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展覧会京都国立近代美術館主任研究員 山野英嗣
   コレクションに見る「日本画と洋画のはざま」

京都国立近代美術館主任研究員 山野英嗣
   コレクションに見る「日本画と洋画のはざま」


当館でも開催の運びとなった今回の展覧会の趣旨は、会場及びカタログの「あいさつ」文にも記されているように、「日本画と洋画の並存という、100年以上にもわたって続いてきた美術状況を見直してみようとするもの」と明快です。しかしながら、たんに「日本画」のなかに「洋画」的要素を指摘し、逆に「洋画」のなかに「日本画」的要素を指摘しつつ、「日本画と洋画の並存」について見直すことだけを目指しているのではありません。

 本展覧会の企画者・古田 亮氏は、「問題群としての日本画と洋画」という図録所収文において、菱田春草の「油画であれ水彩であれ、つまり文展西洋画部に出品されている作品は、日本人の描いた絵画として、一様に『日本画』と見られる時が来るであろう」という感想を紹介しています。けれどもその10年ほど以前に、春草は「日本画で言えば線は必要なんだ。これを除けば日本画は西洋画に取られて了う。私は…即ち純粋の日本画をやるつもりです」(土方定一『日本の近代美術』 1978年 岩波新書所収)とも語っていました。
 「日本画と洋画の並存」のなかに、「純粋の日本画」「純粋の洋画」といった表現領域をひたすら求めた画家たちがいたことも、また事実でしょう。さらに「日本画と洋画のはざま」、「洋画と写真のはざま」「日本画と工芸のはざま」「工芸と彫刻のはざま」のみならず、「具象と抽象のはざま」「古典と現代のはざま」といった視点の設定も可能だと思われます。それはまた、ジャンルを超えて、音楽における「邦楽と洋画のはざま」にも共鳴する表現の問題でもあるはずです。

 そして、新たな表現を求めて「揺らぐ近代」の画家たちの姿に、「近代化イコール西洋化」あるいは「脱亜入欧」といったスローガンだけを当てはめてしまうことも、ためらわれます。伝統的な日本の生活スタイルを基盤に、「日本画家と洋画家たち」は「新たな絵画表現」を創造してゆきました。本展覧会の出品作でいえば、田村宗立や彭城貞徳らの「油絵屏風」、小林永濯の写実的な「絵馬」や下村観山の「トリプティツク掛け軸」など、それらの絵画形式誕生の背景などについても、ぜひとも再考したいと思います。

 ところで先日、当館の近隣の高校が、現代文の授業で谷崎潤一郎の『陰影礼讃』を学習するにあたり、その教材の読みを深める一助として、この展覧会を鑑賞するために来館しました。このことが象徴するように、今回の「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」の背後には、実に様々な文化史上の問題が潜んでいる、といって過言ではありません。

(2007/02/01 京都国立近代美術館主任研究員・山野英嗣)

以下の文章は、当館コレクション・ギャラリー小企画「コレクションに見る『日本画と洋画のはざま』」の展示解説に若干加筆訂正したものです。小企画の展示目録はこちらに掲載しております。

解説(1)

 3階企画展示室では、平成18年度東京国立近代美術館の特別展「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」を巡回開催していますが、この展覧会に連動して、当館では、コレクション・ギャラリーでも、所蔵作品による小企画を試みました。
 このコレクション・ギャラリーは、大きく3つのコーナーに分かれています。主に油彩画を中心に構成したコーナーでは、京都でも活動した伊藤快彦や印藤真楯の、いわゆる「明治洋画」風の作例を、まず取り上げました。伊藤快彦は、高橋由一の《鮭》に感動して洋画家を志したといわれ、《厨の春》の作品は、油彩の技法によって、緻密な再現描写が試みられています。しかしながら、主題においては、当時の日本の生活風俗の一端を記録するようにあくまでも日本の風土に根ざし、この姿勢は、印藤真楯の京都の名所・円山公園の夜桜を描いた作品にも認められるでしょう。わが国初期洋画期の画家たちは、このような「日本画にも通じる主題」を、いかに油彩技法で表現するかという大きな課題を抱えていたのです。
 そうした状況のなかにあって、京都洋画界の先駆者ともいうべき田村宗立の存在は特筆すべきものでした。《京都駆黴院図》は、当時の貴重な洛東の面影を伝えるのみならず、俯瞰的な遠近法による大胆な構図の採用によって、西欧的「視覚」を獲得しようとする意欲も表明され、わが国の「揺れ動く近代」の様相の一端を、鮮やかに示しています。「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展でも紹介するように、田村は、洋画表現だけでなく、軸装された伝統的な「日本画」や、歴史画的な主題の作品も描くほか、当館の所蔵作品である《越後海岩図屏風》のように、油彩による写実的な「屏風」形式の作品も残すなど、様々な表現を実践しています。
 また、千種掃雲も注目すべき画家で、「日本画家」とは呼ばれてはいるものの、「洋画」的な表現をも積極的に取り入れ、文字通り「日本画と洋画のはざまに」位置する典型的な表現を追求しました。このように、田村宗立や千種掃雲こそ、「日本画と洋画のはざまの画家」といって過言ではありませんが、後年、その「はざま」を打ち破ろうとし、絵画というものが、「なぜ東洋西洋と違った方向にむいて発達したのだろう。その違いは、我々の新しいものの要求は、その綜合の上に立つのではないか」と壮大な指標を掲げたのが、須田国太郎にほかなりません。さらに、坂本繁二郎や梅原龍三郎らも、洋の東西表現の綜合を目指し、「日本的な油絵」とも呼ばれるわが国独自の油彩表現を確立しています。

解説(2)

 「日本画」の世界で、それまでの「因襲的な思想と技術を拒否し、造形芸術の本質に立ち返り、反省と再出発を自覚し」という明確な理念を掲げ、「前衛的」活動を展開したのが、1938(昭和13)年に結成された歴程美術協会です。歴程は、その機関誌『歴程美術』第1号に、モホリ=ナジの「アメリカに新バウハウスに就いて」という一文をも翻訳掲載し、日本画における「前衛表現」のみならず、ジャンルをも超えた表現を射程に収めた真に革新的な絵画集団でしたが、忍びよる戦時体制のもと、数多くの作品の喪失とともに、運動体そのものも終焉を迎えなければなりませんでした。
 しかしながら、実際、この歴程には、丸木位里や山崎 隆、山岡良文といった日本画家たちの「前衛」的な作品はいうまでもなく、八木一夫の陶芸作品や、フォトグラムによる写真作品、あるいは染織などの室内装飾、商業美術や安達流の盛花なども出品され、さながらジャンルを超えた諸芸術の綜合化の様相も呈していたのです。歴程の第1回展における『芳名録』には、靉光や山口 薫、村井正誠などの名も記されていました。
 そして、この歴程の革新的な理念が、さらに戦後にも継承された活動として、1949(昭和24)年に結成された「パンリアル美術協会」を挙げることもできるでしょう。「温床をぶち壊せ・・・・自由な芸術の芽生えを育てよう」と宣言する同協会は、「日本画と洋画のはざま」をも超え出ようとする、さらに鮮明な理念と実践とが具体化されていました。このコーナーでも紹介するように、下村良之介や三上 誠の最初期のキュビスム風の作例、さらには三上 誠の《作品 1964-は》や不動茂弥の《別れぎわ》ほか、新たな造形表現としか名づけられない作品群が、次々と生み出されていったのです。
 また、わが国戦後の現代美術の世界では、たとえば「具体美術協会」の吉原治良や白髪一雄らの作品に、明らかに「日本的感性」の痕跡が認められるとともに、堂本尚郎の金箔を用いた作例や、ニューヨークで活躍し「ユーゲニズム」(幽玄主義)とも呼ばれた岡田謙三の代表作《入江》などに、こうした「日本画と洋画のはざま」に位置する傾向が示されているでしょう。

解説(3)

 現代では、たとえば日展やその他の団体でも、「日本画」の作品は、「洋画」と同じように、すべて額装して展示されています。もはやすっかり見慣れてしまったこの光景に、誰も違和感を抱くことはないでしょう。しかも、主題とともにその表現さえも、「洋画」と見まがうような技法が駆使され、「現代日本画」が、「日本画と洋画のはざまに」位置する様相を呈してきていることは、このコーナーに紹介した、西山英雄や山本知克などの作例からもうかがえるでしょう。
 しかしながら、こうした西欧的な表現を目指す傾向は、すでに戦前の「日本画家」にも認められ、たとえば「三科造形美術協会」や「単位三科」など、前衛運動に唯一日本画家として参加した玉村方久斗の場合は、モダニズムの貴重な実践例としても見逃せません。また、レンブラントやデューラーの感化を受け、重厚な雰囲気が漂う独特の作品を残した伊藤柏台や、印象派の影響をもとに「洋画的描法」を前面に押し出した吹田草牧、さらには写実的な描写を追求した岡崎桃乞なども、「日本画と洋画のはざまに」位置する作風を生み出した画家として、特筆されるでしょう。
 一方、少年時代から小出楢重に師事し、フランスやアメリカで活躍した長谷川三郎は、むしろ日本の伝統的な墨や書の表現を、現代的な感性で再生し、まさに「日本画と洋画のはざま」に、個性豊かな活動を展開した数少ない「前衛画家」といって過言ではありません。
 さらに、今回のコレクション・ギャラリーでは、たとえば須田国太郎や坂本繁二郎、梅原龍三郎らの画家たちを、「日本的油絵」の開拓者の代表として紹介していますが、このほかにも、このコーナーで取り上げた日本画家とは逆に、むしろ日本風土に根ざした主題を積極的に取り上げた「洋画家」として、斎藤真一や小山敬三、小林和作らの作品を、最後に取り上げました。

(2007/01/30 京都国立近代美術館主任研究員・山野英嗣)


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