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展覧会京都国立近代美術館長 岩城見一
   「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展 開会の辞

京都国立近代美術館長 岩城見一
   「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展 開会の辞


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まず館からの最初の発信として、この展覧会の開会式での私の挨拶文に注を加えたものをここに載せます。

〔・・・・・・
 今日に至るまでの、明治以降の日本近代の歩みを再検討し、その上で、これからの私共の文化のあり方を考えるという試みが、現在様々な分野で活発に行われるようになりました。私たちは、本展覧会が、そのような現代の課題に展覧会を通して応えようとする一つの試みだと位置づけております(注1)
 このような視点から、本展覧会には「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」というタイトルが付けられました。このタイトルから予想されますように、この展覧会は、現在学校や展覧会の制度としても一見安定しているかに見える、「日本画」と「西洋画(洋画、油画とも呼ばれます)」とは、本当に原理的に分けられるのか、という問題提起を意味します。このことはすでに、議論としてはかなり以前から行われ、優れた研究成果も出ていますが、個々の作品を実際にご覧頂くことで、この問題をより広い議論の場に供したいというのが、本展覧会の趣旨であります(注2)
 それぞれの作品から見て取れますのは、日本画家として認識されてきた人々が、いかに深く、また広く西洋絵画を学び、技法を身につけていたか、また日本の洋画家がいかに東洋絵画の伝統を学び身につけ、制作に適用していたかということです(注3)。またそれ以上に興味深いのは、日本・東洋的伝統と、それが育んだ考え方や感じ方、そして物事の捉え方は、洋画を制作する場合にも、無意識に働き、作品にいやおうなしに現われてしまう、また日本画の場合でも、知らないうちに、近代以後は特に、西洋的な見方や判断基準が、「日本画」を作らせてしまうという点です(注4)。日本画も洋画もこのような、東西文化の相互作用の中で、その都度姿を取るきわめて「ハイブリッドなもの(異種交配的なもの)」であり、それを「純粋な日本画」、「純粋な洋画」に分けて語るのは、むしろ絵画を貧困なものにしてしまうことになるでしょう(注5)。これは絵画だけでなく、日本近代のあらゆる分野に当てはまります。本展覧会のために当館が用意しましたリーフレットに見られる、彭城貞徳(1858–1939)《和洋合奏の図》(明治39年頃)にはそれが端的に出ています。畳に正座して、ヴァイオリンと尺八の合奏が行われている場面を描いたこの作品には、日本における西洋音楽受容のきわめて「ハイブリッドな特色」が具体的に見て取れます。近代日本の音楽もこのような視点から捉え直す必要があり、それについての優れた研究成果も公にされています(注6)。日本近代において「何が揺らいでいるのか」、この展覧会が、このことをもう一度様々な角度から考えるきっかけになりますことを願っております。
 本展覧会は4階にも作品が展示されていますが、それとつながるかたちで、4階では、この展覧会の意図する「近代の揺らぎ」は現代にまで及ぶことを示すために、当館コレクションから選ばれた作品が展示されております。こちらの方も是非ご覧下さいますようお願い申し上げます(注7)
 企画展とともに、そしてそれ以上に、当館のコレクションを様々な現代的な視点に基づいて展示し、皆さまにご覧頂き、また若い学生諸君が実際に作品に触れることが、美術館にとって最も大切な使命の一つだと考えており、こちらにもこれまで以上の力を注ぐ努力をしております。担当の研究員のその都度の展示コンセプトや、学生諸君が参加した展示の情報は、可能な限り当館のホームページに載せて公表しております。是非そちらもご覧頂ければと存じます〕

(2007/01/09 京都国立近代美術館長・岩城見一)

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脚注
(注1)
この展覧会の基本的なコンセプトを知るには、本展図録所収の古田亮の論文と
ともに、古田亮『狩野芳崖・高橋由一』(ミネルヴァ書房 2006年)も参照されたい。

(注2)
京都国立近代美術館は、このようなコンセプトによる展覧会の一つとして、
「近代京都画壇と『西洋』— 日本画革新の旗手たち」展を1999年に開催して
いる。そこには、現在の展覧会(企画展とコレクション展)に展示された作品が
多く含まれる(同展図録参照)。

(注3)
この点では実際には「揺らぎ」はない。西洋画受容の場面では、画家たちは
それを意識的に学習しているからだ。「揺らぐ」のはむしろ、「日本画」と「洋画」との
区別を当然のことと思う、そのような私たち自身に根ざしている「常識の枠組み」の
方である。「なにが揺らぐのか」というこの討論のテーマは、だからこうも言える。
つまり「本当に何か揺らぎのないものがあるのか?」。
 ここからアートの制度やシステムの今のあり方が問い直されることになる
はずだ。いまや「制度」は、美術学校や芸術学美術史学関係の教育や展覧会の
システム、美術団体の区分システムとして自明となり、そこに関わる人々の
「感情」にまで浸透している。三木清の言葉で言えば、「イデオロギー」(フィクション)
としての「制度」は、私たちの感情の奥まで染み込むこと、「パトス(pathos)」に
なることで「神話」となり、「命令的」な力を手に入れる(三木清『歴史哲学』(1933)
「イデオロギーとパトロギー」(1937))。「揺らぐ近代」展のコンセプトは、このような
「揺らがない神話」の根強さへの問いかけ、それの問題点の探求と関わってくる
だろう。

(注4)
西洋画が浸透することで、「日本画」自体が「西洋画的」に教育されるようになる。
この点については、中村隆文「明治図画教育覚え書き」『美術フォーラム21』第13号
(醍醐書房 2006年)参照。同時に西洋画学習で、西洋的「写実」性が身につく
「身につく」とは一つの絵画様式が無意識の表現技法作品判断基準になる
ということだ。同時に注目すべきは新しいメディア、「写真」の作用だ。多くの画家が
明治期以来流通する写真の画像をもとに絵画制作をした。三次元空間内の実物を
見ながらそれを二次元の平面に置き換える苦労を思えば、写真を絵画に
置き換えるのは、はるかに楽であり、同時にまた普通の知覚では捉えられない
視覚的特性が発見できるからだ。写実的日本画の指導者の一人、竹内栖鳳も
例外ではない。この点については、『館蔵選』王舎城美術寶物館 1991年
138頁以下。特に150–154頁参照。

(注5)
この点については、cf. Ken’ichi Iwaki: “Japanese Philosophy in the Magnetic
Field between Eastern and Western Languages”.  The Great Book of Aesthetics.
(The 15th International Congress of Aesthetics.  2001 Japan.  Proceedings.
Edited and Published by Ken-ichi Sasaki and Tanehisa Otabe: The Organizing
Committee of the 15th International Congress of Aesthetics).

(注6)
この点については、渡辺裕の秀逸な論考を参照のこと。『日本文化 モダン
ラプソディ』春秋社 2002年、『宝塚歌劇の変容と日本近代』新書館 1999年。

(注7)
4階「コレクション展」では、日本画における前衛運動の資料(『歴程』(1939)、
『パンリアル展図録』(1949))とともに、これらのグループの作品も展示されている。

(京都国立近代美術館長・岩城見一)



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