萌えいずる声 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》上映+シンポジウム 実施報告

開催日
2月9日(日)13:00~17:00
会場
京都国立近代美術館 1階講堂
主催
京都大学大学院 人間・環境学研究科 岡田温司研究室
共催
新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業実行委員会、京都国立近代美術館
イベント詳細
萌えいずる声 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》上映+シンポジウム

【実施報告】

萌えいずる声 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》上映+シンポジウム (写真はクリックまたはタップすると拡大します)

 「ひらきまつり!」の最後のイベントとして、映像の上映とシンポジウムを、京都大学大学院人間・環境学研究科 岡田温司研究室との共催で実施した。上映した映像は、アーティストの百瀬文氏による《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》という作品である。ろう者と聴者が語り合うこの作品をめぐり、おもに「声」の問題を扱うシンポジウムを、岡田温司氏(西洋美術史)、木下知威氏(建築計画学、建築史)、黒嵜想氏(批評家)、百瀬文氏(アーティスト)の四人を登壇者として行った。

 最初に登壇した百瀬氏は、本作を制作するにあたって木下氏と接触し、制作に対して抱いた問題提起を、パフォーマンスを交えて話した。黒嵜氏は、声と人格の問題について、アニメなどの事例の紹介を交えて語った。岡田氏からは、閾としての声である喃語という問題など、哲学的な先行研究をもとに「声」の定義をめぐるテーマが語られた。また木下氏は、作品を分析しつつ、またろう者が記録された、あるいは声がテーマとなった映画のなかに、今回の映像を位置づけた。その後の討議は、会場からの質問に答える形で進められた。
 この上映会・シンポジウムでは当館としては初めて大々的な情報保障を取り入れた。
登壇者、また来場者のなかに、ともにろう者がいるという状況のなかで、学術手話通訳者を4名配置するとともに、また文字通訳としてコミュニケーション支援アプリ「UDトーク」をつかったサポートもおこなった。木下氏の協力も得ながら、現状考えられる万全の情報保障をあえて取り入れたのも、このシンポジウムが、「声」というテーマを扱ったことによる。そのことを強く意識させる場面が、このシンポジウムのなかであった。それは、木下氏が発表の最後に、自らの「声」をつかったことだ。ろう者である木下氏の発した声を、通訳者の手を止めさせて発した声を来場者が受け止めるという場面を生み出すことで、会話あるいは音声といった現象的な「声」の定義とは異なる、「声」とはなにかという根源的な意味を問いかける機会となった。

萌えいずる声 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》上映+シンポジウム
萌えいずる声 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》上映+シンポジウム

 当館での事業では、これまで視覚障害のある方との活動を続けてきたが、あらためて美術を通してこうした身体感覚に関する根源的なテーマに立ち返るイベントの重要性を感じるものであった。本シンポジウム終了後も各方面から感想、批評が述べられるなど波紋を起こしている。

(文責:本橋仁)

<主な感想>

百瀬の今回の作品は、鑑賞体験としてとても不思議な感覚でした。(中略)私は普段ろう者の方と接する機会がないので今回シンポジウムの構成も含めてとても新鮮で興味深かったです。(手話の同時通訳など)きこえる・きこえないに関わらず、人と人とがコミュニケーションを取ること、人からどのようにメッセージを受け取るかなどシンポジウムが始まる前に比べたら身近な話題のように感じられました。(20代)

百瀬さんの作品上映と字幕でのプレゼンテーションが特によかったです。私は司会の仕事をしているため、特にイベントの最初にどのような調子で話し始めるかということに気を付けているのですが、手話でのコミュニケーションにもそのような表現の在り方があるのだろうか?などと考えながら伺っていました。(50代女性)

「唇は声、表情を見せることでことばになる」というフレーズが今日の収穫です。聴者にとっても「ことば」は「意味のある音の連なり」以外の部分も含むものです。「百瀬さんが変わった声になったところで、ミューズになった」という発言で、映像の中で「木下」の表情(目つき)が変わった訳が分かりました。その意味で四者の発表の方法が、聴者3 名の方に文字で綴られ「表情」がなく、木下さん朗読に「表情」があったことに、偶然かもしれませんが一連の「作品」を感じました。(50代女性)


▲PAGE TOP