感覚をひらく
──新たな美術鑑賞プログラム創造推進事業
エデュケーショナル・スタディズ03
眼で聴き、耳で視る
中村裕太が手さぐる河井寬次郎
エデュケーショナル・スタディズ03「眼で聴き、耳で視る|中村裕太が手さぐる河井寬次郎」では、河井寬次郎(1890– 1966)が晩年に制作した《三色打薬陶彫》(1962年)に焦点を当てます。寬次郎はなぜ人差し指の上に玉を乗せたのでしょうか。この展示では、「暮しが仕事 仕事が暮し」という寬次郎の言葉(『いのちの窓』1948年)を手がかりに、寬次郎の暮しぶりに触れていくことで、その造形感覚を読み解いていきます。
寬次郎は自らがデザインした家具や愛用品に囲まれた空間で、トランジスタラジオを聴いていました。そして、機械製品、仏像、西洋絵画、建築、こどもの詩や薬品などの新聞記事を切り抜き日記に挟むといった暮しを営みながら、日々の仕事を行っていました。また「眼聴耳視」という寬次郎の言葉からは、身近な自然や機械製品のかたちを身体感覚によってとらえ、自身の中で溶け合わせ調和させながら自由な造形を生み出していった姿を想像することができます。
会場では、寬次郎が切り抜いた新聞記事をはじめ、安原理恵による河井寬次郎記念館の物品を触れて鑑賞した音声、それをもとにした中村裕太の手でふれる造形物を設えます。そうした空間のなかで「さわる」「きく」などの感覚を使って、寬次郎の作品づくりを新たな角度からひも解いていきます。
展覧会情報
関連図版一覧
プロフィール
河井寬次郎(かわい・かんじろう)
1890年島根県安来市生まれ。東京高等工業学校窯業科を卒業後、1914年に京都市陶磁器試験場に入所。1920年に京都の鐘鋳町にあった窯を五代清水六兵衞から譲り受けて独立し、住居を構え終生そこで創作を行う(現在の河井寬次郎記念館)。1921年から髙島屋(東京・大阪)で継続的に個展を開催。このとき当時髙島屋東京店の宣伝部長であった川勝堅一氏と知り合う。1926年に民芸運動の始まりとなる『日本民藝美術館設立趣意書』を発表、富本憲吉、濱田庄司、柳宗悦とともに名を連ねる。戦時中は文筆活動に埋没し、戦後はやきものに加えて、用途にとらわれない不定形な造形や、手をモチーフにしたものや人物像、面などの木彫を制作した。京都国立近代美術館には、河井の友人であり支援者でもあった川勝堅一氏から寄贈された425点の作品が「川勝コレクション」として所蔵されている。
kanjiro.jp
中村裕太(なかむら・ゆうた)
1983年東京生まれ、京都在住。2011年京都精華大学博士後期課程修了。博士(芸術)。京都精華大学芸術学部特任講師。〈民俗と建築にまつわる工芸〉という視点から陶磁器、タイルなどの学術研究と作品制作を行なう。近年の展示・プロジェクトに「第20回シドニー・ビエンナーレ」(2016年)、「あいちトリエンナーレ」(2016年)、「柳まつり小柳まつり」(ギャラリー小柳、2017年)、「MAMリサーチ007:走泥社─現代陶芸のはじまりに」(森美術館、2019年)、「ツボ_ノ_ナカ_ハ_ナンダロナ?」(京都国立近代美術館、2020年)、「丸い柿、干した柿」(高松市美術館、2021年)、「万物資生|中村裕太は、資生堂と を調合する」(資生堂ギャラリー、2022年)。著書に『アウト・オブ・民藝』(共著、誠光社、2019年)。
nakamurayuta.jp
関連プログラム
「ABC、ただいま在室中。」
イベント概要
本展の会期中、一日限りで、プロジェクトメンバーの中村裕太さん・安原理恵さんが在室し、来場された方とともに、対話したり、触れたり、身振り手振りで伝えあったりしながらゆったり過ごすプログラムを実施しました。
実施日:2022年4月29日
奥付
- 写真:表 恒匡
- フライヤーデザイン・ウェブサイト制作:
Studio Kentaro Nakamura