映像:魚の骨
触察:安原理恵
このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。
ページを閉じる触察:安原理恵
テキスト:中村裕太
石黒はしばしば犬、羊、牛、魚などの動物を陶器の模様に取り入れている。この陶片は、線刻のバリの跡から勢いよく鳥を描いたことが読み取れる。清水卯一によると、石黒は先端を削って鋭くした釘で文様を彫っていたという。こうした技法は、江戸末期から明治初期に京都で作陶をした大田垣蓮月(1791-1875)の陶器を思い起こさせる。尼僧であった蓮月は焼き物に自作の和歌を釘で彫った「蓮月焼」を作り、京都の土産品として人気を博した。生前から贋作も多く出回り、その制作で食べていけない人に自らの和歌を提供したという逸話も残されている。石黒は蓮月の和歌をもとに「手すさひの つたなきものをもちいでて うるまのいちにたつそわひしき」と読んでいる。蓮月のもとの句は「手ずさびに はかなきものを持ち出でて うるまの市に立ぞわびしき」である。石黒は自らの生業を蓮月と重ねていたのではないだろうか。
テキスト:
石黒宗麿の陶片にのこる線刻と、それによる副産物のバリ。一本の単純な線だけでも、それが作品として結実したときには、作家とモノとの間の力学のようなものが否応なく感じさせられます。作家は、一本の線だけでも緊張や緩和、あるいはスピードなどを宿すことができるのです。
そうした線と力学との関係が作品として昇華されたものに、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の《三つの停止原器》(1913-14/1964年)があります。これは長さ1メートルの紐を、さらに1メートルの高さから落とし、その落下した紐が描いた曲線をかたどったものです。床に落ちたその瞬間を停止の原器とつけています。本来、定めようもない「停止」という状況を、あえて原器と名乗ることで、かつての権威の象徴でもある原器の地位を嘲笑するかのようです。
こうした線に力学を与える作品もあれば、線の抽象性の高さを利用して、そこに意味を詰め込んだ作品もあります。たとえば、長谷川三郎の《蝶の軌跡》(1937年)は、線のみにより、見る人に蝶々の飛ぶ姿を連想させ、同時に、無限の記号にもみえる記号的な意味を付加させることで、そこに軌跡という動きも表現しているといえます。
こうした、「線」による表現は、それが高い抽象性をもつからこそ、そこに様々な意味を見出しうる表現の手法として、作家を掴むのでしょう。
テキスト:
日本では古来より現在に至るまで、動物をテーマにした作品が数多く制作されてきました。京都国立近代美術館のコレクションにも、動物があらわされた作品をたくさん見ることができます。
当館の主な収蔵作家のひとり、河井寬次郎(1890-1966)は、猫を飼い、木彫や陶彫のモチーフとして用いるほどに猫好きだったことで知られています。当館は川勝堅一氏から寄贈された計425点にも上る河井寬次郎コレクションを有しています。その大半は壺や皿といったうつわですが、そんななかに《鉄薬陶彫 少女と猫》という作品があります。笑顔で猫をきゅっと抱きしめる女の子と、身動きせず大人しくしている猫の姿がなんとも愛らしいですね。
また河井より三歳年下の陶芸家石黒宗麿は、シェパードを何匹も飼うほどの愛犬家でした。彼が晩年過ごした八瀬陶窯からは、小さい犬が三匹あしらわれた陶片が見つかっています。こんな風に、作品を読み解いていった先に作家の素顔が垣間見られるのも、鑑賞のひとつの愉しみと言えるかもしれません。
さらに“犬が三匹”にちなんだコレクションといえば、石川光明《仔犬図硯箱》。作者の石川光明(1852-1913)は東京の宮彫師の家に生まれ、人物や動物をモチーフとした牙彫作品で実力を発揮。明治23(1890)年には帝室技芸員に任命され、国内外の博覧会で高い評価を受けました。この作品、金彩で桐文があしらわれ格式高さが漂う逸品ですが、蓋に彫られた三匹の仔犬が身体を寄せ合って覆いかぶさったりクンクン顔を近づけたりしている姿に、とっても癒されます。
テキスト:
京都国立近代美術館のほど近くにある京都市動物園は、1903(明治36)年に大正天皇御成婚を記念して開園しました。東京の恩賜上野動物園(1882年開園)に次ぐ、全国で2番目に歴史のある動物園です。
京都を中心に活躍した竹内栖鳳や山口華楊らの日本画家や洋画家の須田国太郎は、京都市動物園にたびたび足を運んで動物を写生していました。須田国太郎の《動物園》は、まさに京都市動物園での様子を捉えた一枚です。また山口華楊は動物園で豹を目にし、その「身のこなしのしなやかさ、そして餌に近づいていく時の歩く姿がよかった」と、作品のモチーフとして選びました。彼は「正面から、横から、斜めから、さまざまな角度から動き回る動物を相手にデッサンを重ねた。このようにして見るごとに、上から見下ろした位置にこそ、豹の特徴がよく出るように思われた。」とも述べており、《黒豹》(1954年、個人蔵)の制作に向けて描いたと思われる大下絵が、当館のコレクションに入っています。
出典:『絵がかきたうて』日本経済新聞、昭和59年
本コンテンツには音声が含まれます。