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陶片 No.8

陶片からなにがみえるかな?

ビン_ノ_カタ

テキスト:中村裕太

師をもたなかった石黒にとって、陶片は何よりも学ぶべきものだった。京都の蛇ヶ谷時代から晩年まで親交を深めていた陶磁器研究家の小山冨士夫(1900-1975)は、1943年に『宋磁』を刊行する。そのなかに掲載された中国の古陶磁と石黒の陶器には類似性を見出すことができる。しかしながら、石黒はどれもそのまま模倣したわけではない。器形や描かれた図像が少しずつ異なっているのだ。哲学者の谷川徹三(1895-1989)は『石黒宗麿作陶五十選』のなかで、「中国的な固い冷たさをほのかに温かいものにしている」と指摘している。この陶片は、瓶の肩の内側にコテが届かなかったため、手で捻った跡が見られる。このような瓶のかたちは、『宋磁』にも数点見られるが、彫られた模様に類例がなく、石黒による創作と思われる。こうした青磁の陰刻は、八瀬ではあまり作られていなかったので、蛇ヶ谷時代に作った陶器なのかもしれない。

*なお本図版は、大阪市立東洋陶磁美術館が所蔵している《青磁刻花牡丹唐草文瓶(燿州窯)》である。汝窯址が河南省清凉寺で発見され、実態が明らかになるのは1980年代以降であるため、小山冨士夫が『宋磁』で取り上げた当時は、青白磁や燿州窯を汝窯とみる研究者が多かった。

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汝窯青磁牡丹唐草片彫文瓶
《汝窯青磁牡丹唐草片彫文瓶》出典:小山冨士夫『宋磁』聚楽社、1943年

ABCコレクション・データベース vol.1 石黒宗麿陶片集

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