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展覧会上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   III. 上野伊三郎・リチの京都

上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   III. 上野伊三郎・リチの京都


上野リチ 《飾箱「花(すずらん)」》 1950年頃 七宝
上野リチ 《飾箱「花(すずらん)」》 1950年頃 七宝
1925年、上野伊三郎とリチは結婚するとすぐに、ウィーンから京都へと住まいを移します。
上野リチ 《マッチ箱カバー》 1950年頃 七宝
上野リチ 《マッチ箱カバー》 1950年頃 七宝
翌年にはII章でも触れたように「日本インターナショナル建築会」の設立にかかわって、ウィーンから京都を舞台に、スターバーをはじめ、夫妻で共同して仕事にたずさわる機会も多くなります。1936年から3年間、上野伊三郎は群馬県工芸所長をつとめ、リチも嘱託として工芸品の制作に従事するほか、1939年から翌年まで、夫妻で満州にも赴いてもいましたが、第Ⅲ章では、本コレクションを構成する作例が、ほとんど京都で制作されたものであることから、上野伊三郎とリチにとっての京都という視点に焦点を絞り、その足跡をふりかえります。
上野リチ 《パラソル用プリント地下絵1》
上野リチ 《パラソル用プリント地下絵1》
しかしながら、本章の冒頭を飾る上野リチの中国で制作された絵巻物や、ウィーン時代の《ウィーンのクリスマス市》などリチの代表作が本コレクションに含まれているのも、見どころのひとつでしょう。ウィーンでも試みられていたエマーユは、京都・稲葉七宝の技術を取り入れることでより表現の広がりが示され、「リックス文様」も、京都の繊維会社で制作されたプリント地に引き継がれてゆきます。また水彩などによる様々な装飾品の原画も、数多く残されていました。
そしてこの時代、15年近くの間、夫妻そろって京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)工芸科に奉職し、「工芸教育」に精力を傾け、その成果はインターナショナルデザイン研究所に活かされたことも見逃せません。

上野リチ 《ウィーンのクリスマス市》 1955年
上野リチ 《ウィーンのクリスマス市》 1955年
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