陶片からなにがみえるかな?
カキ_ノ_ツヤ
テキスト:中村裕太
石黒の支援者であった京都の外科医大屋幾久雄(1882-1962)の所有していた北宋時代の柿釉の小壺《柿釉双耳壺》は、石黒の柿釉の手本となったと言われている。石黒は自らが調合した柿釉の光沢を嫌がったという。味噌や梅干しの壺のように見えるからだろうか。弟子であった清水卯一によると、大屋はフッ化水素の薬品を持って八瀬まで行き、柿釉を失透させるのを手伝っていたという。この陶片は、柿釉の帯留めと思われる。裏には、紐を通すためのくぼみが彫り込まれている。《柿釉火鉢》は、柿釉の下に石黒の轆轤の跡をじっくりとみることができる。
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