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展覧会上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   II. 上野伊三郎と「日本インターナショナル建築会」

上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   II. 上野伊三郎と「日本インターナショナル建築会」


『インターナショナル建築』第2巻第6号
『インターナショナル建築』
第2巻第6号
『インターナショナル建築』第2巻第11号
同誌 第2巻第11号
ウィーンから帰国した上野伊三郎は、1926年京都市上京区竹屋町に「上野建築事務所」を開設しました。建築設計や監督、美術工芸図案を主な業務とし、上野リチはその美術工芸部主任として伊三郎の建築の仕事をささえてゆきます。さらにこの事務所で、上野伊三郎と早稲田大学時代に同期であった大阪在住の建築家・中西六郎や中尾保、大阪市の技師で上野の先輩だった伊藤正文、そして京都高等工芸学校図案科教授・本野精吾らも集まり、新たな建築運動を立ち上げようという気運が熟し、1927年7月2日この事務所で、上野伊三郎を代表者として「日本インターナショナル建築会」が結成されました。これは京都のみならず、関西の地から、広く国内外に発信されたはじめての建築運動として注目すべきものでした。上野伊三郎の海外でのネットワークも駆使して、外国会員にブルーノ・タウトやE.メンデルゾーン、J.ホフマン、P.ベーレンス、W.グロピウスなどを加え、1929年8月に機関誌『インターナショナル建築』を創刊します。
『インターナショナル建築』第3巻第10〜12号
同誌 第3巻第10〜12号
『インターナショナル建築』第4巻第1〜3号
同誌 第4巻第1〜3号
第II章では、「インターナショナル」な建築と、綱領として「ローカリティ」や「建築を中心にして人間の生活に関するすべてを含む」という再考すべき問題を打ち出した同会について、『インターナショナル建築』を全巻紹介しながら、光をあてます。また、本展覧会と時を同じくして、本コレクションの『インターナショナル建築』が復刻され、刊行の運びとなった(国書刊行会発行)ことも意義深いでしょう。

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