京都国立近代美術館京都国立近代美術館 京都国立近代美術館 京都国立近代美術館

MENU
Scroll

開館状況  ─  

展覧会投稿 No. 2  有山 敬 「麻田氏の絵画がふたたび問いかけるもの」

投稿 No. 2  有山 敬 「麻田氏の絵画がふたたび問いかけるもの」


ご意見・情報の投稿

有山 敬

麻田氏と1度だけ 生で話した事がある。まだ 私が映画監督をめざしていた時だ。
雨の展覧会場で 私の思いつきの感想を真剣に聞いてくれた。その頃は、映画の世界では タルコフスキーがブームだった。廃屋の美が注目されていた。麻田氏が映画を見ていたか、 どうかは、知らないが、閉じているような、開いているような空間感覚は、あい通じると思う。
家の中に廃墟が、家の外と区別がなくなり、曖昧な境界、二つの世界がダブルのだ。
家の中に木があったり、船の帆があったり、する。一枚だけ、この不思議な無人の家の 外観を描いた作品がある。どんな仕事の人が住むのか、興味があったが、どうみても 生活の臭いがなく、農家でもないらしい、階段があるが、少し浮いている。どうやら 中には入れないみたいだ。すべての個性がなくなり、自然に還る過程なのか。
謎のままなのだ。麻田氏の描く地面は、水をはじく、土ではない。普通の地面ではない。
地面を剥くと、何があるのだろう。おぞましい未知の世界があるのか。
現に地面を剥がして、別の世界が垣間見える作品もある。麻田氏との会話は ほとんど、忘れたが、外国で描いた作品は、異文化との出逢いが反映していると 言っていた記憶がある。パリの地面を掘ると、今でも、いろいろ出てくるそうだ 最後にタルコフスキーの最後の作品に三賢人とマリアとイエスの絵画が出てくる。
ダビンチが描いた聖なる木が、テーマの中心になる。晩年の麻田氏も、偶然にも、木が 描かれる、しかし、決定的にちがうのは、麻田氏の木は、蛇の巻きつき林檎がなる。
紀元前、旧約聖書の原罪の世界だ、その絵に二人の男女を描き込むつもりだったのかは、今は、知るすべはない。

(2007/08/16 有山 敬)

ご意見・情報の投稿

info@ma7.momak.go.jp
※件名または本文の冒頭にてどの文章に対しての投稿かをご明記願います。

投稿内容の掲載につきましては事後報告となることをご了承ください。

差し支えなければ、お名前、年齢、ご職業(所属機関名、学生の場合所属大学名等)、ご住所(都道府県名)、また各情報の掲載可否もお知らせください。

掲載許可が明記されていなければ匿名とします。ただし、無記名のご意見は掲載されないことをご了承ください。なお、Eメールアドレスは掲載いたしません。


このページの先頭へ