映像:すじすじ
触察:安原理恵
このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。
ページを閉じる触察:安原理恵
テキスト:中村裕太
親指ほどの大きさの小壺である。裏面は高台のけずりもされず、側面の釉薬は縮れている。裏に墨書きと切れ込みが入れられていることから釉薬の色見本と思われる。こうした小壺は数点出土している。おそらくは轆轤を引いた後に少し残った土を寄せ集め、指二本ぐらいで小壺を作ったのではないだろうか。裏面の平滑さは、轆轤台に沿って水糸を引いたからだろう。なお石黒は縮れた釉薬の間に黒釉を掛け、再度焼くことで斑点の陶器を作っている。この陶片は、その試作途中なのかもしれない。
テキスト:
石黒宗麿の数多くの陶片。それを掘り起こすお手伝いさせて頂くと、これは試作じゃないかな?と中村裕太さんに教えてもらう、欠片じゃない試しの数々に出会いました。これは作家じゃなければ分からないことだなと思いつつ、作家同士の心の交流のようなものに思いを馳せました。
さて、作品をつくる上で「試す」という行為は非常に重要です。転ばぬ先の杖じゃないですが、小さいもので色々とテストしてみて、ぐっと真剣に本番に挑む、作品が出来上がるための必要不可欠なプロセスといえるでしょう。わたしの専門である建築であれば、そうたやすく実作をつくることが出来ないわけですから、たいへんです。建ててみて、やっぱダメだよねといって、壊すことなんて出来ないわけですから。そこで、建築では「模型」という、一旦ちいさいサイズで建築の形を検討してみたり、あるいはモックアップと呼ばれる、建築の一部だけを取り出して、実際の建設のように作ってみるということもします。分野が違えば呼び名が異なるようで、彫刻でも同じ用に「マケット」と呼ばれる、小さいさいずの彫刻を作ってみて、最終的に鋳型のブロンズ作品にしていくことなんかもあるわけです。
日本にも古代から、建築のまえのこうしたテストがあったようで、古文書に「様」(ためし)と呼ばれたものがあったようです。ただ、その実態は明らかではありません。なぜなら、試しは世の中にでることが無いわけですし、それを積極的に残そうともしてないからです。石黒宗麿のこうした試しの作品も、我々が掘り起こしてしまったから…怒ってるかもしれませんね。
でも考えてみれば、こうした試しのプロセスこそ、作家にとってきっと楽しいドキドキする、楽しい時間なのではないかと思うこともあります。新しい作品に向けて、未開の地を歩いてみる。試してみるという行為は、とても創造的な世界でもあるといえるでしょう。完成された落ち着きよりも、じつは試したワクワクと、ときに葛藤の姿を、そこに垣間見ることもあるでしょう。石黒宗麿の八瀬とうようの姿に、惚れるのは。こうした作家の生身に触れているからでもあるかもしれません。
展覧会の会期中、考古学が専門の学芸員Mさん、陶芸家のYさん、小学6年生のKさんが「ツボ_ノ_ナカ_ハ_ナンダロナ?」を体験しました。壺のなかに入った陶片をそれぞれの切り口で言葉にし、意見を交わしながら鑑賞を深めていきました。
本コンテンツには音声が含まれます。