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展覧会投稿 No. 12  河津聖恵「誠実な表現者」

投稿 No. 12  河津聖恵「誠実な表現者」


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  私は詩の書き手ですが、麻田浩さんの作品に大変触発を受けました。詩あるいは日本語に近代が落とした光と影と同様の何かが、この一人の画家の実存に、静謐にしかし激しく集約されていると感じました。「揺らぐ近代」展においても感じたように、美術製作というある意味で大変孤独な時空で、それぞれの美への感受性を最終的な支えとし、表現者たちはめまいのような知覚の変化、美意識の欧化にたえつつ、鏡のようにキャンバスに向かい、絶望と希望を探求してきたと思います。麻田浩という一人の実存的な画家は、そうした「近代の両義性」を決してすりぬけることなく、たぐいまれな知覚あるいは想像力において引き受けた希有な表現者だと感嘆しました。この誠実な画家を取り巻く美術のあるいは時代の状況の変化は、その誠実さゆえに辛いものであったと想像します。非具象、モダニズム、ポストモダニズムという流れにおいて、真実を手放さないでいることは、美術制作の現場においては、孤独をつのらせ、しかし一方で歓喜ももたらしたことでしょう。そのような中でひとすじ、「世界風景」という真実へ向かうみずからの魂の深さを信じつづけた、信仰ともむすびつくだろうその信念が、私たちに提示する世界は深く広い。パリ生活の様子を記した手帳に、リルケの「マルテの手記」に言及されていたのが印象的でしたが、パリとは近現代を誠実に生きた表現者たちにとって何なのか、と考えさせられました。タルコフスキー映画の一情景を思わせる絵もありました。詩においてはふとパウル・ツェランという詩人を思い出しました。そのどの詩句をあげてもこの画家は頷くのではないでしょうか。たとえば「石の頭巾 時。そしてもっと豊かに/苦痛の巻毛は 大地の顔のまわりに湧き出る、」(「九月の暗い目」より)のように。キーファーの絵画にも感じた、言葉へのあるいは言葉からの触発を秘めた静かなざわめきを感じ続けました。

(2007/09/14 河津聖恵)

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