展覧会投稿 No. 4 (東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮)
投稿 No. 4 (東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮)
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古田亮です。
小金沢 智さんのご意見に対してご返事申し上げます。若き研究者からご意見をいただいたことをとても嬉しく思っております。諸事情により、メールをいただいてからご返事を差し上げるまで時間がかかってしまったことをお許しください。
さて、小金沢さんからのはじめの質問。“今回の作品選定が、「なぜ日本画と洋画の区別があるのだろうか」という最も素朴な疑問から出発しているということでよろしいでしょうか。”ということについてですが、単純にはイエスですが、厳密に申しますと、私のメッセージの中で列挙した次のような問題群が複雑にからんだところから出発しているというべきでしょう。念のためもう一度その問題群を挙げておきますと、
なぜ、近代日本美術には日本画と洋画の区別があるのだろうか。
日本画と洋画はいつ、なぜ区別されたのだろうか。
日本画と洋画の区別は、何をもたらしたのだろうか。
日本画も洋画も描いた画家は何をもとめたのだろうか。
日本画とも洋画ともつかない「絵」があるのはなぜだろうか。
日本画と洋画のはざまにには何があるのだろうか。
ということになります。
この中には当然、小金沢さんのさらなる疑問である、日本画家と洋画家という概念や呼称についての問題も含まれています。
ある画家を日本画家か洋画家か二者択一のように当てはめようとする事態は、世界にもまれな近代日本美術界の特質であると私は思っています。
“確かに、展覧会に出品している作品は全て明治時代以降に制作されたものです。しかし、フォーカスしている狩野芳崖や高橋由一はもちろんのこと、出品画家の全てが、明治時代以降に生を受けたわけではありません。彼らは「日本画家」でしょうか?「洋画家」でしょうか?芳崖と由一が江戸時代に生まれながらも明治以降に活躍を始めたことを考えれば、そう言うことは可能かもしれません。では、例えば河鍋暁斎(1831–1889)はいかがででしょうか?” |
このように述べて明治以前の画家たちについての「帰属性」を問題としている小金沢さんの意見はもっともなことだと思います。私の長年の研究対象もまさにこのことと直結しています。つまり、ふつう我々は言葉や制度がつくりだした「近代」を鵜呑みにしていますが、実際には江戸時代から存在していた実体としての「近代」というべきものがあって、そうしたものには、なかなか適当な言葉が当てはまらないために見てみぬふりをされかねない、とういう状況があります。
実は、この展覧会の初期の企画段階では、江戸時代と戦後から現代までも視野に入れていました。それをひとつの展覧会にまとめるのは到底無理なことから、実現するかどうかは別として江戸時代篇、近代篇、現代篇というふうに3部構成にしてみることにしました。そして、まず第一にやらなければならない展覧会が近代篇であったというわけです。この壮大な計画は、幸いにも近代篇を実現することができましたが、私自身の異動もあり江戸時代篇と現代篇についてはまったく白紙の状態となっています。
小金沢 さんの“私がここで主張したいのは、「日本画」「洋画」という問題は確かに日本近代美術史上の大きな謎としてありますが、それを「近代」(明治以降)だけの問題として考えるのではなく、江戸から明治といった連続の運動体として捉えない限り、数あるだろう答えは極めて少なくなってしまうのではないかという事です。”というご意見は、まさにこのまぼろしの江戸時代篇に答えがありそうです。
私の構想では、いわゆる洋風画や南蘋派、浮世絵、渡辺崋山などをとりあげつつ、そこにある「伝統」と「近代」、あるいは「中国」と「西洋」、「保守」と「革新」といったテーマ性を実際の作品に探っていこうと考えていました。つまり、揺らぐ近世です。
そして、江戸時代篇のおわりをどのようにもっていくか。近代篇とのはざまをどうみるか、これが実に難しいところでしょう。暁斎や是真らに関心をよせておられる小金沢さんの研究にも、おそらくこのあたりの問題が深く関わってくるのではないでしょうか。
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