展覧会投稿 No. 11 山野英嗣「麻田 浩展『電子メール討論会』に向けて——小考」
投稿 No. 11 山野英嗣「麻田 浩展『電子メール討論会』に向けて——小考」
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このたびの「電子メール討論会」でも、大変興味深い多数の貴重なご意見をいただきました。きたる9月17日(月・祝)の「シンポジウム」では、ぜひこれらのご意見をもとに、「今、なぜ麻田 浩なのか」というテーマについて議論できればと思っています。
さて、ご投稿いただきましたNo. 6「絵画における『聖』麻田浩」のなかで、高橋たか子氏著『霊的な出発』(女子パウロ会 1985年)にも麻田 浩の表紙画とカットが掲載されているというご指摘がありました。そして、今回の展覧会の「IV.表紙画の仕事」に、「どうしてこの本がなかったのか、少し腑に落ちない思いがしました」という感想を寄せられています。また、麻田 浩とも親交のあった美術ジャーナリスト・塚本 樹氏からも、ご著作『名画はあなたが決める』(思文閣出版 1994年)の表紙画は、麻田作品であるとのご指摘をいただきました。
早速、私も今は絶版となっている『霊的な出発』を古書店から買い求めましたが、本書では、表紙画のみならず、収められたエッセイ25章のほぼすべてに、小さな鉛筆によるカットも掲載されていて驚きました。うかつにも私はこの表紙画の章解説(会場掲示パネルと図録)で、「本章では、麻田浩の作品が取り上げられた、その表紙画のすべての仕事を紹介する」と記しましたことを、ここにおいて訂正させていただき、お詫び申し上げます。
(図録も、このたび増刷の運びとなりましたが、その章解説では、「すべて」という言葉を削除訂正いたしました。)
私は今回、本展覧会を準備する過程で、麻田 浩のこれら表紙画の仕事が、同じく新制作協会を代表する小磯良平にも数多くの新聞挿絵が残されているように、文庫本や単行本という形式において大衆にも支持されるべき一面をもっており、こうした書籍などもぜひ紹介しなければならないと強く感じ、ご遺族にもあえてお願いし、計12冊の文庫本や単行本をそろえていただきました。しかしながら、作者が亡くなって10年を経ているにもかかわらず、そのすべてが完全なかたちで残されているということを、過信したように思われます。
ただ、高橋たか子氏の『霊的な出発』などは、刊行から20余年が経過しているとはいえ、あらためて読み返してみて、今回ご投稿いただいたご指摘どおり、麻田 浩の作品について再考する上で見逃せない著作だと実感いたしました。周知のように、麻田 浩は高橋たか子氏と親交があり、ほかにも著作の表紙画を手がけていますが、まさに『霊的な出発』の出版は、麻田 浩生涯の代表作《地・洪水のあと》(1985–86年、京都国立近代美術館蔵)の制作と重なっています。そしてこの《地・洪水のあと》の作品裏面には、このホームページの展覧会紹介や図録掲載の拙文「『麻田 浩』再考」でも触れたとおり、『旧約聖書』の「伝道の書」第1章の冒頭部が、フランス語で記されていました。それは「伝道者は云う。空の空、空の空、いっさいは空である。・・・・世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変わらない」という一節です。
麻田 浩自らが書き込んだこの一節が如実に物語るように、《地・洪水のあと》の制作を機に、麻田 浩は以後、一層深く宗教的な主題を取り上げてゆきます。そして、裏面とはいえ、この作品で、なぜ麻田 浩は、わざわざこうした書き込みを行なっていたのでしょうか。この《地・洪水のあと》と対をなす、同じ500号の大作である《旅・影》(1987年 静岡県立美術館蔵)の作品裏面にも、署名とタイトル、制作年以外何も書き込みはありません。具体的に、敬虔なクリスチャンである高橋たか子氏の小説やエッセイと、麻田 浩の絵画との表現上の関連なども(麻田 浩も1991年に洗礼を受けています)、麻田理解にとって、今後のテーマのひとつとなるでしょう。また私には、今回の出品作《庵(ラ・タンタション)》(1991–93年)の作品も、非常に気になっています。まさに洗礼の年からニューヨークでの個展開催など、この作品の制作年も、麻田 浩にとって重要な時期と重なっています。麻田 浩は、たとえば画面に教会や十字架などを描いていても、ほとんど図版では確認できないほど小さく控えめに描いていますが、この《庵(ラ・タンタション)》では、一転して、宗教的モチーフを大胆に扱っている点でも見逃せません。そして、「麻田の作品は、見る者を観想へと誘うからです。そして観想ということは『神』を求めるものでなければわかりづらい概念だからです。日本人は特になじみにくいのではないでしょうか」というご指摘のように、その宗教性のゆえに、現代では、麻田作品が遠ざけられ、親しまれてこなかったのかもしれません。しかし、熱狂的な「麻田絵画」の信奉者の方々がおられることも事実で、本展覧会の準備をとおして、そのことを痛感いたしました。
また、麻田 浩は、自らのパリ体験を、青春時代に愛読したリルケの『マルテの手記』と重ね合わせるように回顧しているのみならず、その作品画面も、一種「物語性」を有するような独特の気分を示し、宗教的なテーマをもつ作品も、描かれた事物の象徴性を解読する作業を必要とします。麻田 浩の絵画に登場するモチーフは、すべて作者自身にとって、自らの「生」にとって意味を有するものばかりだといって過言ではなく、こうしたイメージの集積によって、麻田絵画は成立しているといって過言ではありません。
今回の展覧会は、麻田 浩のはじめての回顧展でもあるという機会をとらえ、これまではほとんど忘れ去られていた初期作品から、初出品展以後、まとめて紹介される機会もなかった渡欧以前の1960年代から70年代初頭にかけての作品も含めています。それらの作品は、後年の麻田絵画とはまったく作風の異なる、アンフォルメルの抽象作品からシュルレアリスムへという移行が見られ、ほとんどの人は驚かれるに違いありません。しかしながら麻田 浩は、当時の新しい動向を果敢に取り入れながらも、いわゆる現代美術表現を追求することなく、むしろ渡仏以後は、あたかも時代に逆行するように、西洋古典絵画を範とするような写実表現に没頭してゆきました。技法上は、デカルコマニーなどのシュルレアリスム的な描写を継続して用いてはいるのですが、初期とは、作風がまったく異なっています。しかも描けば描くほど、技術は高められ、100号を超える大作でも、シュルレアリスム的な、イメージが喚起される描法が駆使されるという、まったく独自の画面処理が施されています。
加えて、これまで麻田絵画については、「静寂」といった言葉に象徴されるように、静まりかえった画面印象について語られることが、いわば通説のように定着していました。しかしながら、今回の投稿文のなかには、No. 6「絵画における『聖』麻田浩」に「麻田 浩はどんな音楽を好まれていたのか」というご指摘がありのみならず、No. 7のご投稿では、麻田絵画の作品とオペラ「白鳥」との色彩の類似性について記されるなど、麻田絵画と「音楽」とのかかわりといった、総合的視野にたつ新たな意見も呈示されてきました。私も、「原風景」の連作などには、やはり「静寂感」を抱きつつも、今回の展覧会ではじめて、《旅・卓上》(no. 113)の作品を間近に見て、画面中ほどに「花火」が描かれていることに気づき、「静寂」の中にも「音」を感じさせるモチーフが存在していることもわかりました。
こうした様々の興味深い要因を探し求め、浮き彫りしながら「今、なぜ麻田 浩なのか」というテーマに思いをはせることができればと考えています。
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