映像:この木は渋柿の木
触察:安原理恵
このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。
ページを閉じる触察:安原理恵
テキスト:中村裕太
石黒は、戦後に「彩瓷」という技法をはじめる。素地に白化粧を施し、高温で焼成し、その上に低温で熔ける上絵の具で模様を描いていく。石黒は「陶器の化粧について」『淡交』1952年6月号のなかで、宋磁に見られる白化粧の二重掛けについて述べている。「乾いたら水につければよいと思ふだらうが、水に一寸つけた位では水分が生地の内部まで浸透しない、それかと言つて永くつけて置けばとろけてもとの土になつて仕舞ふ。そこで、水の様ではあるが水より濃度のある薄化粧にひたして、半乾きの状態にもどす。暫時すれば化粧をするに適當な潮時と同じ状態になる、之れで本化粧卽ち濃い化粧をかけても裂ける心配はない」。《壺「晩秋」》は、白化粧した素地の上にペルシャ黒とえび茶の上絵で干し柿が模様化されている。この陶片は本作の試作として作られたものかもしれない。白化粧した素地には、柿と言えるほどの丸みではないが、同じような筆致で上絵が施されている。
テキスト:
石黒宗麿が制作の地として選んだ八瀬。京都北部の山間のこの土地は、もちろん山の緑と、川の青の美しい景色ですが、じつはその家並みは、「赤」かったんです。いまも八瀬に残る古い家をみれば、いまだ外観が赤く塗られています。この赤は「弁柄」と呼ばれる、日本古来の塗装剤で、科学的には「酸化鉄」と呼ばれています。この弁柄を壁に塗ることで、防虫や耐腐食性の効果があり、建物を長持ちさせるのだそうです。いまも京都には、こうした弁柄を売ってくれるお店もあります。
ただこれは、粉なので塗るときにはまた別の材料が必要です。そのとき、この弁柄と混ぜるのが「柿渋」なのです。柿渋は、その名のとおり柿の渋み成分であり、正体はタンニンです。石黒宗麿も作品のモチーフに選んだ干し柿!あの、まさに渋くて食べられない!あの渋さこそが、この「柿渋」そのものです。
この渋さのタンニンは、よくお茶やワインにも入っている、あの渋さと同じもの。柿を干すことを渋抜きといいますが、実際には口の中で溶けると渋さを発揮するタンニンを、むしろ干すことで不溶性の成分に変える目的で、ああして吊るしておくのです。そうして出来た干し柿は、むかしは砂糖の代わりとして使われるほどに甘さを増すのです。
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