展覧会ドイツ・リアリズム
ドイツ・リアリズム
HOME > 展覧会 > 過去の展覧会 1976(昭和51)年度 > ドイツ・リアリズム
本展は1919年から1933年にいたるドイツ美術におけるリアリズムの諸傾向を紹介しようとするものである。1919年はドイツにワイマール共和国が生まれた年であるが、第一次世界大戦後における混乱と疲弊に苦しみ、特に賠償によるインフレから政情は不安定で、左右の対立はいよいよ激化していった。しかも、1920年代の終りには世界的な大恐慌がおしよせ、ワイマール共和国も、失業者が増大して、不景気は深刻となる一方、国家社会主義をとなえるナチスが抬頭して、1933年にはついに共和国が崩壊するに至る。
従って、本展で紹介されるのはワイマール共和国時代の美術といえるが、この間の美術には、それまでの主観的な意力を強く盛り上げた表現主義に対して、むしろ社会のすがたを直視して、その真実を明らかにしようとするリアリズムが追求された。
資本主義社会に生きる人間の疎外を事物によって鋭く表現したマックス・ベックマン、オットー・ディクス、ゲオルゲ・グロスらの真実主義。当時の現実を客観的に捉え、創造主体としての画家が対象に対して独自の立場に立つことを認めず、モティーフを孤立したバラバラのものとして取り扱うことによって、特殊と一般のつながりや社会の一体性の欠除を示したアレキサンダー・カーノルト、フランツ・ラーツィヴィル、ゲオルク・シュリンプからの新即物主義。真実主義や新即物主義とは異り、人間が社会の諸関係の客体として姿を見せるだけでなく、歴史を革命する主体として示そうとした、ケーテ・コルヴィッツ、オットー・ナーゲル、ハンス・グルンディヒ、オスカー・ネルリンガーらの革命的プロレタリア美術。この他、フォトモンタージュやその他の傾向をまじえて、この時代のドイツ美術の傾向を具体的に把握できるように陳列した。
本展は、これまでほとんど日本には知られていなかった、ワイマール共和国の美術をはじめてまとまった展覧会として紹介したもので、識者の注目を集めた。
- 会期
- 4月1日~5月16日
- 入場者数
- 総数46,241人(1日平均1,156人)
- 共催
- 東京国立近代美術館 日本経済新聞社 ベルリン国立美術館
- 後援
- 外務省 文化庁 ドイツ民主共和国外務省 ドイツ民主共和国文化省
- 出品目録
作家名 | 題名 | 制作年 | 寸法(cm) | 材質 |
---|---|---|---|---|
バルラッハ、エルンスト | 歌う男 | 1928 | 高50 | ブロンズ |
〃 | パウル・ヴェーゲナーII | 1930 | 高39.5 | 〃 |
〃 | 懐疑する人 | 1931 | 高51.5 | 〃 |
ベックマン、マックス | 家路(『地獄』連作No.1) | 1919 | 73×48.5 | 石版 |
〃 | 夜(『地獄』連作No.6) | 〃 | 55.5×70.3 | 〃 |
〃 | 愛国の歌(『地獄』連作No.8) | 〃 | 77.5×54 | 〃 |
〃 | 最後のもの(『地獄』連作No.9) | 〃 | 66.8×47.2 | 〃 |
〃 | 射的場(『年の市』連作No.4) | 1921 | 42.4×31.8 | 銅版 |
〃 | 黒人(『年の市』連作No.6) | 〃 | 29.2×25.8 | 〃 |
〃 | ダンサー、セント・マヘサの肖像 | 〃 | 57.5×41 | 石版 |
〃 | 失望した人たちI(『ベルリンの旅』連作No.2) | 1922 | 49×37 | 〃 |
〃 | 乞食(『ベルリンの旅』連作No.7) | 〃 | 46.5×33.5 | 〃 |
ベリング、ルドルフ | 真鍮の首 | 1925 | 高38 | 真鍮 |
ベルクアンダー、ルドルフ | 街のカップル | 1931 | 64.5×49 | 油彩・板 |
ブルーメンタール、ヘルマン | 立っている少年 | 1929-30 | 高91 | ブロンズ |
ディクス、オットー | マックス・ヨーンの肖像 | 1920 | 69.5×59 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 屋根裏部屋の老いた労働者 | 〃 | 76×47.5 | 油彩・板紙 |
〃 | 傷痍軍人 | 〃 | 25.4×39.6 | 銅板 |
〃 | 子を抱く女 | 1921 | 120×81 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | ハイナー・シリングの肖像 | 1922 | 82.5×60.5 | 〃 |
〃 | 死を恐れぬもの(『サーカス』連作No.1) | 〃 | 34.6×27.6 | 銅版 |
〃 | 年老いた恋人たち | 1923 | 152×100 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 偉大な時代の記念のために | 〃 | 37.5×30 | 水彩 |
〃 | 照明弾に照らされたドントリーンの弾痕(『戦争』連作第1集No.4) | 1924 | 19.3×25.5 | 銅版 |
〃 | 壕の中の食事-ロレット高地(『戦争』連作第2集No.3) | 〃 | 19.2×28.5 | 〃 |
〃 | 1917年の死の舞踏-死人の高地(『戦争』連作第2集No.9) | 〃 | 24×29.5 | 〃 |
〃 | 狂人との夜の出合い(『戦争』連作第3集No.2) | 〃 | 25.5×19.3 | 〃 |
〃 | ヴィーチェーテ平原の夕暮-1917年11月(『戦争』連作第3集No.7) | 〃 | 24×29.5 | 〃 |
〃 | 爆撃されるレンス(『戦争』連作第4集No.3) | 〃 | 29.3×24 | 〃 |
〃 | ブリュッセルにおける前線の兵士(『戦争』連作第4集No.4) | 〃 | 28.3×19.3 | 〃 |
〃 | メリクールのジェルメーヌ夫人のところで(『戦争』連作第4集No.6) | 〃 | 25.5×19.2 | 〃 |
〃 | 家族の肖像 | 1925 | 100×79 | テンペラ・板 |
〃 | ジャズ・バンド | c.1925 | 49.9×49.9 | 鉛筆 |
〃 | マリアンネ・フォーゲルザンクの肖像 | 1931 | 60×44 | 併用技法・キャンヴァス |
ドレスラー、アウグスト・ヴィルヘルム | 靴屋 | 1924 | 85×70 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | ベッドのそばの裸婦 | c.1933 | 50×39 | 水彩 |
エームゼン、ハインリヒ | 私の子どもたち | 1922 | 85×66.5 | 油彩・板 |
〃 | 自画像 | 1929 | 130×100 | 油彩・キャンヴァス |
フェリクスミュラー、コンラート | カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクを追悼して | 1919 | 71×49 | 石版 |
〃 | 同志 | 1920 | 54×69 | 石版 |
〃 | 鉱夫の夜のストライキ | 1921-22 | 64.7×50.2 | ペン・筆 |
〃 | 海辺の少女 | 1926 | 60×90 | 油彩・キャンヴァス |
作家名 | 題名 | 制作年 | 寸法(cm) | 材質 |
---|---|---|---|---|
フェリクスミュラー、コンラート | ユタの肖像 | 1928 | 98×65 | 油彩・キャンヴァス |
フールマン、パウル | 政治犯 | 1931 | 121×100 | 油彩、コラージュ・キャンヴァス |
グレックナー、ヘルマン | 道しるべ | 1927 | 60×40 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 大きな煙突 | 1931 | 105×42 | 併用技法・板 |
〃 | 灰色の煙突 | 〃 | 43×40 | 併用技法・板紙 |
〃 | 白い煙突 | 1932 | 49.3×37 | 併用技法・キャンヴァス |
グリーベル、オットー | 日曜日の午後 | 1920 | 43×31.5 | 鉛筆 |
〃 | ヒアワタ・タンツ | 〃 | 35.4×24.5 | 水彩 |
〃 | 歌う物乞い | 1925 | 52.1×37.3 | 水彩、鉛筆 |
グロス、ゲオルゲ | 我らが日常 | 1919 | 40×59 | ペン、筆 |
〃 | 仕事じまい(『神、我らと共にあれ』連作No.3) | 1920 | 38.7×29.9 | 石版 |
〃 | 甲種合格(『神、我らと共にあれ』連作No.5) | 〃 | 31.6×29.6 | 〃 |
〃 | 共産主義者が減り、配当は増える(『神、我らと共にあれ』連作No.8) | 〃 | 38.1×50 | ペン、筆 |
〃 | 断面(『この人を見よ』連作No.68) | 〃 | 28.1×15.9 | オフセット版の複製 |
〃 | 「俺を邪魔するやつは誰であろうと皆殺し」(『群盗』連作No.1) | 1922 | 57.6×42.6 | 石版 |
〃 | 強い者が正しい(『群盗』連作No.9) | 〃 | 49.9×38 | 〃 |
〃 | パリ | 1925 | 72×54 | 水彩、ペン |
グルンディヒ、ハンス | 恋人同士 | 〃 | 90.5×109.5 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 失業した煙草作りの女工 | 〃 | 91×62 | 油彩・板紙 |
〃 | 寝室 | c.1928 | 66×75.5 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 冷たい夜(嵐の郊外) | 1928 | 61×90 | 〃 |
〃 | ドイツ共産党の集会 | 1932 | 67×122 | 〃 |
〃 | 自画像 | 1933 | 118.5×82 | 〃 |
グルンディヒ=ランガー、レア | 通りで遊ぶ子どもたち | 1930 | 53.5×41.5 | 木炭、墨 |
〃 | 立っている労働者 | 1932 | 60.2×40 | コンテ |
ギュンター、クルト | 新救世主カール・ザイデル | 1922 | 54.1×42 | 鉛筆 |
〃 | ラジオを聞く男 | 1927 | 55×49 | テンペラ・板 |
ハートフィールド、ジュン(本名ヘルツフェルト、ヘルムート) | 手には5本の指がある | 1928 | 64×48 | フォトモンタージュ |
〃 | 黒人も白人も闘争の中で団結しよう! | 1931 | 64×48 | 〃 |
〃 | ヒトラー式敬礼の意味 | 1932 | 38×27.5 | 〃 |
〃 | 社会の支柱、世界は万事OK! | 1933 | 35×24.5 | 〃 |
〃 | 今も変らぬ鉄血政策 | 1934 | 64×48 | フォトモンタージュによる写真版 |
ヒポルト=アーネルト、グシー | 布をかぶった裸婦 | 1931 | 91×67 | 油彩・板 |
ホーファー、カール | 叫ぶ人 | 1924 | 109×88 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 窓辺の男 | 1927-30 | 100×90 | 〃 |
ホフマン、オイゲン | オットー・ディクスの肖像 | 1925 | 高34 | ブロンズ |
〃 | 受賞者 | 1928 | 高193 | 〃 |
フーブフ、カール | ベルリン、ヤノヴィツ橋 | 1922 | 24.8×30.8 | 銅版 |
〃 | 連隊記念日の夢 | 1925 | 54.4×45 | 鉛筆、水彩、ポスターカラー |
カーノルト、アレキサンダー | オレヴァーノ | 1924 | 91×71 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 静物I | 1926 | 78.5×64 | 〃 |
〃 | 静物II | 〃 | 105×65 | 〃 |
カルシュ、ヨアヒム | 姉妹 | 1931 | 高100 | ブロンズ |
〃 | ハーモニカを吹く男 | 1934 | 高63.5 | 〃 |
作家名 | 題名 | 制作年 | 寸法(cm) | 材質 |
---|---|---|---|---|
コルベ、ゲオルク | 大聖堂 | 1922 | 高56.5 | ブロンズ |
コルヴィツ、ケーテ | カール・リープクネヒトの追悼のために | 1919-20 | 41×65 | 石版 |
〃 | 母子 | 1919 | 48.3×54.3 | コンテ |
〃 | 嘆く両親 | 1920 | 47.7×62.1 | 木炭 |
〃 | ロシアを救え | 1921 | 40×47.5 | 石版 |
〃 | 反戦の誓い | 1924 | 23.5×17 | 〃 |
〃 | 飢餓(『プロレタリアート』連作No.2) | 1925 | 59×43 | 木版 |
〃 | 子どもの死(『プロレタリアート』連作No.3) | 〃 | 36.5×27.7 | 〃 |
〃 | 橋の下で | 1928 | 50.1×69.7 | コンテ |
クレッチマー、ベルンハルト | 集会 | 1920 | 30×37.4 | 銅版 |
〃 | 葉巻作り(『体験』連作No.6) | 1921 | 29.6×36.4 | 〃 |
〃 | デーベルンの日曜日(『体験』連作No.13) | 〃 | 26.3×31 | 〃 |
〃 | 書記クリューガーの死 | 1922 | 21×46 | 〃 |
〃 | ドレスデン郊外のニーダーポイリツの旅館、レユニオン館 | 1923 | 73×101 | 油彩・板紙 |
〃 | 洋服屋 | 1927 | 84×100 | 油彩・板 |
〃 | 埋葬(『一人の人間のために』連作から) | 1930 | 27.5×43.5 | 銅版 |
ラハニット、ヴイルヘルム | 共産主義者クルト・フレーリヒ | 1924-28 | 50×52 | 油彩・板 |
〃 | 毛皮をはおった女(マリア・トケヴァ) | 1925 | 120×67 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 疲れた女 | 1932 | 78×64.5 | 併用技法・板 |
〃 | カーテンと風景のある花束 | c.1933 | 75×54.5 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 悲しい春 | 1933 | 35×29 | 油彩・板 |
レンク、フランツ | じょうろとバケツと箱のある静物 | 1927 | 119.5×88 | 〃 |
レックス=ネルリンガー、アリス | 刑法218条 | 1931 | 95×76.5 | 吹きつけ・キャンヴァス |
マルクス、ゲルハルト | 少年 | c.1925 | 高68 | ブロンズ |
メンゼ、カール | ユダヤ教の牧師と娘 | c.1926 | 90×101 | 油彩・キャンヴァス |
ナーゲル、オットー | 未亡人 | 〃 | 75.5×60.5 | 〃 |
〃 | ヴェディングの公園のベンチ | 1927 | 135.5×198 | 〃 |
〃 | ヴェディングの子どもたち | 1928 | 91×62 | 〃 |
〃 | アニリン工場の労働者 | 1928 | 73×57 | 〃 |
ナーゲル、オットー | 早朝出勤 | c.1929 | 79.5×115 | 油彩・キャンヴァス |
ネルリンガー、オスカー | エミールのあんちゃん | 1925 | 80×60 | 〃 |
〃 | 仕事場へ | 1930 | 121×81 | カゼインとテンペラの吹きつけ・キャンヴァス |
〃 | 農場管理人の旦那 | 1931 | 51×73 | 吹きつけ、水彩 |
ノイシュール、エルネスト | 安酒場II | 1926 | 98×80 | 油彩・キャンヴァス |
クヴェルナー、クルト | デモンストレーシュン | 1930 | 87×66 | 〃 |
〃 | 年老いた失業者 | 1930 | 48×38.4 | 鉛筆 |
〃 | 妻と一緒の自画像 | 1931 | 95×87 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 農婦のいる3月風景 | 1933 | 103×71 | 油彩・板 |
〃 | 赤い帽子の村娘 | 〃 | 43.5×33 | 水彩 |
ラーツィヴィル、フランツ | ショールの砂丘 | 1927 | 47×57 | 併用技法・キャンヴァス |
〃 | 教会の見えるドレスデン風景 | 〃 | 27.5×45.5 | 水彩 |
〃 | 2隻の汽船の停泊する港 | 1930 | 76×99.5 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 罐と瓶と茶碗のある静物 | 1932 | 22.6×37.2 | 水彩、鉛筆 |
レッシング、カール | 処刑に立ち会う報道写真家(『この時代に対する私の偏見』連作から) | 1928 | 18.4×13.4 | 木版 |
〃 | 申し分のない訴訟処理(『この時代に対する私の偏見』連作から) | 〃 | 18.1×13.3 | 〃 |
ルドルフ、ヴィルヘルム | 芸術家の父 | 1920-21 | 109×93 | 油彩・キャンヴァス |
シュリヒター、ルドルフ | マルゴット | 1924 | 110.5×75 | 〃 |
〃 | 男の肖像 | 1920-29 | 100×74 | 油彩・板紙 |
ショルツ、ゲオルク | 新聞売り | 1922 | 31×60.8 | 石版 |
シュリンプ、グオルク | 子どもの像 | 1925 | 56×48 | 油彩・キャンヴァス |
〃 | 風景 | 1927 | 52×75 | 〃 |
〃 | 3人の少女 | 1932 | 60×90 | 〃 |
シュピース、ヴァルター | 別れ | 1921 | 74.5×94.5 | 〃 |
〃 | 回転木馬 | 〃 | 79×105.5 | 〃 |
フェルカー、カール | コンクリート | 1923 | 44×84 | 〃 |
〃 | 工場風景 | 〃 | 90×90 | 〃 |
〃 | プロレタリアの娘 | 1925 | 88.5×74 | 油彩・板紙 |
フォーゲラー、ハインリッヒ | バクー | 1927 | 125×90 | 油彩・キャンヴァス |
ヴァッカー、ルドルフ | リンダウの古い家 | 1928 | 78×59 | 油彩・板 |
ヴューステン、ヨハネス | 鉄道事故-死の舞踏 | 〃 | 23.7×16.1 | 銅版 |
〃 | 市場 | 1929 | 24×18 | 〃 |
〃 | ゲルリツの町の見える自画像 | 1930 | 23.2×17.4 | 〃 |
- 新聞雑誌関係記事
-
日経/4月2日
日経(夕)/4月2日~9日7回連載(山本 弘・会田雄次・黒崎 彰・佐治敬三・谷 友幸・石本 正・瀬戸内晴美) 4月10日~5月1日3回連載(芝田米三・吉田光邦・木村重信)
京都/4月3日(藤 慶之)
朝日(夕)/4月3日(池田 弘)
毎日(夕)/5月12日(亀田正雄)
読売(夕)/4月16日
サンケイ(夕)/4月10日
このページの先頭へ