展覧会投稿 No. 7 (匿名希望A)
投稿 No. 7 (匿名希望A)
HOME > 展覧会 > 過去の展覧会 2006(平成18)年度 > 揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに > 電子メール討論会:「揺らぐ近代 揺らいでいるのはなにか?」 投稿 No. 7 (匿名希望A)
私にとっての技法と国名(地域名)を冠した分類への疑問は南画と日本画から始まりました。
そしてその違いを小学生の私に教えた祖母は、自分の描く絵のことを膠絵、下絵やスケッチなどは岩絵の具で描いた絵などと呼んでいました。
女学校時代に絵を嗜んだという祖母は自らが描く絵を日本画とは呼ぶことはあまりなかったように記憶しております。
子供のころは、そのまどろっこしさが不思議でしたし(日本画は日本画じゃないの?)、長じて私が受験用のデッサンを始めるようになると、しきりと『私はちゃんと絵(所謂デッサン)を勉強していないから。』と話すようになりました。
私は祖母の引く線を愛していたので、『ちゃんと勉強していない。』と言うのを聞くと、何やら悲しい気持ちになったことをよく覚えております。
以上、現在に生きている私が子供時代に感じた揺らぎであり、今も続いている揺らぎです。
そして「洋画って油絵のこと?」と尋ねられる現在を歯がゆく感じております。
以下乱暴な回答を試みました。
- ■なぜ、近代日本美術には日本画と洋画の区別があるのだろうか。
- 幕末から明治期に結果的に追いつくべき文化として西洋諸国が設定されたから。
- さらに時代をさかのぼれば現在の中国がその位置にあった。
- ■日本画と洋画はいつ、なぜ区別されたのだろうか。
- 前述の諸外国文化のカウンターパートたれと日本を冠した区別。
- ■日本画と洋画の区別は、何をもたらしたのだろうか。
- 冠された一瞬の輝きの後、区別への安住と矮小化。
- 一時期の日本酒、日本茶、日本的経営と似たようなものか。
- ■日本画も洋画も描いた画家は何をもとめたのだろうか。
- 表現への純粋な挑戦と社会的評価あるいは自己変革。
- 新しい技法を体得する過程で新たな思考回路が生まれるような感覚を一種の
- 自己変革とするならば。
- ■日本画とも洋画ともつかない「絵」があるのはなぜだろうか。
- この国の揺籃期には常に中間物が存在したことを鑑みると、人は全て時代の子
- なりということか。作品はその足跡。
- ■日本画と洋画のはざまにには何があるのだろうか。
- 収束と拡散。
祖母に確認を取ることが難しいため、 一閲覧者の一思い出にまつわる話としてご一読いただければ幸いです。
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