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展覧会没後10年 麻田 浩展
   IV. 表紙画の仕事

没後10年 麻田 浩展
   IV. 表紙画の仕事


没後10年 麻田 浩展: 紹介文

 

中上健次『水の女』 1979年 作品社
 

  今回の展覧会でまとめて展示される、数多くの単行本や文庫本における小説や随筆の表紙画は、麻田浩のもうひとつの知られざる側面を語っているに違いありません。
  麻田美禰夫人は、高橋和己の妻である小説家・高橋たか子と、京都大学文学部時代の同窓で、高橋たか子は敬虔なクリスチャンでもありました。麻田浩の作品が、高橋たか子の小説やエッセイの表紙を飾っているその関係も、自然に理解されるはずです。
  ところで、麻田浩の作品は、すでに紹介したように、早くも渡欧以前の1971(昭和46)年、新潮文庫として出版された松本清張の推理小説『ゼロの焦点』に採用されていました。これは、1971年から72年ころにかけて制作された、一連のシュルレアリスム的な性格の色濃い「水辺の風景」から取り上げられたものだと思われますが、滞欧時代、麻田浩のモチーフのひとつの象徴ともなる水滴の表現が、当時すでにクローズアップされているのも驚きでしょう。
 

高橋たか子『遠く、苦痛の谷を歩いている時』
1983年 講談社
  また、中上健次の文学世界を代表すべき『水の女』は、装幀家・菊地信義の仕事によるもので、作者・中上健次の強い希望もあったといいます。その「プレゼンテーションは編集者を驚嘆させた。カバーは下半分に墨を流したような波打つ水面と、水滴が立ちのぼる様子を描いた油絵の一部を置く。中央上部に題字を白く抜いた紫の短冊。その短冊の裾が徐々に淡くなって、絵の中に溶け込んでいる。まるで裳裾をひいた妖しい女が、水を滴らせながら立ち上がったイメージで、『水の女』の印象をこれ以上ないほど的確に表現していた」(私の一作、装幀家菊地信義氏へのインタビュー記事より、『チャイム銀座』1997年)といわれ、同じ主題は、エッチングとしても制作されていた、《土のはなし》のシリーズの1点にも、繰り返されます。
  油彩による作品が、表紙に採用されている例は、講談社から1983(昭和58)年に出版された高橋たか子の単行本『遠く、苦痛の谷を歩いている時』に見られ、これには、麻田浩の同年に制された油彩による原画(タイトルは《遠く》)も、現存しています。
  この展覧会でも、麻田浩の作品が取り上げられた、その表紙画を紹介しています。

新潮社の文庫本、左から:真継伸彦 『光る声』 1977年、三島由紀夫 『鍵のかかる部屋』 1980年、松本清張 『ゼロの焦点』 1971年、高橋たか子 『空の果てまで』 1983年、石原慎太郎 『化石の森』 1982年



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