このコンテンツでは、八瀬陶窯から掘り起こした石黒宗麿の陶片を、作家(Artist)、視覚障害のある方(Blind)、学芸員(Curator)がそれぞれの専門性や感性を生かして読み解き、さまざまな感覚を使う鑑賞方法を創造していきます。

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映像:煮物が入っていたら

触察:安原理恵

陶片からなにがみえるかな?

カキ_ノ_エダブリ

テキスト:中村裕太

石黒宗麿は、1936年に伊勢の呉服商の息子である長谷川忠夫(1905-1952)の援助を得て「八瀬陶窯」を築窯する。広大な敷地には、主屋の他に、茶室、倉庫、登り窯がある。主屋は、安普請ではあるが、建築意匠に石黒の遊び心を垣間見ることができる。たとえば、仕事場であった土間の囲炉裏の縁には数個の陶片が埋め込まれ、襖には陶製の把手が嵌め込まれている。妻のとう(1898-1983)は、庭での畑仕事に勤しみつつ、桜、椿、梅、楓などの植栽を手入れした。この陶片には「八瀬陶窯」と染付で筆書きがされ、落葉した柿の木と主屋が描かれているのが分かる。

八瀬陶窯での石黒宗麿と柿の木
〈八瀬陶窯での石黒宗麿と柿の木〉射水市新湊博物館提供

陶片はどんなコレクションと
つながるかな?

赤い八瀬と、渋柿の妙な関係

テキスト: 本橋仁 京都国立近代美術館 学芸課専門:建築史

石黒宗麿が制作の地として選んだ八瀬。京都北部の山間のこの土地は、もちろん山の緑と、川の青の美しい景色ですが、じつはその家並みは、「赤」かったんです。いまも八瀬に残る古い家をみれば、いまだ外観が赤く塗られています。この赤は「弁柄」と呼ばれる、日本古来の塗装剤で、科学的には「酸化鉄」と呼ばれています。この弁柄を壁に塗ることで、防虫や耐腐食性の効果があり、建物を長持ちさせるのだそうです。いまも京都には、こうした弁柄を売ってくれるお店もあります。

ただこれは、粉なので塗るときにはまた別の材料が必要です。そのとき、この弁柄と混ぜるのが「柿渋」なのです。柿渋は、その名のとおり柿の渋み成分であり、正体はタンニンです。石黒宗麿も作品のモチーフに選んだ干し柿!あの、まさに渋くて食べられない!あの渋さこそが、この「柿渋」そのものです。

この渋さのタンニンは、よくお茶やワインにも入っている、あの渋さと同じもの。柿を干すことを渋抜きといいますが、実際には口の中で溶けると渋さを発揮するタンニンを、むしろ干すことで不溶性の成分に変える目的で、ああして吊るしておくのです。そうして出来た干し柿は、むかしは砂糖の代わりとして使われるほどに甘さを増すのです。

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陶片詳細

作家名
石黒宗麿
制作年
1936-1968
サイズ
14.5×8.9×5.0
技法
染付

ABCコレクション・データベース vol.1 石黒宗麿陶片集

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