映像:双六の駒
触察:安原理恵
このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。
ページを閉じる触察:安原理恵
テキスト:中村裕太
鉄絵の発色を見るための色見本である。土の質感はほとんど同じなので鉄絵と釉薬の関係性をみていたのだろう。それぞれの見本には、「一」、「二」、「旧」、「合」と両面に鉄絵で文字が記されている。おそらくは、「一」と「二」が新しく調合した鉄絵と釉薬であり、「旧」はそれまでに使っていたものであろう。さらに「合」は「一」と「二」を掛け合わせたものか、「旧」と「一」か「二」を掛け合わせたものと思われる。陶片は、山型に立つように作られ、鉄絵を描いたあと、釉薬に浸し掛けている。どの色見本が石黒の理想としたものかは定かではないが、その微細な差を見比べて、器物に鉄絵を描いたのだろう。このような鉄絵は、北大路魯山人(1883-1959)の器物にもみることができる。魯山人は「雲錦手」と呼ばれる桜と紅葉の模様の下地として鉄絵で木の枝ぶりだけを描いている。
テキスト:
石黒宗麿の数多くの陶片。それを掘り起こすお手伝いさせて頂くと、これは試作じゃないかな?と中村裕太さんに教えてもらう、欠片じゃない試しの数々に出会いました。これは作家じゃなければ分からないことだなと思いつつ、作家同士の心の交流のようなものに思いを馳せました。
さて、作品をつくる上で「試す」という行為は非常に重要です。転ばぬ先の杖じゃないですが、小さいもので色々とテストしてみて、ぐっと真剣に本番に挑む、作品が出来上がるための必要不可欠なプロセスといえるでしょう。わたしの専門である建築であれば、そうたやすく実作をつくることが出来ないわけですから、たいへんです。建ててみて、やっぱダメだよねといって、壊すことなんて出来ないわけですから。そこで、建築では「模型」という、一旦ちいさいサイズで建築の形を検討してみたり、あるいはモックアップと呼ばれる、建築の一部だけを取り出して、実際の建設のように作ってみるということもします。分野が違えば呼び名が異なるようで、彫刻でも同じ用に「マケット」と呼ばれる、小さいさいずの彫刻を作ってみて、最終的に鋳型のブロンズ作品にしていくことなんかもあるわけです。
日本にも古代から、建築のまえのこうしたテストがあったようで、古文書に「様」(ためし)と呼ばれたものがあったようです。ただ、その実態は明らかではありません。なぜなら、試しは世の中にでることが無いわけですし、それを積極的に残そうともしてないからです。石黒宗麿のこうした試しの作品も、我々が掘り起こしてしまったから…怒ってるかもしれませんね。
でも考えてみれば、こうした試しのプロセスこそ、作家にとってきっと楽しいドキドキする、楽しい時間なのではないかと思うこともあります。新しい作品に向けて、未開の地を歩いてみる。試してみるという行為は、とても創造的な世界でもあるといえるでしょう。完成された落ち着きよりも、じつは試したワクワクと、ときに葛藤の姿を、そこに垣間見ることもあるでしょう。石黒宗麿の八瀬とうようの姿に、惚れるのは。こうした作家の生身に触れているからでもあるかもしれません。
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