映像:ぼちぼち
触察:安原理恵
このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。
ページを閉じる触察:安原理恵
テキスト:中村裕太
石黒は蛇ヶ谷時代から中国の古陶磁を写していた。そのなかでも鈞窯は石黒が得意とした技法の一つである。こうした海鼠釉による鈞窯は、京都を拠点に作陶した河井寛次郎(1890-1966)の陶器にもみることができる。河井は、1921年に東京京橋高島屋にて「第一回創作陶磁展」を開催し、中国や朝鮮の古陶磁を逐った陶器を発表した。当時の新聞や評論家に絶賛される一方、思想家の柳宗悦(1889-1961)は、そうした作陶の方法に不服を申し立てる。その後、河井の作陶は、柳らと民藝運動を協働するなかで、古陶磁の写しから暮らしに即した陶器作り、さらに表情豊かな造形へと展開していく。一方で、石黒はその陶器作りの手法を大きく変えることはなかった。石黒は鈞窯をはじめとしたさまざまな技法を組み合わせることを手法とした。だからこそ、その素材選びや技術開発に対する探究心は凄まじい。清水卯一によると、石黒はどこをいくにもリュック一杯に釉薬の原料を担いでいたという。そして石黒は、千葉県の房州の磨き砂の中に入った鉄分が釉薬に反応することを発見する。この陶片は、流し込みによって海鼠釉の上に銅で濃いブルーの線が掛け分けされている。
テキスト:
石黒宗麿の陶片にのこる線刻と、それによる副産物のバリ。一本の単純な線だけでも、それが作品として結実したときには、作家とモノとの間の力学のようなものが否応なく感じさせられます。作家は、一本の線だけでも緊張や緩和、あるいはスピードなどを宿すことができるのです。
そうした線と力学との関係が作品として昇華されたものに、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の《三つの停止原器》(1913-14/1964年)があります。これは長さ1メートルの紐を、さらに1メートルの高さから落とし、その落下した紐が描いた曲線をかたどったものです。床に落ちたその瞬間を停止の原器とつけています。本来、定めようもない「停止」という状況を、あえて原器と名乗ることで、かつての権威の象徴でもある原器の地位を嘲笑するかのようです。
こうした線に力学を与える作品もあれば、線の抽象性の高さを利用して、そこに意味を詰め込んだ作品もあります。たとえば、長谷川三郎の《蝶の軌跡》(1937年)は、線のみにより、見る人に蝶々の飛ぶ姿を連想させ、同時に、無限の記号にもみえる記号的な意味を付加させることで、そこに軌跡という動きも表現しているといえます。
こうした、「線」による表現は、それが高い抽象性をもつからこそ、そこに様々な意味を見出しうる表現の手法として、作家を掴むのでしょう。
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