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展覧会投稿 No. 10  匿名希望D

投稿 No. 10  匿名希望D


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匿名希望D

  麻田作品と出会いちょうど20年(生前の先生との対話を含めた10年、その後の美禰未亡人との対話を含めた10年)。今回その回顧展が催され、その主要作品を含む全貌を京近美の皆さんのご配慮により初めてここに拝見出来る事は、それをご両人が生前、なによりも望んでいた事を知る者の一人として、今ご夫妻が天上にて如何にこの人生最良の栄誉のひと時を、共に喜び合い積年の辛労辛苦を互いに癒されているかと思うと感無量です。又今回、作家の手記をも含むほぼ完璧ともいえる図録をお作りいただいたことも、麻田の全貌理解と言う意味でも大変有意義な事で、昨今の美術館運営環境、非常に厳しいなかでの快挙とも言うべき事と思います。

I  ASADA英文メモ

  さて岩城館長ご指摘のように、麻田氏が自らの作品について記した事は少なく、既にほとんどは言及されたかと思いますが、私見では、これまで見れる機会がなかった故に知られていないもので、かなり意味があるやもと思われるものがあり、メール討論会参加と言う形で、ここに今後の皆さんへの資料提供としたいと思います。
  それは1991年のNEW YORK展の図録への本人の追加挿入挨拶文です。その図録(そこには岩城館長が引用(投稿8)された小倉元館長による序文あり)には氏の短い挨拶文が既に印刷されているのですが、実はそれには、更にA4サイズ一枚の追加シートに、タイプ文で以下の作家のメッセージが打たれた物が付け加えられていました。現地にて追加され挿入されたものと思えます。但しこれが作られた正確な背景などは現時点では判りません。残念(当然)ながらそれは英文表記されております事はご了解ください(勿論原和文の所在は存じ上げませんし、文章は彫琢されており、素人の私などを寄せつけません。願わくば、どなたか是非この和復文 お願いしたいものです)。以下引用文:

HIROSHI ASADA — JOURNEY OF THE SOUL

During my twelve years in Europe, I was an artist who enjoyed the physical aspects of travel, but in the ten years following, I have become an artist who only journeys within the soul.  It must be destiny, yet there are times when I am saddened by this.

It is when memories and imagination—“journey of the soul”—are conveyed through the physical medium of paint on canvas in an unpremeditated fashion, resulting in the birth of my painting, that I find the meaning of life and happiness.  Of course, not every work succeeds and, surrounded by my work, I can feel both happiness and dissatisfaction at the same time.

It has been said that my work is expressive of the world of an enlightened soul controlled by a deep sense of serenity.  In reality, my soul is immersed in an emotional storm.  This storm is very much a subconscious element and while I do not quite comprehend it, I am convinced that it is the foundation of my work.

My poor health for the last ten years has resulted in constant physical suffering.  This pain seems to trigger the turbulent storm within, restricting me from direct contact with reality, leading me to solitude, taking me into an inner, subconscious realm.
和訳文を読む

以上ですが、私はこれは氏が晩年にいたる自分の創作活動と、そこから生まれ出た作品の核心的部分を如何に把握していたかを、総括的かつ端的に表現したものに思え、これまで大事にしておきました。そこには画家としてはまず記したがらない踏み込んだ表現も見えます。これは晴れの、然し最後のチャンスになるかもしれないNY展に臨み、リスク承知で敢えて記さざるを得なかった追い詰められた画家が、心のふるさととしての欧米(人)には何としても自分の作品を然るべく理解評価してもらいたく、進んで難解な麻田世界を読み解く鍵を用意した特別なメッセージであったと思えてなりません。これが今後の皆様の麻田研究の一助になれば幸せです。尚、以下に、図録に印刷されてた挨拶文も引用しておきます:

Europe has long figured prominently in my life.  It has been a place where I have lived, worked and travelled for many years.  Perhaps because I saw myself as a journeyman artist in the traditional European sense that that part of the world held such an attention for me.  Every artist at some points regrets moment not seized and I am at a loss to explain why my contact with America has hitherto been limited.  In any case, I am happy to now have opportunity to share my work with a new audience.  I am deeply grateful to Mr. Ogura for offering his insights to my work and Mr. Kiyoshi Tamenaga for making this exhibition possible.

Hiroshi Asada
Kyoto, Japan, 1991
和訳文を読む

追記: NEW YORK展 と “帰るところ”
  このNY展は展示作品の質の濃さに加え、特に私見では新しい麻田の境地の誕生を示すと思われる幾つかの重要な作品が出展されていた事でも、如何に画家がそれに賭けていたかが解るかと思います。残念ながら、小倉氏によっても上記“序文”で言及されたそんな世界を示すものの一つとされた“帰るところ(参考図版137)”や、そのほか“樹(A)、同138”、“樹(B)、同139”、さらに“霧の窓、同141”等の大作は、所在が海外又は不明と言うことで今回の回顧展では展示されなかったようです(勿論本回顧展でもそのような流れを示す作品群は以下(2)で述べるように沢山展示されていますし、このことはその中で少し記したいと思います)。尚この“帰るところ”は、かのエルトン・ジョンが他の幾つかの作品と共にこの個展で購入しているとの事です。次回の麻田展には是非拝見したい、個人的には最も好きな作品のひとつです。

II  麻田浩について

  実は今回さる大変お世話になった方から、私にとっての麻田浩とは何か、というようなことにつきメール討論会に書き込むべしと言われておりました。とても書けるような物はないため辞退してきておりましたが、先日改めて催促されてしまい、残り期間も短くなりましたので、已む無く上記の英文メモのことだけは残しておくべきかと思い報告した次第です。そんな訳で肝心の麻田論については以下、思いつきのみを記させていただきます。ご批判など多々おありかと思いますが、私がこれを書かざるをえなかった事情をお汲みいただき、内容につきましては素人の独り言としてご放免、ご笑読下さい:

(1)麻田浩 =  Imaginary Journey in/with Memory(心象風景の軌跡):
  地と太古のもろもろと水滴(生命)、又は人類文明滅亡後のようやく静寂を取り戻した世界原風景(存在論)、中世風景(パテニエール)、旧約や鳥のさえずりと死骸(伝道)などの記憶や夢の断片の数々、はては、森と川と木々(現代山水)とコンピューター画面に映る青い地球とみずみずしい森(“霧の窓”141)——これら暗黒の背景に漂い,さまよい続け尽きる事ない幻想、イメージの連鎖はなにか。絶望的な現実を前にキャンバスの中でしか、もはや生きていけない病み疲れた魂。それが実在と感じやすらぎを覚えるのは、これらの記憶や幻想風景のイメージが織りなす美しい虚空風景のみであり、この心癒される安息地(美のキャンバス)の創造を、絵筆1つで文字どおり命を賭け妥協を拒否して、求め続けた魂が残した稀有の心象軌跡、即ち Imaginary Journey in/with Memory ではないかと思えます。
  病める心の救いと喜びをキャンバスの中にのみ求めざるをえなくなった辛い人生だったと思います。我々がそれらを見て感動し、なぜか引き込まれるのは、そこに描かれた世界がやはり美しいものと共感でき、我々もそこに、ひと時の魂の救い、心の安らぎを覚えるものを見出だすことが出来るからに他ならないからと思います。その背景には多かれ少なかれそんな安らぎを求めざるを得ない我々の現実の困難や苦悩と、現代の孤独がやはり共有されているからではないでしょうか。

(2)日本風景(山水)への回帰(晩年の新たな境地への私見):
  山野主任研究員の分析(p.22)によれば90年代以降の麻田作品には新しい境地が現われてきており、それは御滝図(図106)に代表される自然崇拝、日本的なものの傾向とも分析されていますが、むしろそこにキリスト教的な宗教的世界の影響と主題をみられているようです。これまで投稿された方もそのような意味での評価、賞賛等が支配的と思えます。確かに圧倒的な神性や宗教的な世界を感じさせる大作がこの時代にも描かれていますが、私には日本的風景、自然崇拝、同化への傾斜のほうが強いと思われる物も同様にあると思われ、こちらの方が個人的には興味ある内容で、“現在、日本の風景、風土をモチーフにしたいと考えている”という作家自筆メモ(96年)をどう理解すべきかと言うテーマとも関連してくるものです。私感では自然崇拝/同化というようなものが特徴的と思われるものは、御滝図のほかに、図版110、111、112、117、118、120、124、125、128、132 などかと思います。上記“ 帰るところ”を含むNY展作品群もここに当りますが、これは一言で言えば氏が、所謂“自然との交感”というような世界に心の安らぎや喜びを覚え始めて来ていたのでは?ということです。これも宗教的な救済を得た事(’91年の洗礼)による精神的な安息感がもたらした楽園風景(山野氏)なのかもしれません。ただ私はこれらの作品にはそんなに強い宗教性は感じませんし宗教的側面だけではカバー出来ない、またすべきでない大事な側面がやはりあるのではないかと思いますが如何でしょうか。60歳になりそれまで慣れ親しみ、氏を慰めていた心象世界が、もう氏に充分な安息を与えなくなったのかも知れません。ヨーロッパから帰国して20年余、ようやくその硬質な原風景が、生まれ育った京都の日本的な風土、豊かで湿潤な自然に囲まれた風景(新たな原風景)によって取って代わられ、それらのイメージや印象を描く事のなかに、画家はようやく心の安らぎを見出し始めていたのではとも思えるのです。それまでの夜に支配された暗黒風景や乾ききった地表は消えうせ、代わって緑豊かな湿潤な森には力強い樹木が立ち(南の国のヤシの木々までも)、川や湖、鳥のさえずりさえも聞こえてくる朝の光の世界(それまでの見慣れたモチーフは相変わらず画中に散見されますが、もはやメインのイメージ作りの役割は終えているようです)。これらの新しい見慣れぬ雰囲気を持つ風景画はどう理解し位置付けたらよいのだろうか、画家が自ら命を絶つことなくまだまだ健闘していたならば、どんな新たな世界を創り上げたであろうか、という事とも関連した私には大変興味あるテーマです。とはいえこれ以上はもう私の知恵や能力を超える世界です。諸先生方のご教示をお願いしたい所以です。

(3)画法:
  尚、麻田作品におけるいわゆる遠近法的なものや装飾的なもの特性についても興味を持って作品を眺めていますが如何なのでしょうか。東洋(日本)画的手法との関連も含めて、そこに変遷や特徴などがあればそれを含めどなたかご教示いただければ併せて幸いです。

III  最後に

  画家がその画業の完成を見ることなく自らの命を断たなければならなかった事はまことに残念な事ですが、あれだけの病苦に苛まれ又余命の長くない事も宣告されていれば、他人が云々できる事では無かったと思います。又、氏は自ら、少なくともその今生の世には、決して然るべき画壇などからの評価は与えられないであろうとの確信、諦念に到っておられました。従って当然その生活は肉体的にも、また精神的にも従って実生活でも困難を極めていたわけで、そのような重圧のなかにあれだけの数の見事な作品を、精緻な筆致をもって残された事は驚嘆すべき事と思っております。ここにそのご努力に対して改めて敬意を表し、ご冥福をお祈りするものです。

(2007/09/12 匿名希望)


英文和訳

麻田 浩——心の旅

12年ヨーロッパに渡っていた間、私は旅する画家と言ってもいい程旅をすることに楽しみを感じていた。しかし帰国してから10年を経て、私は心の中でしか旅のできない画家になりました。運命だったのでしょうか。私は時にこのことを思うと淋しくなります。

幾多の思い出や想像(「心の旅」)が、キャンヴァスの上で絵の具によって実現され、思うように作品が完成すると、私は生きる意味や幸福を実感します。もちろん、すべての作品が思うがままに完成するわけではありません。作品に囲まれていると、私は時に幸福を、そして時に不満も感じてしまいます。

私の作品は、悟りの世界に達した、深い静寂に包まれた精神世界を表していると言われることがあります。しかし実は、私の心はむしろ感情の嵐とでもいうべき状況の真っ只中にあるのです。この嵐を私ははっきりと意識しているわけでもなく、私自身も理解できないものですが、しかし私の作品の基盤となっていることは確かだと思います。

この10年間、私は健康をそこない、いつも肉体的に苦しんでいます。きっとこの苦痛が心の中の嵐をひき起こし、現実との直接的なつながりさえ絶たれてしまうのでしょう。そして私は孤独になり、霊的な世界に達して、意識下の世界へと向かうのです。
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ヨーロッパは私の人生でもっとも大切な存在です。何年もの間、この地に住み、制作し、そして旅をしました。私はヨーロッパに魅力を感じていたからこそ、自らヨーロッパの伝統的な旅する画家と感じていました。時に画家は誰しもつかみそびれた機会を後悔することがあります。私はこれまでアメリカとの関わりがどうしてもてなかったのかわかりません。しかし今回、アメリカの皆様にご覧いただける機会をとても嬉しく思います。私は私の作品について深い洞察を示された文章を寄せていただいた小倉忠夫氏、そしてこの展覧会の機会を与えて下さった為永清嗣氏に深くお礼申し上げます。
1991年 京都
麻田 浩
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