陶片はどんなコレクションと
つながるかな?
おためしの緊張感
テキスト:
石黒宗麿の数多くの陶片。それを掘り起こすお手伝いさせて頂くと、これは試作じゃないかな?と中村裕太さんに教えてもらう、欠片じゃない試しの数々に出会いました。これは作家じゃなければ分からないことだなと思いつつ、作家同士の心の交流のようなものに思いを馳せました。
さて、作品をつくる上で「試す」という行為は非常に重要です。転ばぬ先の杖じゃないですが、小さいもので色々とテストしてみて、ぐっと真剣に本番に挑む、作品が出来上がるための必要不可欠なプロセスといえるでしょう。わたしの専門である建築であれば、そうたやすく実作をつくることが出来ないわけですから、たいへんです。建ててみて、やっぱダメだよねといって、壊すことなんて出来ないわけですから。そこで、建築では「模型」という、一旦ちいさいサイズで建築の形を検討してみたり、あるいはモックアップと呼ばれる、建築の一部だけを取り出して、実際の建設のように作ってみるということもします。分野が違えば呼び名が異なるようで、彫刻でも同じ用に「マケット」と呼ばれる、小さいさいずの彫刻を作ってみて、最終的に鋳型のブロンズ作品にしていくことなんかもあるわけです。
日本にも古代から、建築のまえのこうしたテストがあったようで、古文書に「様」(ためし)と呼ばれたものがあったようです。ただ、その実態は明らかではありません。なぜなら、試しは世の中にでることが無いわけですし、それを積極的に残そうともしてないからです。石黒宗麿のこうした試しの作品も、我々が掘り起こしてしまったから…怒ってるかもしれませんね。
でも考えてみれば、こうした試しのプロセスこそ、作家にとってきっと楽しいドキドキする、楽しい時間なのではないかと思うこともあります。新しい作品に向けて、未開の地を歩いてみる。試してみるという行為は、とても創造的な世界でもあるといえるでしょう。完成された落ち着きよりも、じつは試したワクワクと、ときに葛藤の姿を、そこに垣間見ることもあるでしょう。石黒宗麿の八瀬とうようの姿に、惚れるのは。こうした作家の生身に触れているからでもあるかもしれません。