このページでは、中村裕太(作家)、安原理恵(視覚障害のある方)、松山沙樹(学芸員)の3人が、長谷川三郎《蝶の軌跡》と同じ大きさのキャンバスの上で、長谷川の筆致をなぞりながら言葉を交わし、図録や美術雑誌などの文献資料を読み合わせ、さらに動物行動学からチョウの飛ぶ道を検証していきました。そして、粘土やロープ、小豆などの素材を組み合わせることで、触れることで想像力が刺激される《蝶の軌跡》の触図(作品の構図や色合いなどを触覚情報に変換・翻案して表した図)を作り出していきました。

1. 噛み切られた四角(言葉)

中村

関係のない話からはじめますが、今朝家を出る時にドアを開けるとちょうど蝶々が飛んでいて、なんだか幸先がいいなと思いました。今日は、まず長谷川三郎が1937年に描いた《蝶の軌跡》という作品を「言葉」で共有していきたいと思っています。

松山

キャンバスという布に油絵具で描かれた作品です。大きさは、縦が1m30cm、横が1m60cmぐらいなので、少し横長の作品です。まずこの絵を見て、私にとって初めにパッと入ってくる情報は、画面の真ん中に描かれている8の字です。8の字を横に90度倒したような形で、丸の左側が大きくて、右側が小さいです。

中村

ペンで数字の8を書くときって、上の方が小さくて、下の方を大きく書くんですけども、それぐらいの比率ですね。8の字を90度右に傾けた感じです。

安原

ひょうたんみたいな。

松山

あとは、8の字に重なるような感じで、太い黒い直線と丸が描かれています。鉄アレイやダンベルみたいな形が画面のあちこちに大きく描かれています。それと画面の上部4分の1ぐらいにテン、テン、テン、テンと点線で長細い長方形が描かれています。画面の真ん中あたりにも小さい正方形ぐらいの形に点線で四角く囲われています。その左側には大きな四角と小さな四角を合わせたような五角形があります。

安原

五角形で大きな四角と小さな四角をつなげた感じですか。

中村、長谷川三郎が《蝶の軌跡》に描いた四角形の形を安原の掌に描く。
松山

先ほどの点線で区切られた3つの形のなかには、茶色でベタっと塗り、その上に黒色で塗られたものがあります。さらにその茶色と黒の形を取り囲むように赤い線で囲われています。たとえば、先ほどの五角形に区切られた点線の中には、そうしたユニットのものが大小8個あります。島みたいなものですね。

安原

島ね。じゃあ四角形や五角形で区切られた点線の中は、基本的にベタ塗りされているのではなくて、島がないところはキャンバス地が見えていますか。

松山

そうですね。白いキャンバス地の部分と、あとは黄色い絵の具でシャ、シャ、シャと塗られています。かなり筆の跡が目立つ感じで荒く書かれています。さらに、四角形や五角形の中には、先ほど言った鉄アレイの小さいバージョンがあって、星座みたいな形で、丸と丸を線でつなぐような形です。同じ形のものはないんじゃないかなと思います。四角形の中を飛んでいるような、隙間を埋めるような感じで描かれています。

安原

星座のようにというのが分からなかったんですけれども、鉄アレイのような形と何が違うんですか。

中村

鉄アレイは、先っぽに2つ丸があってそれをつなぐように棒がありますよね。けれどこの絵のなかでは、そうしたユニットのものもあれば、さらにその丸と棒が連動していくような形になっています。丸、棒、丸、棒のようにというふうに何個か連結していて、その時に棒の角度が徐々に変わっていきます。そうすると、点を線でつなぐ星座のようにも鉄アレイのようにも見えてきます。松山さんが大きく描かれたユニットを鉄アレイって言ったのは、この絵のスケールのなかで現物の鉄アレイと同じような大きさをしているからだと思います。ちょうど1キロぐらいかな。一方で、小さいユニットは、大豆と竹ひごで繋げたような大きさのものなので、鉄アレイって例えにくいかもしれませんね。

松山

あと、点線で区切られているエリアの外側は、十字、プラスの形で背景を埋め尽くしています。

安原

忙しいですね。

中村

十字の1個の大きさは、3cm×3cmぐらいで、500個ぐらい並んでいます。

安原

じゃあ、十字を少しずつずらして描いているって事ですか。

中村

たとえば、布巾や野良着なんかの刺し子の模様みたいな感じですね。十字は、グリッド状に配置されていますが、縦列の段が変わるたびに半身ずつずれています。

安原

じゃあ、結構規則的な感じですか。

松山

フリーハンドで描いた感じで、バランスを見ながら描いていったのかなという気がします。

安原

この十字は何色なんですか。

中村

青っぽくて、紺色っぽいような色ですね。

松山

十字の背景は青色と赤色がシャ、シャ、シャと塗られていて混じり合ったところは紫っぽいですね。キャンバスの生地が露出しているところもありますね。

安原

復習すると、8の字が真ん中にあって、その上に長方形があって、四角形があって、その長方形の左に噛み切られた四角形みたいのがあって、それぞれの周囲は、テン、テン、テンで区切られ、その中は黄色のシャシャシャ塗りで、茶色の上に黒い筆致が赤い枠で囲われていて、島みたいにある。あと星座みたいなものもその中にある。その区切られた点線の外側は赤と紫で塗られていて、大きな鉄アレイと十字がいっぱいある感じですね。

2. 蝶々がいた気配(素振り)

中村

このテーブルは、《蝶の軌跡》のキャンバスと同じ大きさなんです。なので、手を動かしながら大枠を一緒に素振りしてみますか。一緒に手を動かす感じでいいですかね。

安原

素振りしていきましょう。

安原と中村、《蝶の軌跡》と同じサイズのキャンバスの上で、長谷川の筆致をなぞる。
松山

そういえば、噛み切られ四角は、五角形じゃなくて、六角形でしたね。中村さんと一緒に素振りしてみて印象が変わりましたか。

安原

ずいぶんと印象が変わりました。まず、配置が言葉だけだと理解できていなかったと思いました。噛み切られ四角は、正方形の左ぐらいにあって、8の字とかぶってないと思っていました。あと正方形と同じぐらいの大きさだと思っていたんですけども、噛み切られ四角は意外と大きかったなと思いました。いろんな要素を言葉で説明するのは難しいですよね、形も複雑だし。

中村

抽象絵画だから余計に難しいですよね。例えば、山や人物が描かれているものではなくて、基本的には線の筆致だけで描かれていますもんね。

安原

なので、私も記憶していくのが大変で、山だったらああ山かとか、海かと思っていられるけど、噛み切られ四角がってなると。

松山

情景が描かれていたら、物語をイメージしながら一つ一つを記憶していけるけれども、この絵は一つ一つの要素は関係しているけれどもイメージしづらいですね。それを説明する人によってその順番も変わりますし。余計に混乱を招いていくのかなと思いました。

安原

私はこの絵を説明する時にどこからいこうか迷ったのは、初めに十字が散らかっていることが重要なのかなと思ったんですけれども、中村さんはやっぱり8の字がメインかなって言っていたのと、さっきは噛み切られ四角が一番大きいとも言っていたので。

中村

8の字は黒色に塗られていることもあって、他の要素から独立して絵で見た時にも一番上に来るような印象があります。

松山

噛み切られ四角の中にはいろいろな要素がありますが領域で区切られています。一方で8の字は、いろんなところにまたがって存在しているんですよね。それが独立して感じるというか、あと色合いが黒で描かれているので余計に強く感じます。

中村

ここまでは実際にどういうふうに描かれているのかを見てきましたけれども、ここからはタイトルから考えてみたいと思います。冒頭でも言いましたが、この絵は《蝶の軌跡》というタイトルです。多分この絵を初めて見た人は8の字で描かれた形がチョウの飛んだ軌跡のように見えてくると思うんです。なので、そのタイトルも相まって8の字の部分が一番象徴的に見えてくるような気がしますね。

松山

冒頭に中村さんは蝶が飛んでるのを見たって言ったので、蝶々がフワフワ、クルクル飛んでいる姿を長谷川さんが描こうとしたのかなとも思いましたけれど、この絵には蝶々自体が描かれていないんですよね、けれど蝶々がいた気配を感じるというか。タイトルから言葉から想像する部分ですけど。

中村

改めて言葉や素振りをしながら感じたこととして、線の筆致がいろいろありますよね。そういうふうに思うと、8の字だけがチョウの軌跡ではなくて、すべての筆触が軌跡のように見えてくる。蝶々って、始め卵であって幼虫になって蛹になって成虫になりますよね。これまでチョウの軌跡って言った時に飛んでいるチョウのことをイメージできるけれども、例えば鉄アレイのようなものは、幼虫が這った跡のようにも見えてきたりとか、チョウの一生がここにあるようにも見えてきますよね。

いろんなものに連想して見えてくる気がします。例えば春を告げるチョウとしてギフチョウっていう蝶がいます。3月の下旬から6月頃によく見られるんですけれども、ちょっと紫っぽいところもあってなんかその翅自体をこの絵は色合いとして描いてるようにも見えてきますよね。そう考えると真ん中にある8の字が軌跡って考えるのではなくて、絵の全面に翅を描いたようにも見えてきたりします。

安原

私は軌跡っていうタイトルであることをしばらく忘れていました。思い出した時に飛んだルートとか、移動したルートの軌跡というよりも、チョウが生活していた場所の軌跡、蝶が住んでいた場所というイメージがありました。噛み切られ四角は青虫が食べたキャベツであったり、8の字はさなぎのようにも見えてきたり、もうチョウはいないんだけれどもチョウが住み散らかしたあとのような。そうなると、四角はなんのこっちゃですが。

中村

点線で囲ったところも何か真上から見たようなところだと考えていくと、黄色い部分がお花畑の上を飛んでいるような感じであったり、そこの間を抜けるようにしてチョウが8の字に飛んでるようにも見えますね。黄色い方はアブラナのような色合いに見えますね。地を這う幼虫と、その空間をまたぐようにして飛ぶ成虫。そう考えると、鉄アレイは、黄色い点線の囲いの中と、紫色の背景の部分をまたぐように配置されていないんですよね。紫色のところにしかいないんです。他方で8の字は黄色いところも紫のところも飛ぶようになっている。

安原

そう思うと、やっぱり8の字の部分が一番視覚的に訴えてくるんですね。何か私、描いていただいた順番だと思うんですけれども、なんか8の字が一番下にあってその上に噛み切られ四角があるような気がするんですよね。

中村

書き順はありますね。

3. ざざざというより、さささ(長谷川三郎の略歴)

中村

はじめは「言葉」によって蝶の軌跡をいろんな形で見てきましたけれども、今度は「資料」を使いながら読み解いていこうと思います。1つ目の資料は、大きい本で『画・論=長谷川三郎』(三彩社、1977年)になります。

『画・論=長谷川三郎』(1997年)をテーブルの上に出す中村。安原がそっと触れて本の厚みを確かめる。
安原

あー大きい、古書店にありそうな本ですね。

中村

「画」と「論」という2つの本が入っています。

安原

ガですか?あっびっくりした。虫の蛾だと思っちゃった。

中村

この二つの本は同じボリュームなんですよね。絵を描くことと文章を書くことが長谷川さんのライフワークだったんだと思います。じゃあ松山さんから長谷川の経歴を紹介してもらえますか。

松山

長谷川は1906年に山口県で生まれています。父親の仕事の影響で日本各地を転々とする生活をしていて、10代の頃に兵庫県の芦屋に移ってきました。甲南中学校・高校に進学とするんですけれども、その時に絵を描くことにだんだんと関心を持ち始めたみたいです。当時の友人達と絵を見せあったり、論集を作ったりしていたようです。ただ、だからといってすぐに画家になれたわけではなく、父親がなかなか許さなかったようです。なので東京大学の美術史に進路を進め、絵を描くことよりも絵を研究する道を選び、卒業論文は水墨画の雪舟の研究をしていました。その後、海外に留学しニューヨークやパリの美術館を回ったりしていたようです。そこでやはり自分は絵を描くことをしたいというふうに思って日本に帰国する形になります。1930年代ぐらいになってくると、いろんなところに絵を出品し、だんだんと活躍していきました。

中村

では「画」の本をめくりながら見ていきましょう。初めは《大根》という1924年の作品です。18歳の頃の作品ですね。この頃、長谷川は大阪にある信濃橋洋画研究所に通いはじめます。小出重という洋画家に師事していました。小出はよく裸婦や卓上の野菜や魚などの静物を描いていましたが、習い始めの長谷川は、まずはよく太った大根2本を描いています。あっ、よく見ると3本ですね。

小出楢重《大根》(1924年)の図版ページをひらく中村と、その本をみる安原。大根が3本描かれている。
【作品画像】小出楢重《卓上静物》1928年
小出重《卓上静物》1928年
安原

それだけですか。

中村

それだけです。先程の《蝶の軌跡》は1937年に描かれた抽象絵画でしたが、この頃はまだ具象画を描いていたんですよね。

安原

じゃあこの当時は友達と見せ合いをしていた時ですよね。

中村

大根を見せ合いっこしていたんでしょうね。京近美にも収蔵されている1930年代の《野菜》になると描き方も少し変わってきますね。

長谷川三郎《野菜》(1930年)の図版ページをひらく中村、その本にふれる安原。
安原

何の野菜が描かれているんですか。

松山

ぶどう、にんじん、りんご、とうもろこし、トマト・・・でしょうか。

中村

抽象絵画になっていてわからないというのではないんですけどね。

松山

筆致が結構荒いんですよね。ざざざというより、さささという感じですね。

中村

1920年頃はこういう具象的な作品であったり、少しフォービズムに影響を受けた色彩が特徴的な作品を作っていましたね。1930年半ばくらいになってくると抽象絵画に近いようなスタイルがだんだんと見えてきますね。

松山

1932年に日本に帰ってきてからは抽象絵画を描くようになりましたね。

安原

ちょっと計算してみたんですけど、《蝶の軌跡》を描いたのは30歳の時なんですね。若いですね。

松山

《蝶の軌跡》が描かれた1937年に自由美術家協会という団体を立ち上げます。第一回の展覧会が東京の上野で開催されます。その時に長谷川さんは、《蝶の軌跡》のほかに13点の作品を出しました。

中村

長谷川の仕事を考えるときに1937年の《蝶の軌跡》を含めた抽象絵画が長谷川の抽象絵画への関心のピークであったとよく語られます。というのも、その翌年の第二回の展覧会にはより抽象的な丸に形で構成されたレリーフ作品を出したり、その翌年の第三回の展覧会では、写真へとスタイルをどんどんと変えていきます。戦後になると墨絵の作品へとさらに展開していきます。そう考えると短いスパンで作品のスタイルが変わっていくのが長谷川の特徴だといえますし、だからこそ今日でもまだまだ新たな表情をみせてくれるんだと思います。

松山

戦後はアメリカに渡って行きます。モノクロームの版画や墨絵の作品へとどんどん展開していくんですけれども、イサム・ノグチと出会い、深いつながりが生まれました。京近美にある《自然》1953年、《無》1955年などもその当時作られた作品ですね。

長谷川三郎《自然》(1953年)の図版ページがひらかれている。

4. 8の字については記していない(自由美術家協会展)

中村

1937年の第一回自由美術家協会の原資料は手元になかったんですけれども、当時の目録を原寸大で復刻した「第一回自由美術家協会展覧会目録」には、展覧会に時に出た14点の作品が記されています。今のところ、11点までは図版を見つけることができたのですが、あと3点はどういう作品だったかわかっていません。

長谷川三郎(会員)
品川区上大崎長者丸二七〇

  1. 二七、蝶の軌跡
  2. 二八、構成
  3. 二九、新物理学A
  4. 三十、彫刻
  5. 三一、海の戯れ
  6. 三二、コンポジシオン
  7. 三三、水
  8. 三四、新聞コラージュ
  9. 三五、形態
  10. 三六、熾
  11. 三七、新物理学B
  12. 三八、都制
  13. 三九、海濱風物詩
  14. 四十、湖(木材構成)
「第一回自由美術家協会展覧会目録」『近代日本 アート・カタログ・コレクション073 自由美術家協会 / 美術創作家協会』ゆまに書房、2004年
中村、「第一回自由美術家協会展覧会目録」を読み上げる。安原と松山は耳を傾けている。
中村

また当時の美術雑誌『美之國』には、批評家の瀧口修造が長谷川の作品について触れています。

中村、瀧口修造による「自由美術家協会第一回展」の批評文を読み上げる。

長谷川三郎氏の仕事は、やはり組織的なものを感じさせる。前年の作品に比べて微かながら造型的ユウモアを発見した。これは通例卑俗に用ひられる言葉の意味ではなく、マチエイルの対比によつて生じる不可避なサンチマンと言つてよいであらうか。この点にこの作家の精神的な進展が覗いてゐると思はれた。ツルツルしたパレットに載せられた二つの荒削りの木材のマッス(これは相阿彌作の石庭の構成からヒントを得たやうに感じられる)とか、切断され結合された雲型定規のアラベスク、磨硝子の中に泳ぐあをい毛糸《海の戯れ》などは、殆んど豫定されない象徴を感じる。この場合マチエルが客観体として擬結されればされる程、力は純化される。しかしこの作家には一面、画面をパタアンとして構成する分散的な傾向もある。「蝶の軌跡」(油)はこの二つの力が互ひに+-してゐて、美しいダイナミズムを少しく減じてゐるやうに感じた。彼はいま擬結と分散の二つの体系の間に立つてゐる。この会場でもつとも雄弁多彩な仕事である。

瀧口修造「自由美術家協会第一回展」『美之國』第417号、第13巻第8号、1937年
中村

例えば、《蝶の軌跡》の茶色と黒の筆跡なんていうのは、マチエールのある表現をしていますけれども、他方で、8の字であったり、鉄アレイの連鎖であったりは、パターン化されたものとして受け取っているような感じもします。そういった要素をプラスマイナスさせながらダイナミックな画面を作っていっています。その他の評論にも《蝶の軌跡》は、非常に好意的に語られているように思いますけれど、具体的にそれぞれのモチーフがどういうふうに描かれているのかということをしっかりと述べた論考は少ないように思います。

もうちょっと作品に描かれている要素について言及されている論考を探していると、『日本の抽象絵画 —1910-1945—』という戦前期の日本の抽象絵画について紹介した図録を見つけることができました。

中村、速水豊「抽象の名のもとに」を読む。

より複雑な構造を持つのが長谷川三郎の《蝶の軌跡》だが、ここでも基本的には幾つかの単位が画面の基礎を作っている。赤みがかった領域を埋める小さい十字、大小二種類のスケールで示される、直線で連結された黒丸、そして破線で囲まれた黄色い領域にある茶色いタッシュ(色斑)には必ず黒いタッシュが載せられ、赤い線で囲まれていることによってこれが共通の基本単位であることを示している。彼が同じ第1回自由美術協会展に出品したコラージュ作品も、素材性の強調というよりむしろ、純粋に造型的な基本単位によって作品を成立させようとする姿勢が表れていないだろうか。なかでも《都制》は幾何学的な図形単位、点と格子状の直線による変奏に他ならない。

速水豊「抽象の名のもとに」『日本の抽象絵画 —1910-1945—』読売新聞社、美術館連絡協議会、1992年
中村

意外と8の字については記していないですね。

安原

噛み切られ四角も。

中村

こうやって、《蝶の軌跡》が描かれた当時から現代まで見てみても、なかなかこの絵に何が描かれたのかをしっかりと言語化する論説をあまり見出すことは難しいです。そうした意味でも言語化しにくい作品というのも、一つのポイントとして考えることができると思います。安原さん、先ほどの記述を聞いてみていかがでしたか。

安原

んー、復習になった感じぐらいかな。

松山

共通の単位という捉え方は面白いなと思いました。共通のルールというか、そういうふうに語ることもできるんですね。

中村

少し違ったところからみていくと、自由美術家協会を一緒に立ち上げた村井正誠は次のように《蝶の軌跡》を回想しています。

「蝶の軌跡」、その頃としてはまったく素敵な画題の大作であつた。淡紅色の不思議とはなやか広い画面にいくつかの線が入りみだれていた。自由美術展が生まれた、その第一回目の、彼の心の開け行く様を示した出品作品であった(…)時おり作品が出来ると招かれて私は彼のアトリエに行ったものらしい。星空の富士やだるまの作品は彼の仕事場で見た。はげしい力と精神とがうち混じり、画面は色彩のあらしとなって、ぶっつけられていた。「蝶の軌跡」もそのようにして、「これでもうええのにしたのだ」といっていた。この絵は彼にしては案外うすぬりである。彼はいった。「絵は絵具がうすく付いている方がもちがよい」と。まったくその通りで、今見ても色が冴えて美しく輝いている。

村井正誠「長谷川三郎のこと —「蝶の軌跡」など—」『美術手帖』第241号、1964年9月
中村

作家の生の声ですね。作家同士で発表前の作品をアトリエで見る感じもいいです。ちなみに第一回展に村井は《URBAIN》という抽象絵画を出品しています。どこか都市を俯瞰的に描いた印象を受けます。また京近美には1939年に描かれた《Ile de la Cité》が収蔵されています。

【作品画像】村井正誠《Ile de la Cité》1939年
村井正誠《Ile de la Cité》1939年

5. 少ない要素で想像力が湧く(モンドリアンとアルプ)

中村

じゃあ次は、長谷川がどういった作家に影響を受けていたのかをみていきたいと思います。長谷川の「論」の部分に関わってきますが、1937年に執筆した『アブストラクトアート』という本を紹介したいと思います。この本の装丁もキャンバス地になっていますね。《蝶の軌跡》のキャンバスと何か近いような素材感です。アブストラクトアートという言葉は抽象芸術と訳していいと思うんですけれども、1910年代位からの欧米における抽象芸術の動向を日本においては早い時期にまとめた書物になります。《蝶の軌跡》が第一回自由美術家協会展に出品されたのが7月で、この本が刊行されたのが9月になりますので、同じ時期に書かれていたことになります。この本の冒頭は、セザンヌであったりスーラであったりが紹介されるんですけれども一番よく紹介されているのはピエト・モンドリアンとハンス・アルプです。

長谷川はパリの留学時代にモンドリアンのアトリエを訪ねています。注目すべきは、モンドリアンのグリッドによる幾何学的な抽象絵画に至る過程にある1917年の絵画が掲載されている点です。十字のパターンを連続して描いていく手法は《蝶の軌跡》の刺子を彷彿とさせますね。ちなみに京近美には1916年頃に制作された《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》が収蔵されています。

またアルプは、1910年代位からドイツやフランスなどを中心に活躍したダダイズムの作家として知られています。この本のなかで一番多く図版が掲載されています。16枚も。なので、アルプの作品が長谷川に何かしら影響関係を与えたと考えることができると思います。もちろん、色や形が似ているということが必ずしも影響関係があるということは言い切れないです。たとえば、京近美が所蔵しているハンス・アルプ《アラビア数字の8》(1923年)にも8の字が描かれているからといって影響されたなんてことはいえません。けれども、そうしたアナロジー(類推)な造形を視覚的に見ていくだけではなくて、その背景にあるアイディアを探ってみたり、触覚的にもレーズライターを使って体験してみようと思います。

中村、1937年に出版された長谷川三郎『アブストラクトアート』を取り出す。安原、本の題名を指先でそっと触れる。
【作品画像】ピエト・モンドリアン《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》1916年頃、京都国立近代美術館蔵。
ピエト・モンドリアン《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》1916年頃
中村、長谷川三郎『アブストラクトアート』のハンス・アルプのページを紹介する。
【作品画像】ハンス・アルプ《アラビア数字の8》1923年、京都国立近代美術館蔵
ハンス・アルプ《アラビア数字の8》1923年
中村

これはレーズライターでアルプの作品の中の一部を描いてみました。

中村がレーズライターで描いたハンス・アルプの作品の一部を、安原が両手でふれる。ポットの中にりんごが入っているような形。
安原

これはわかりやすいですね。タイトルをつけるとしたらポットの中のりんごかな。

中村

先ほど長谷川の作品がパターン化していると話していましたが、このアルプの作品もポットの中のりんごが画面の中に8個くらい反復して描かれています。

松山

この絵はいかがですか。

松山がレーズライターで描いたハンス・アルプの作品の一部を、安原が両手でふれる。チューリップの芽が少し出たような形。
安原

これはちょっと複雑ですね。チューリップの芽が少し出たような形ですね。

中村

長谷川が、こうしたハンス・アルプの抽象的な形から影響受けた事は大きいかもしれませんね。

安原

けれどアルプの作品の方がこれだけ少ない要素で想像力が湧くというか、長谷川さんの8の字とか鉄アレイとかの形よりもアルプの形は、これだけで何の形なのかなとわかりやすいです。

中村

面白いですね。アルプの形の方が、抽象されつつも形からの想像力が掻き立てるということですね。

松山

A4サイズですが、《蝶の軌跡》も簡略化して立体コピー機(Easy Tactix)で触図を作ってみました。

安原、《蝶の軌跡》の触図にふれる。
中村

アルプと比べると画面は、

安原

だいぶとうるさいですね。

中村

けれど、画面としてはまとまって見えるから不思議ですよね。

安原

色のトーンの問題ですかね。

中村

色も黄色紫黒と結構ビビットな色を使ってるんですけどね。何よりもそれぞれの要素がパターン化されていることがごちゃごちゃした印象にならないのかもしれませんね。

安原

さっきの瓶の中のりんごはとってもわかりやすかったです。ああいう絵であったら私でも書けそうな気がしてきますけど、アルプさんが描くと少し違うんでしょうね。

中村

そこまで簡略化して図像を描くことも意外と難しいのかもしれませんね。

安原

逆に見えていない私たちからすると簡略化したものしか描くことができないので。

中村

そう思うと長谷川もある程度簡略化して描いている気もしますし、そうしたパターン化っていうのがやっぱりポイントですね。

6. ここのラインは繋がっていない(瑛九)

中村

線的な表現っていうことももう一つ長谷川の作品の特徴として捉えることができるかと思います。このドローイングは最近手に入れた資料なんですけれども、長谷川と一緒に自由美術家協会でも活動していた作家で瑛九という作家がいます。瑛九はもともと絵画も描いていましたが、1930年代ごろからフォトグラムという技法、彼の場合は「フォトデッサン」という言い方をしていましたけれども、写真機を使わない写真の撮影方法として欧米でフォトグラムという技法が生まれました。どういう技法かというと例えばテーブルの上に印画紙を置いて、その上にボールであったり棒であったりを置いていく、もしくは動かしていく。そうした様子を真俯瞰から光を当てます。そうすると印画紙の上に置いてあるモノの部分は感光せずにそれ以外の部分が感光する。そうすることでそのものの軌道や光の軌跡を印画紙に定着させることができます。瑛九は、写真技法を用いて絵画的に描いていくことを試みていた作家です。

中村、レーズライターで瑛九のデッサンを模写する。
安原

ここのラインは繋がっていないんですね。すべての線が1つのものを描いているのではなく、いくつかの単体のものが1つの絵に描きこまれたドローイングなんですね。あと、フォトグラムってなんだかとっても手間のかかる手法な気がしますけど、この手法だから描ける何かがあったんですかね。

中村

確かに手間ですよね。瑛九は絵画も描いていましたが、それだけではなくて「フォトグラム」という科学的な技術を取り入れようとしていたのかもしれませんね。1910年代から30年代に欧米において、そうした写真技術だからこそみることのできる新しい視覚のあり方を探っていました。ここでいう新しい視覚、言い換えるなら「ニューヴィジョン」というのは、例えば絵画のように目に見えている世界を写真で記録を取るという方法だけではなくて、写真だからこそできる視覚の特徴というものを考えるようになってきました。たとえば、顕微鏡写真は、人がいくら目視でグッてよっていっても見ることのできない細胞の中の世界であったり、空にある星を写した天体写真やレントゲン写真もそうですね。目では見ることのできない世界をカメラの眼を通してみていこうとしていました。そうした新しい視覚のあり方を作品に取り入れていたのが、瑛九のフォトデッサンや新興写真の写真家、それに抽象絵画にもそうした科学的な写真からの影響の跡をみることができます。

科学技術の進展によってもたらされた顕微鏡写真、航空写真、天体写真、レントゲン写真もまた、モダン・フォトグラフィティの文脈で注目されたニュー・ヴィジョンだった。そのうち、長谷川のコラージュ作品との関係性において注目されるのは顕微鏡写真である(…)《新物理学B》もまた、顕微鏡写真的な視覚表象に見えないこともない。いずれも雲形定規や毛糸のような不定型な素材を用いることで有機的抽象構成を実現しつつ、もう一方では顕微鏡写真のような再現性(具象的)な視覚表象を示唆しており、いわば抽象性と再現性が二重化されている。この抽象性と再現性を二重化させる操作において、さらに重要な役割を果たしたモダン・フォトグラフィ的な視覚言語は、航空写真である。赤と白の対比が印象的なコラージュ作品《都制》は、綿・毛糸・小豆といった物体による抽象構成に見えると同時に、基盤目状の毛糸の配置とその作品名を考慮すると、平城京や平安京等の条理性都市を高所から俯瞰した(つまり航空写真のような)視覚表象にも見える(…)いわば「抽象=再現」絵画とでも呼ぶべき構造を持っているのだ。

谷口英理「長谷川三郎における内在化された〈写真〉 主に1936-40年の制作、言説に関する考察」『美術史』18号、2018年10月
中村

そういうふうに考えていくと、この長谷川三郎の《蝶の軌跡》も、8の字の描き方であったり、どこか俯瞰的に見たような構図に思えてきます。この作品に限らず第一回の自由美術家協会展に出されていた14点の中の1点である《都制》という作品もそうした構図をイメージさせます。

中村、『画・論=長谷川三郎』(1997年)や当時の美術雑誌をひらき、長谷川三郎《都制》(1937年)の図版を指さす。
中村

綿の上に毛糸を格子状に並べていき、その上になぜか小豆がちりばめられている作品ですね。例えばこの格子状に並べられた毛糸は、都市を真俯瞰から見た航空写真のような印象を受けます。例えば平城京とか平安京というような街の格子の上に小豆のような建物が並べられているように思わせます。

中村、『画・論=長谷川三郎』(1997年)や当時の美術雑誌をひらき、長谷川三郎《新聞コラージュ》(1937年)の図版を指さす。
中村

《新聞コラージュ》という作品においても石のようなものが俯瞰から描かれているように思います。先の瀧口の論考のなかにも龍安寺などの石庭を設計した「相阿彌」という名前が出てきましたが、ここに描かれている石の配置も何かそうした枯山水のような風景を思い起こさせます。画家が例えば風景を描く時は目の前にある世界をキャンバスと見比べながら描いていくわけですが、抽象絵画になってくると必ずしも目の前にある世界が全てではなくなってくる。自然を見つめる人間の目だけではなくて、航空写真の視覚というものに影響を受けています。

松山

今の話を聞くと、急に絵の中に奥行きを感じられるような気がしてきました。一枚の絵画なので同じ面にいろんな要素が描かれているんですけども、上からみたと聞くと、奥行きというか、何が一番下にあって、一番上に見えているのはなんだろうと、立体的な意識をもって長谷川は描いていたのだろうかと思い始めました。

7. アゲハの方が四角っぽい(チョウの飛ぶ道)

中村

《蝶の軌跡》を美術史の視点から読み解く事はこれまでも多くの研究者が指摘してきたと思います。けれどABCの視点に立つことで見えてくる《蝶の軌跡》の解釈もあるように思います。ということで、チョウの軌跡というものをもっとしっかりと、チョウという生物の行動から観察してみようと思います。以前に安原さんが蝶々そのものを一度触ってみたいというふうにおっしゃっていたのでチョウの標本を持ってきました。

安原、チョウの鱗粉が転写された標本にゆっくりとふれる。
安原

これ本物のチョウですか。

中村

そうです。正確には、鱗粉を転写した標本です。チョウの翅には鱗粉という細かい鱗状の構造物があるのですが、ノリを用いてその鱗粉を写しとったものを和紙に写しとったものになります。上がアゲハチョウ 、下がモンシロチョウになります。

安原

アゲハチョウの翅にはしっぽのようなものが付いていますが、モンシロチョウの翅にはついていませんね。

中村

大きさもだいぶと違いますね。街中を歩いていても、夏型のアゲハなんかが建物の上なんかをすっと飛んでいると一瞬鳥かなと思うときもありますよ。他方でモンシロチョウはひらひらと同じ場所を飛んでいますね。

安原

モンシロチョウの方は、翅が丸っこいですね。アゲハの方が四角いっぽいですね。私も蝶々持ってきたんですよ。

安原と中村、布製のチョウのキーホルダーにふれる。
中村

いいですね。これはアゲハチョウですね。

安原

おんなじようにしっぽがあるなぁと思って。

中村

アゲハチョウを一度書いてもらってもいいですか。

安原、レーズライターでアゲハチョウを描く。
安原

こないだみなさんで京都市青少年科学センターのチョウの家で、実際の蝶々が飛んでいるところを一瞬触ったとき、後ろの翅が扇子みたいにふわっと広がっているんだなーっていうことに気づいて。蝶々の翅ってもっと柔らかいと思っていましたけれども、意外とトンボの翅みたいにガシガシしていましたね。

中村、安原、松山、京都市青少年科学センター「チョウの家」の画像を見ながら、フィールドワークの思い出を語る。
中村

たしかに蝶々の翅ってステンドグラスみたいに骨になる部分とガラスのように透ける部分があります。その骨になる部分が結構しっかりしています。

松山

その時に私の手にもとまったんですけども、安原さんみたいに翅の硬さを感じることができなかったように思います。

中村

蝶々ってそれだけ繊細なものだからこそ、人を惹きつけたりもするのかなと言うふうにも思いますね。

ではそろそろ本題に入っていきたいのですが、この長谷川三郎の《蝶の軌跡》の真ん中に描かれた8の字は、もしかしたらチョウの飛んでいる軌跡を描いているのかもしれません。そうした仮説をもとにチョウの生態から考えてみたいと思います。だからといって、小学校の頃にも理科の時間に習ったチョウの形態であったり、成長のプロセスみたいなことではなくて、もう少しチョウの行動の習性を動物行動学という学問から科学的に捉えてみたいなと思いました。

日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』を取り出す中村。カバーを外し、本の表紙に触れる安原。
中村

そこで、今日は1冊の本を持ってきました。日高敏隆さんの『チョウはなぜ飛ぶか』という本です。日高さんは1970年ぐらいから日本において動物行動学という学問を研究していました。ですので、長谷川が《蝶の軌跡》を描いていた頃よりも30年ほど後に科学的にチョウの飛行する軌跡を研究していた人です。

この本を今回持ってきた個人的な理由としては、僕が大学生時代にちょうど日高さんが客員教授として大学に来ていました。僕はその授業の音声を聴いて、文字起こしするバイトをしていました。今では音声翻訳ソフトみたいなものがありますが、何度もその講義を聴いていた経験がありました。その後10年ぐらい経ってからもう一度その日高さんの本を読み返したりしていたのでそういうこともあって今回この本を持ってきました。じゃあ日高さんがチョウのどういった行動に関心を持っていたのかを冒頭の部分を少し読んでみようと思います。

小学生のころ、ぼくはおもしろいことに気づいた。その当時、ぼくは東京の渋谷に住んでいたのだが、そのあたりは今とちがって空地が多く、チョウもそのほかの昆虫もたくさんいた(…)ふしぎなことに、アゲハチョウはけっして野菜畑の上を横切って飛ぶことがなかった。いつも庭の南半分の、木のあたりを飛んでゆくのである。クロアゲハはその傾向がもっと強かった。そしてそのことは、アゲハチョウやクロアゲハが西どなりの庭から入ってこようが東どなりの庭のほうから現れようが、ほとんどかわりなかった。ぼくが気づいたおもしろいことというのは、これであった。チョウの飛ぶ道はきまっているのだろうか?

日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』岩波書店、1975年
中村

日高さんは少年時代に蝶々を捕まえることだけではなくてチョウがどういうふうに飛んでいるのかに疑問を持っていました。例えば庭先の木々の中をどういうふうに飛んでいくのかを見ていくと飛ぶ道がだんだんと見えてきて、その傾向を発見していきます。実際にチョウの飛び道を立証するのはだいぶとあとになるのですが、そうした観察を子供の頃からしていました。

こうした蝶の飛ぶ道って、必ずしもチョウに限ったことでなくて、僕たちが普段歩くことにもつなげて考えてみてもいいとおもうんですよね。安原さんとの会話のなかでそうしたアイディアはでてきたんですが、例えば蝶々の飛ぶ道にはいろいろな気象条件というものが影響してきます。例えば風の強い日になるとチョウは風に乗って素早く飛びますし、もっと風が強くなると飛ぶことすらしません。一緒に歩いているときに、安原さんは風に影響を受けやすいって言ってましたよね。

安原

例えばビル風みたいな強い風のところに行くと、ランドマークになるようなものがないところを進もうとすると風に押されて少し歩く道はずれてしまうことがあります。感覚だけでまっすぐ歩いているので、風に押されるとだんだんと無意識にずれちゃうんですよね。

中村

歩くときにランドマークというものが大事なんですね。チョウの場合は、植物がそうしたランドマークになっていくと思います。

中村、レーズライターで日高邸周辺の地図を描く。
中村

さっき安原さんがランドマーク的にという話をしていましたけれども、チョウにとってもどこに木があったり花があったりっていうことはポイントになってくると思います。日高さんは渋谷の自宅だけではなくて、観察の協力者として近所の歯医者さんと一緒に高尾山で調査したり、戦後は千葉県の房総半島にある東浪見、東京農工大学などでチョウ道の調査をしていました。

中村、レーズライターで描いた日高邸周辺の地図に、チョウ道を重ねて描く。安原、チョウ道を両手でふれて確かめる。
中村

東浪見での調査では沢のようになった場所に蝶々がよく飛んでいたのでそこのあたりで調査を始めました。実際に調査を始めてみるとありとあらゆる方向にチョウが飛んでいくことにぶち当たります。チョウ道なんてないんじゃないかというふうに絶望するわけですが、けれど続けていると時間帯や風などの気象条件だけではなくて、光の位置というものがチョウ道に関わってくるということがだんだんとわかってきました。

チョウ道をきめるのは「光」なのだ。チョウは、そのときどきに、明るく輝いているところを縫うようにして飛ぶにちがいない。快晴の日だったら、太陽の動きにつれて、光のあたる場所が移ってゆく。だから、チョウ道も時間とともにかわってゆくのだ。(…)彼らは日かげの裸地を飛ぶことはほとんどない。日があたっている裸地の上なら飛ぶことがあるが、それはきっと「やむをえないとき」、たとえば強い風にあおられて裸地の上へ飛び出してしまったときとか、突然、木がなくなってしまったときとか、なのであろう。とにかく、裸地の上では、アゲハチョウはかなり落ち着かないらしく、いわばソワソワして飛んでいる。(…)一つのきちんと、きまった道があるわけではない。チョウはその生まれつきの性質にしたがってそのときそのときに条件にあったところを飛んでゆくのだが、同じチョウなら、その条件も同じなので、どのチョウもほぼ同じルートを飛ぶことになり、それがぼくらからみると、チョウ道にみえるのである。

日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』岩波書店、1975年
中村

そうするとそのチョウが次に飛ぶ位置が予測できるようになってきました。アゲハチョウは一見ランダムに飛んでいるようで、一つのエリアを回遊しながら飛んでいることがわかってきます。こうした日高さんが発見したチョウ道というものと長谷川三郎の《蝶の軌跡》という作品を引きつけて考えてみると、8の字に軌跡を描いた長谷川の視点はあながち間違っていないと言えますね。

安原

以前に《蝶の軌跡》の簡単な解説をしてもらって、さらに日高さんのチョウ道の研究を紹介してもらって、こうしたチョウ道にも関わっている絵なんだなと思っていました。けれど、今日一緒に描いてみたり、いっぱい言葉で解説を聞いたりすると、蝶の飛ぶ道とはまた違うものなんだなと思いました。私は言葉を聴いて絵を想像していると、8の字だけが強調されてあまりイメージとして浮かんでこないんですよね。8の字だったり、噛み切られ四角だったりが同じレベル感で訴えかけてきます。そうなると、何の軌跡なのって感じですが。

中村

けれどこの絵をもう少し日高さんの研究に引きつけて考えてみると、黄色い花壇があったりすることや、日向を飛ぶこと、日陰はあまり飛ばない。光のある場所を飛んでいくことも指摘されていました。それと、先ほど安原さんがランドマークのないところとを歩くのが難しいといっていました。チョウも何もない日陰の草地を飛ぶことはあまりないんですね。不安そうにふわふわ飛んでいると書かれています。光の当たっている高い木の際をしっかりと道をつかんで飛んでいくと。そうしてこの絵を見てみると、どこが高くて低いかはわからないですが、黄色い花壇の中心を飛んでいるように見えてきますね。

松山

やっぱりアゲハチョウは、なにかの木やランドマークを決めて飛ぶということだったので、一匹がフワッと飛ぶことだと思っていたんですが、そうではなくて、どのチョウもこの軌跡を飛ぶということなのかなと思いました。何度もいろいろな蝶がこの場所を通っては同じ道を飛ぶこと、そうした時間の幅を感じましたね。印象が変わった気がします。俯瞰でみること、この画面の外にも風景が広がっていて、蝶々が浮遊している感じにも見えてきました。あと安原さんが8の字があまり強く感じられないということも気になっていて、そこをもう少し考えてみたいですね。

中村

だんだんと8の字が下がってきましたね。

松山

他の要素にも気持ちが変わってきましたね。それも何かの軌跡かもしれませんね。さなぎや幼虫などの這っているあととかも言っていましたが、他にも読み解き方がありそうだなという気がしました。

中村

この作品は抽象絵画なので、この形がこの意味を示しているということを限定的に捉えることは、必ずしもその絵画を理解することにつながらない気がするんですね。それよりもただ呆然とその絵と対面することの方が豊かな経験であったりもすると思いますし。とはいえ、この作品にはいろいろな謎かけがありそうな気がしています。しかもその謎にはこの形はこの意味ですといったしっかりとした回答があるのではなくて、そういうふうにもみえるってぐらいな感じなので、また厄介です。近づいていくと、また遠ざかっていくような感じすらあります。だから魅力的でもあるのですが。

もう一つポイントとして、そうした開かれた鑑賞経験を持つことによって、本当は脈絡もないものと不意に繋がって見えてくることです。アナロジー(類推)を誘発してくる気がします。他方で、日高さんは動物学におけるアナロジーの可能性についても言及しています。

動物学を志したわれわれがきびしく教えられたのは、相同(ホモローガス)なものどうしを比較してその進化を論じるのは意味があるが、相似(アナローガス)なものを比較してもナンセンスである、ということであった。鳥の翼とコウモリの翼を比較することはできる。しかし、鳥の翼と昆虫の翅を比較しても無意味である、というのである。これはぼくに少なからぬ疑問を抱かせた。空を飛ぶ動物として成立した二つの大きなジャンルをなす鳥と昆虫の翼を比較できないのなら、われわれは動物たちの飛翔というものをどう論じたらようのだろうか。生物にはつねに構造と機能というものが備わっている。ホモロジーは構造についてのものである。鳥の翼と魚のひれは、ホモローガスなものだから比較してよい、ということは、単にその構造だけについての議論はしてよいが、飛ぶと泳ぐというまったく異なるそれらの機能についての議論はしてはならぬ、ということになるのではないか。(…)われわれが何かを比較するときは、必ず進化とむすびつけねばならないのか、という疑問だった。

日高敏隆「アナロジーへの期待」『大学は何をするところか』平凡社、1993年
中村、日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』に掲載された写真について語る。写真の上に描かれたチョウ道の白い線は紐を使って表されている。
中村

それと補足的な話なんですが、この本の写真図版のなかでチョウの飛ぶ道を写真の上に白い線で描いたものが複数載っています。矢印でその方向を示していて、「日高さん、いいラインで写真の上に描いているな」と思っていたのですが、こないだ改めてその図版を見ていると、その線に影があったり、線と線の重なりの部分に段差があることを発見しました。つまり、日高さんが写真の上に紐を置いて、その状態を俯瞰から再撮影しているんだと思います。これは嬉しくなりましたねー。だって、長谷川三郎の《都制》の毛糸と同じようなことをしているんです。こうした造形的なアナロジーを見つけるとグッときますね。

8. プレートにタッチ(ストライプモデル)

中村

この本はさらに後半には、「オスのチョウがメスのチョウをどうやってみつけるのか」という話に進んでいきます。これは、長谷川の作品にもみられる対象を抽象化していくところにも関わってくると思います。たとえば、理科の授業だとキャベツ畑にモンシロチョウのメスの蝶がいて、そこにオスの蝶がやってきて、交尾をして新しい命が生まれると語られますが、日高さんが問題としたのは、オスが広大な土地のなかで、メスをどうやって見つけるのかという疑問でした。何がカギ刺激になっていくのかをつきつめていきます。たとえば、死んだメスのチョウを置いていてもオスはやってくる、次はガラスケースのなかに入れていてもやってくる。そうなると匂いではなく、視覚的な刺激であることがわかります。さらにアゲハチョウの実験になると、動体の部分を切り離した翅の部分を置いていてもやってきます。そうなると色やパターンが刺激になっていることがだんだんとわかってきます。実験モデルをいろいろなパターンで作っていきます。

安原、中村が制作した鱗粉のモデルを触察する。
安原、中村が制作した黒と緑のストライプモデルを触察する。
中村

この本の中には、日高さんが黒と緑のストライプモデルのプレートを置いておくとチョウが寄ってきたという実験記録が記載されているのです。けれど、本当かなと思って自分でも色紙にビリジアンの絵の具を塗ったプレートを作って実験してみることにしました。頭のなかで「そんなものかな」と納得することは簡単ですが、それを実験することはそんなにたやすくありませんでした。5年ほど前ですが、岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムで展覧会をする機会があり、美術館の関係者の方が無農薬でキャベツを作られていたので、そこの畑を使わせてもらうことにしました。まずはモンシロチョウ。これはすぐにうまくいきました。慣れてくると白い板を上下に揺らすと、一緒にダンスを踊ってくれます。

大変だったのはアゲハチョウです。こちらもその敷地にあったみかんの木の前で実験しました。7月か8月の日陰のない空間で空を見上げていると、ふわふわと目の前をアゲハチョウが飛んでいきます。けれどなかなかそのプレートに近づかないのです。そうして二日間ほど、チョウの飛行を観察していると彼らはなんの脈略もなく飛んでいるのではないということがわかってきました。もう少ししたら、この方向から蝶がとんでくるということがだんだんとわかってきました。それは、言葉や知識としてでなくて経験としてわかるっていう瞬間でした。そして、二日目のおわりに一匹の蝶がそのプレートにやってきて、確かにそのプレートにタッチし、そして、もう一度確かめに戻ってきました。もちろん、そのワンタッチだけだったのですが、たしかに蝶と触れることのできた経験でした。

ストライプモデルに寄ってきたアゲハチョウの画像。
中村

こうした日高さんの研究から長谷川の《蝶の軌跡》を考えていくと、当時日本ではチョウの行動に関わる研究もなかったですし、長谷川が経験的にそうしたことを理解していたのかもしれませんね。けれど、動物行動学からみてもチョウの動き方は間違っていないです。なんといっても、チョウを色や形に抽象化していくプロセスやその手つきは、なにか二人に共通する世界の認識の方法があるようにも思えました。

9. 同じチョウを見ていたかも(長谷川三郎と日高敏隆)

中村

ここまでが動物行動学からみた《蝶の軌跡》についての視点でしたが、ここからもう少し日高さんと長谷川の生い立ちに着目してみたいと思います。《蝶の軌跡》が描かれた1937年にポイントを置いてみると、日高さんは小学校2年生なんですよね。チョウを観察し始めたころだと思います。もう一つは、二人が住んでいた場所なんですが、長谷川は品川あたりに住んでいました。最寄り駅でいうと目黒駅あたりです。他方で日高さんは渋谷に住んでいたことを話しましたよね。最寄り駅でいうと恵比寿の方が近いです。グーグルマップで二人の住所を置いてみると、30歳の長谷川と7歳の日高少年は2km圏内に住んでいたんですよ!だから同じチョウを見ていたかもしれません。

中村、東京渋谷で観察したアオスジアゲハについて語る。
中村

それが嬉しくて、こないだ東京まで行ってきました。まずは日高少年の家の周辺をみようと思って、恵比寿駅を降りて、丘の方に上がっていくと、可愛い柴犬がいて、そのあとを追っていると、すっーとアオスジアゲハが飛んできました。今でも渋谷にチョウが飛ぶんだと嬉しくなって写真をとっていると、不審に思ったおじさんに声を掛けられて説明していると、「今でもキチョウやモンシロチョウもよく飛んでくる」と話してくれました。そのあと、日高さんの家の近くまでいくと、先ほど話していたクヌギの木も生えていました。周辺は國學院大学や広尾中学校があるエリアになっていて、日高さんのご自宅は中学校のテニスコートの跡地あたりだったと思います。

中村、1937年にヘレン・ケラーが温故女学院に訪問したエピソードを紹介する。
中村

改めて、日高さんの先ほどの自宅周辺を描いたスケッチを見ていると「温故女学院」と書いてあります。今は温故学会という建物だけが残っているのですが、建物のなかを見学すると、目の見えない塙保己一が用いた『群書類従 』の板木が収蔵されていました。その板木を管理されている方と資料なんかも見ていると、なんと1937年にヘレン・ケラーが温故女学院にやってきて講演をしているんですね。その時に保己一の木彫を触っています。写真も残されていました。

中村、国立科学博物館附属自然教育園(東京白金台)で観察したアオスジアゲハについて語る。
中村

そのあと、長谷川の住所をもとに品川の長者丸という地域を歩きましたが、もう家はありませんでした。ただ、その長者丸のすぐ東には「国立科学博物館附属自然教育園」がありました。1937年当時は「白金御料地」だったようです。園内を歩いていると、アオスジアゲハが飛んできてくれました。渋谷で出会ったアオスジアゲハではないとおもいますが。

松山

けれど、どこかでふたりがすれ違っていた可能性はありますよね。

安原

日高さんの本にいろいろチョウを教えてくれた歯医者さんがでてきますよね。もしかしたら、そうした大人同志で接触していたり。

中村

長谷川と日高が同じ歯医者に通っていたり。

安原

歯医者で長谷川は《蝶の軌跡》っていう作品を描くんだけどさって相談していたり。妄想過ぎますね。そしたら、チョウ道があるんですよって話したり。

松山

改めて長谷川はなんで蝶に注目したんでしょうね。他の作品のタイトルは《構成》、《形態》なので、具体的な生き物がタイトルに出てくるのは珍しいですね。なにかきっかけがあったのかもしれませんね。

中村

こうして二人の関係を追いかけていると、「イリュージョン」という言葉が気になってきました。美術用語のなかでイリュージョンという言葉は、二次元の平面がまるで三次元の奥行きを持った空間として鑑賞者に認識させる遠近法や明暗法として語られますが、日高さんも著書のなかでイリュージョンという言葉を使います。日高さんは、1934年にヤーコプ・フォン・ユクスキュルが書いた『生物から見た世界』という本の日本語訳をされています。ユクスキュルは、各々の生物という「主体」からみた知覚世界を「環世界」と呼んでいます。「動物には世界がどう見えているのかということではなくて、彼らが世界をどう見ているのか」、つまり、人が生物の行動をどう見るかではなく、それぞれの生物の主観的な世界をどう認識していくのかが問われています。日高さんのチョウの飛ぶ道の観察なんかもそうした視点に立って研究されています。

人間も人間以外の動物も、イリュージョンによってしか世界を認知し構築し得ない。そして何らかの世界を認知し得ない限り、生きていくことはできない。人間以外の動物の持つイリュージョンは、知覚の枠によって限定されているようである。けれど人間は知覚の枠を超えて理論的にイリュージョンを構築できる。

日高敏隆『動物と人間の世界認識 イリュージョンなしに世界は見えない』筑摩書房、2003年
中村

そう思うと、長谷川は抽象絵画におけるイリュージョンを《蝶の軌跡》のなかで起こそうとしていたのかもしれませんね。

10. えっ、絵と違うんですか?(美術館の触図)

中村

ここまでを振り返ると、まず言葉で記すことから、資料として美術史的なもの、動物行動学的なものを通して見てきてある程度知見が広がるとともに、より謎が深まっていく感じもあります。ここからは展覧会においてもこの《蝶の軌跡》という作品を触図としてどういうふうに制作することができるのかを考えていきたいと思います。もちろん美術館においてもこれまで触図というものをいろいろな形で作られていると思いますので、そのことから紹介してもらおうと思います。

松山

美術館では2017年から「感覚をひらく」というプロジェクトをやっています。そのプログラムの一環で、美術館が所蔵している作品を触図という凹凸のある図と文章で表した鑑賞ツール「さわるコレクション」を作っています。これまでに10種類の触図を制作したんですが、今日は、一番初めに作った触図と、最新の触図を持ってきました。安原さんに比較してもらおうと思ってもってきました。一つ目は浅井忠の《編みもの》という洋画の作品の触図です。窓辺に女性が一人腰かけて、毛糸の玉から編み物をチクチク作っている様子が描かれています。絵の中には窓であったり、カーテンであったり、女性のきている服などいろんな要素があるんですが、触図を作っていくなかで絵に描かれている情報をすべて凹凸の表現にしてしまうと、情報量が多くなってしまうということがあって、なるべく情報を簡略化すること、記号化することが大事だといわれて作ったのがこの触図です。例えば実物の作品だと毛糸の玉は女性の膝の上にあるように描かれています。けれど膝の上に毛糸があるという触図にしてしまうと、その部分が女性の服なのか毛糸の玉なのかが分からなくなってしまうそうなんです。

安原

えっ、絵と違うんですか?

松山

そうなんです。触図ではスカートの外に毛糸の玉を出すというふうに表現して、何人かの方に触れていただきながら決めていきました。情報として捉えやすいものとして作っています。もともとの絵と乖離してきてしまうことを美術館としてどう判断するのかを悩みながら作っています。どこを判断基準にして作っていくのかということは、作品によっても変わります。もう一つは絵の立体感を考えますね。女性の体の肉体やカーテンが風になびいていることがシンプルになることで、味わいや空気感をなかなか表せれないもどかしさも抱えながら、まずは情報として伝えることを大事にしています。

【作品画像】浅井忠《編みもの》1901年、京都国立近代美術館蔵
浅井忠《編みもの》1901年
松山

最近作ったものが、竹内栖鳳の《春雪》という作品の触図です。この触図は紙の上に二次元で表現するという意味では先ほどの触図と同じなんですが、エンボス加工によってテクスチャーを工夫しています。全体としては、カラスが一羽、船の先に留まっているという構図なんですが、たとえば、カラスを輪郭線ではなく毛のふわふわとしたリアルな質感で表してみたり、絵に描かれた情景を伝えることができないかなと思って作りました。

【作品画像】竹内栖鳳《春雪》1942年、京都国立近代美術館蔵
竹内栖鳳《春雪》1942年
松山

「さわるコレクション」では色んなタイプの作品を紹介したいと思っているのですが、情報の伝わりやすさだったり翻案のしやすさからどうしても具象的な作品を選びがちなんですよね。これは制作までは至らなかった触図で見えない方に触っていただく以前の試作品なんですが、吉原治良《作品》という抽象作品をエンボス加工で表してみました。形の違う楕円が幾重にも重なるように描かれていて、さらに中央のいくつかの楕円の中には放射状に線が引かれているという作品です。触図では楕円の輪郭線と放射状の線を細いラインで表現しているのですが、色の違いは表現できていないですし、円どうしの重なりが分かりづらくてだまし絵みたいに感じる雰囲気があって、それがどこまで触覚的に伝えられているんだろうというのが課題としてあるなと感じています。

ちなみに吉原治良は長谷川三郎より一歳年上で、1920年代後半に二人は同じ芦屋市に住んでいたようです。吉原もまた抽象的な絵画を描いていくのですが、1934年の個展に長谷川が展覧会評を書いていたり、さきほど話が出た『アブストラクトアート』を長谷川が吉原に贈っていたりと、二人の間には交流があったことが知られています。吉原は戦後に具体美術協会という前衛絵画のグループを立ち上げてリーダー的な存在として活躍していきます。1962年に大阪の中之島にグタイピナコテカという展示施設をオープンするのですが、実は長谷川三郎の《蝶の軌跡》はその館内に展示されていたんですよね。

吉原治良が中之島に開設した「グタイピナコテカ」来館者スナップの一枚。《蝶の軌跡》をイサム・ノグチが鑑賞している。
グタイピナコテカ来館者スナップ イサム・ノグチ 10/26 1964
画像提供:大阪中之島美術館 / DNPartcom
松山

国立民族学博物館に広瀬浩二郎さんという全盲の研究者の方がおられるんですが、触図のあり方について研究されています。「視覚障害者の絵画鑑賞─「副触図」の可能性」という論文を書かれています。

一般に、触図は「似顔絵」のようなものだといわれる。点と線の凹凸のみで伝えられる情報はわずかである。絵画を触図に変換する際、何を取り上げ、何を捨てるのかを慎重に検討しなければならない。最初に原図をじっくり見て、そこに表出されるエッセンスを読み取る。次に、その視覚情報をどうやって、どこまで触覚的に表現できるのかを精査する(…)おそらくアーティストや学芸員は、触図で伝えられる情報量があまりに少ないことに戸惑いと失望を感じるだろう。だが、「少ない材料から多くを生み出す」のが触図の要諦である。シンプルな素材で、何を、どう触図化するのか。この点を真剣に吟味する「最小化=最大化」のプロセスは、美術鑑賞の意義を探る知的冒険でもある。

広瀬浩二郎「視覚障害者の絵画鑑賞—「副触図」の可能性」『民博通信』No. 161、2018年
松山

この文章を読んで、少ない素材で絵の何を味わうことが大切なのかを改めて考えさせられました。この《蝶の軌跡》の味わいどころがどこにあって、どういった触図を作っていくことができるのかを話せると面白いかなと思いました。

中村

副触図のたとえとして、テレビの副音声を紹介していますね。つまり触図だけが自立してあるというよりも、言葉もあるし、「副えられた触図」って考え方は、戸惑いもあるし、可能性があるとも思いました。あと美術館の触図を2つ見ていて思ったのは、具象画における触図って、形をある程度追っていくことで、ここに人物がいる、カラスがいるってことが見えてくる。けれど膝の上に毛糸玉をのせることができないということが難しさとして残ってくる。そう思うと、抽象絵画の触図って、ある意味自由度がすごく高くて、凹凸だけでなくて、アナロジーをもって身の回りにあるものを使いながら、会話を組み立てるような試みもできる気がしてきました。

11. 束から解いていく(新物理学B)

中村

まずはウォーミングアップしていきましょうか。第一回の自由美術家協会展には《蝶の軌跡》のほかに13点の作品が展示されましたが、それぞれの作品間には構造的なつながりを見出すことができます。たとえば、《新物理学B》という作品です。横長の画面には毛糸が画面の右端と左端に束ねられていますが、画面の中を自由に毛糸がまるでチョウが飛んだ軌跡のように配置されています。ちょうど、日高さんが東浪見で観察した軌跡とも似ていますね。

【作品画像】長谷川三郎《新物理学B》1937年、甲南学園長谷川三郎記念ギャラリー所蔵
長谷川三郎《新物理学B》1937年
甲南学園長谷川三郎記念ギャラリー所蔵
中村

絵を真似るのではなく、どういうプロセスで作っていたのかをかんがえるのもいいですね。

安原

ハンモックをふわっと広げた感じですね。

松山

長谷川さんってあやとりとかも好きだったんですよね。紐が身の回りにあったのかもしれませんね。

中村

一本一本置いて行くんではなくて、束から解いていく感じだったかもしれませんね。

12. 小豆が押し返してくる(都制)

中村

だんだん椅子から立ち上がってきましたね。二つ目は《都制》という作品をみていこうと思います。長谷川三郎は身の回りにある素材を使いながら作品を作っているのが1つの特徴です。戦後に木版の作品を制作するときに、かまぼこ板があったっていうことに気づきました。前の日に食べたかまぼこ板が台所に干してあってそれを版木として使いました。版木を彫る彫刻刀も子供のものを使っていました。インクもポスターカラーを使ってペタリペタリと押していきましたし。

安原

じゃぁこの綿はいらなくなったお布団をばらして使ったのかもしれませんね。

中村

家ではなかなか綿って見ないですもんね。

松山

手芸とかされるのであればあるかもしれませんけれど。

中村

小豆だって家にあったのかもしれませんね。

【作品画像】長谷川三郎《都制》1937年、甲南学園長谷川三郎記念ギャラリー所蔵
長谷川三郎《都制》1937年
甲南学園長谷川三郎記念ギャラリー所蔵
中村

できた気がしますね。

安原

簡単にできちゃいましたね。

中村

けれどこれを思いつくアイディアとかね。造形としてもすごく綺麗ですよね。

安原

小豆は意外と固まるものですね。沈んでいって。

中村

あまり触り心地のない経験ですね。手のひらで抑えると、下で小豆が押し返してくる感触がありますね。

安原

なんとなく跳ねる感じがありますね。小豆だからちょうどいいですけど、大豆とか米でもちがうでしょうね。

松山

タイトルからもそうですけれども上から見た感じがしますね。

中村

綿、糸、小豆という要素だけですが、都市という感じがします。この上をチョウが飛んでいくような感じもしますね。先ほどの黒と茶色のタッシュとこの小豆もどこか似ていますし、刺し子のように均等ではないですが、画面を埋めるという感じはどこか似ています。

13. 手痕がありそうでない(ドローイング)

中村

3つ目は、この間甲南学園で見せていただいたドローイングになります。「みづゑ」(第392号、1937年10月)という雑誌にもその図版と長谷川三郎のアトリエでの作業風景も載っています。このドローイングには《蝶の軌跡》の描き方のヒントがあるように思います。

中村

粘土が平らになる感覚がこの絵に近づいていく感じがしますね。長谷川の作品って、手痕がありそうでない感じがすごくするんですよね。直接的な筆の筆致というよりも例えば小豆を落とすとか、自分でラインを作るというよりも、偶然を取り入れているような感覚がありますね。あと、テーブルの上での作業だからこそ起こる偶然ってありますよね。壁に掛けると、重力がありますが、テーブルの上だと転がってもいくし。

安原

先ほど資料の中でもそうしたことをいっていましたよね。

中村

瀧口修造がいっていた「分散と凝結」っていうのはそういう感じがしますね。

中村

やはり偶然性というか、下に図像があって、その上にさらに図像が被さった時に、どこまでが見えてどこまでが見えなくなるのかとか、そういったことを調整?しながら作品を作っていくんだろうけど、偶然性をどこかで担保している感じはありますね。

松山

私たちみたいに上の図像を動かしながら考えていたこともあるでしょうね。

安原

この形を自分たちが粘土を使って作ったからかもしれませんが、一番《蝶の軌跡》から遠いような造形に思いました。小豆とかひもの方が感覚的につながるものを感じました。この作品は《蝶の軌跡》にどういうふうにつながっていくのかなあと思いました。

中村

これまで作ってきた小豆とかひもは、確かに流れや動きを感じるものとして《蝶の軌跡》との連動性を感じました。他方でこのドローイングは、画用紙を切ったり貼ったりして作っていくプロセスがポイントで、そうした痕跡が画面を圧縮させて作っていく感覚は《蝶の軌跡》と近い感じを受けました。僕が粘土をつぶしたいっていう感覚も高さのあるものをぐーっと平面上に落とし込んでいく感覚もありますね。三次元の空間を二次元空間へサンドウィッチしていく。だから出来上がったものの触図として、《蝶の軌跡》を連想しにくいかもしれません。

14. 8の字は、楕円をひねったのかも(蝶の軌跡)

中村

最後は《蝶の軌跡》を触図で作っていきたいと思いますが、アイディア出しぐらいの感じでいきましょう。いくつかのパーツをこれから検討していこうと思うんですが、はじめはロープになります。このロープは輪っかになっていて、《蝶の軌跡》の真ん中の8の字と同じ位の長さになっています。画面上に広げてみましょうか。触図って意外とこのロープだけでも成り立つんですよね。

安原

いろいろもう知ってしまったらこれだけじゃ物足りないなとおもっちゃう。

中村

そう言われると思って、まだ準備していますよ。

安原

何も知らずに触ったら、ただのロープよりもこの小豆ひものほうが印象を強く感じますね。なんかポチポチついているという感じで辿っていると、こっちの方が印象に残りやすい。鉄アレイも8の字と違う素材に変わるといいかもしれませんね。けどバラバラとしすぎるかな。あと色が気になりますね。黄色い部分と紫色の部分によってキャンバスの質感が違うとか。

中村

絵がどんどんと立体的になってくる感覚は面白いですね。今目の前に本作があって、この触図があって、その連動性をこれから展示でどうやって考えていくかですね。これ作ってきたものになるんですが、銅線でできた8の字になります。チョウの軌跡が8の字であったとしたら、日高さんの研究によると、チョウは高い木のあたりと飛ぶこともあれば、低い草地をとぶこともあると。そうした行動は真上からみると、8の字ですが、目線を普段の僕たちのところまで下げていくと、8の字の結節点はなくなって、楕円を描きながら飛んでいるようにも思えてきます。つまり楕円に少し高低差をつけるように捻っていく、それを真上からみると8の字に見えます。そういうふうに見ていくと、長谷川の8の字は結節点あたりの線が張ったような形ではなくて、どこか緩やかです。楕円って同じ道や同じ運動を繰り返すことをイメージさせますよね。

松山

チョウは画面の中を地面と並行に飛んでいるのではなく、高さを変えながら飛んでいると。

中村

そういうふうに考えると、この絵は平面でありながら、どこか立体的なもののイリュージョンが隠れているような気がします。今回はチョウの行動や軌跡をベースにしながら、触覚を通してみてきましたが、展示で触図になることで、よりこの絵の解釈が広がっていくような感じがしました。

松山

全然違う、新たな作品になって来た気がしますね。

中村

それくらい派生していくのもいい気がします。

松山

印刷とかでの触図ではここまではあらわせないと思います。3人それぞれの感じ方があっていいと思います。

中村

もしかしたら、日高さんの緑と黒のストライプモデルではないですが、チョウからみたらよくわかる絵なのかもしれませんね。人間からみたらわからないけど。

安原

この触図の軌跡はみなさんにとって何の軌跡ですか。

松山

さらに謎が深まりましたね。

中村

当時、長谷川のこの作品を見た人が感じていた分からなさがあって、それはなかなか言語化されなかった。今ここにある触図を見ていても、そうしたわからなさがしっかりと担保されているんだなと思います。触図ってもちろん鑑賞ツールとしての機能は求められますが、必ずしもわかりやすくすることが目的でもないような気がするんですね。それよりも触り心地とかそのものを受動的に触れることだけでなく、同時に作っていく感じが大事で、そういう意味でもこの触図は長谷川三郎の作品のアナロジーとして機能しているように思います。三人の行動の軌跡でもあります。形が似ていることが求められるのではなくて、そのわからなさを断片的に触れることで徐々に理解していくこと。そうした「分散と擬結」がこの触図にもあると思います。

安原

私もますます混迷してくるというか、何の軌跡かといわれるとよくわからないですけれども、いかようにでも解釈できる幅が広がったのかなという気がします。パターン化されている分、具象よりもイメージしやすいのかなあとも思いました。だからなんだという解釈はそこにはなにもないんですけれども。

中村

あー、なんか「あやとり」みたいなものかもしれないですね。今はこのかたちで伸びて、このかたちであるけれども、このアイディアがあれば、次にまた違う形に変換していくことも可能だし。単位としてのルールがあれば、このサイズのキャンバスの上でなくても展開していくことができると思うんですよね。8の字は、楕円をひねったのかもしれないですし、もっと引っ張ってみたら一直線になってみたり。そうしたトポロジーというか、形が位相していくルールさえあれば、形が変換していくことができる。今この瞬間はこの形になっているけど、次に違うチョウが飛んできたら違う軌跡になりますよね。安原さんの言ってくれたパターンというポイントと、あやとりのように伸縮自在であることというのがポイントですね。あと長谷川は、あやとりだけでなく、1936年に来日したジャン・コクトーが子供の描く「円」に感嘆したことにも言及しています。

また我々の姉妹や娘達が、そのか細い指でつくり出す「あやとり」の時に平面を、時に立体を形づくる線の幾何学図形の微妙な変化と、その一つ一つの美しさとを誰も忘れてはいまい。ジャン・コクトーは「石けり」の為に地上にコンパス無しで完全な円を描く日本の少女に感嘆したが、彼女が小さな手に紐の幾何学図形を張りまわして「さあ、今度はおじさんとって御覧」といってきたとしたら、彼は一つの円くらいに、感心した自分に間抜けさを恥じたに相違ない。

長谷川三郎「前衛美術と東洋の古典」『みづゑ』384号、1937年2月
中村

さらに面白いのは、文芸評論家の花田清輝も長谷川と同じくコクトーがみた完全な円を描く子供に触れつつも、話の論点を「円」から「楕円」へと進めていきます。

楕円にみいだせる無数の性格を探究すべきであった。惑星の歩く道は楕円だが、檻のなかの猛獣の歩く道も楕円であり、今日、我々の歩く道もまた、楕円であった。いうまでもなく楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、依然として、楕円が楕円である

花田清輝「楕円幻想——ヴィヨン」『復興期の精神』眞善美社、1946年
中村

こうして合わせ読んでいくと、楕円の形をしたあやとりの紐に右手と左手を交差させることで出来上がってくる柔らかい形は、どこか《蝶の軌跡》の8の字を想起させます。こうした楕円という単位のなかでどういうふうに形を変化させていくことができるのかを展覧会の触図でも考えていきたいです。ちなみに花田の本の挿絵には、長谷川の『アブストラクトアート』に掲載されていたアルプの作品が載っていたんですよ。

松山

この単位を使って、ほかにどんなものができるか楽しみですね。ゆるいルールがあって、その方法は鑑賞者に委ねられるような。

中村

もっと絵が動いてくるような感じがしますね。

松山

8の字の軌跡だけでなくて、島や星座も動いていくような気がしますね。

ABCコレクション・データベースvol.3 長谷川三郎《蝶の軌跡》のイリュージョン