、東京国立近代美術館工芸館(一部本館)でも開催された。

会期
11月2日―12月23日(46日間)
入場者数
12,842人(1日平均285人)
共催
東京国立近代美術館、堂本印象記念近代美術振興財団
出品作品数
209点
カタログ
『[クッションから都市計画まで]ヘルマン・ムテジウスとドイツ工作連盟:ドイツ近代デザインの諸相1900-1927』/26.1×17.6cm/462頁
監修・編集:池田祐子(京都国立近代美術館)/デザイン:西岡勉/発行:京都国立近代美術館
所収論文:「はじめに:木から竹へ―相容れない相互を結んで」アンナ・マイクラー、「ヘルマン・ムテジウスと初期工作連盟」フレデリック・J・シュワルツ、「ヘルマン・ムテジウス、調和的文化、近代的様式、ザッハリヒカイト」フェドール・ロート、「ヘルマン・ムテジウスと日本」池田祐子、「ヘルマン・ムテジウスおよびドイツと英国の言説:1896―1905」ローリー・A・スタイン、「第一次世界大戦中のドイツ工作連盟の国際戦略について」ローリー・A・スタイン、「再定義される〈生活世界〉―ドイツ工作連盟の’20年代」田所辰之助、「反フォルマリズムの碧海:ポスト・ヴァイセンホーフのジードルンク戦略」田所辰之助、「ある巨匠の最後の言葉『新しい建築法』」ヘルマン・ムテジウス、「ヘルマン・ムテジウス」ヴァルター・リーツラー
巡回先
東京国立近代美術館工芸館・本館企画展示室

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