陶片はどんなコレクションと
つながるかな?
赦免地、八瀬
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京都から大原に抜ける途中に位置する八瀬。昭和10(1935)年、石黒宗麿はここに窯を構えて、その後の生涯を過ごしました。八瀬には、古からの多くの言い伝えが残っています。まず「八瀬」という名前の由来ですが、これは壬申の乱(672年)にまで遡るのです。この乱で敗れた大海人皇子(後の天武天皇)が敗走したおり、この地で背中に矢を放たれてしまいます。そうしたエピソードから、この場所を「矢」「背」と呼び、それが転じていまの八瀬になったという由来が残されています。
また、南北朝時代(1336-1392年)には足利尊氏が京都に入ると、後醍醐天皇が比叡山に逃げ込みます。この叡山御潜幸と呼ばれる出来事を、八瀬の村の人々が警備役として手伝ったとされています。その恩として、この村の人々は年貢を免除されました。もともと谷あいで平地も少なかったこの村の人々は、この待遇に感謝し、その謝意を示して。祭り「赦免地踊り」が行われるようになりました。いまもこの地の人々で大切に守られています。地元の少年たちが切子灯籠をかぶり、行列を組み練り歩くその姿は、とっても美しいですよ。じつは行列がおわると催し物で京都大学の落研が落語を披露するという、まちの人たちの憩いの機会でもあります。