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展覧会投稿 No. 3 (京都国立近代美術館長 岩城見一)

投稿 No. 3 (京都国立近代美術館長 岩城見一)


ご意見・情報の投稿

現在「日本画」の若手作家として活躍中の三瀬夏之介さんから、メールが届きました。とても貴重な意見が多く含まれていますので、私の考えを少し述べさせていただくことにしました。特に作家として現場で仕事を進めておられる方からの発言は、今回はじめた「電子メール討論会」にとって、最も貴重なものの一つになるでしょう。
  すでにこう書いただけで問題が発生しています。「日本画」という言葉です。このことも含めて、三瀬さんのご意見をまとめながら話を進めてゆきたいと思います。
  まず、三瀬さんは、「日本画家」や「洋画家」等々の呼称は、作家が仕事をしたものを後から分類し整理したもの、三瀬さんの言葉では「事後的再編」によるものだと言われます。実際その通りだと私も思います。ただもう一つの面があって、現在では美術系アカデミーの「教育システム」が最初からあり、入試の時点、あるいは基礎教育の終わる時点で、「専攻」が決まり、習得する「技法」が方向づけられる仕組みになっています。大学の他の専攻の場合もほぼ同じですが。また美術の場合、それを支える「美術団体システム」と「美術マーケット」、さらには「批評家と批評言説のシステム」、それに基づくそれらのシステムに動かされる人々の「棲み分け」も固定したジャンルを維持する大きな役割を担っています。こういったいつの間にか自明となった複雑なシステムの中で、「事後的再編」は当然であるかのように進められ、作家は、好むと好まざるとに関わらずそこに絡み取られ、そのようなシステム(枠組み)から評価されたり批判されたりすることになるわけです。
  これは必ずしもすべてが悪いことではないかもしれません。一つの技法を極めるには長年の集中的な訓練が要りますから。これは実際よく耳にする言葉です。そしてそれには真実な側面があります。問題はそれが抑圧的なものになるときでしょう。また経済的保証ということを考えた場合でも、このような既存のシステムは助けになるでしょう。「経済などといった〈不純なこと〉などを考えるな」と言うのは、ほとんど話しにならない時代遅れの夢想家だけでしょう。
  ですから私は、「揺らぐ近代」で呈示しようとしているのは、無責任な「ジャンル解体論」ではないと思っています(そういう単純で乱暴な考えも、実際の制作現場に疎い理論に時々見受けられますが)。三瀬さんが非常にうまい表現をしておられますが、それぞれの作家が、そして研究者や批評家も、「ねじれた、しかし存在するジャンル」、「歪んだ歴史」のコンテクストの中で生きています。「ねじれないジャンル」や「まっすぐな歴史」などない、というのがまず私たちの共有すべき、そして共有できる認識になってきたように思います。だから「ねじれ」や「歪み」を一度反省的に取り出し、自分たちの現在立っている地点を再考してみようというのが、今回の展覧会、そしてこの討論会のテーマになるわけです。このためには、丁寧な歴史研究が大切になります。
  次いで三瀬さんは、現代は「共同幻想」は失われ、アーティスト—私は敢えて「芸術家」という用語は使わないことにしています。非常に広い範囲で「表現」に関わっている者すべてを含めて考えたいからです—にとり、「技術とテーマの並列性」が前提になっていると指摘されています。まさにその通りです。今は「何を」「どのように表現するか」、表現すべき「主題(素材)」に関しても、それを表現する「技術」に関しても、原理的には拘束的なものは何もありません。すべて作り手の自由選択に委ねられています。
  アートは「自由」になった、だが、ではこれから何をなすべきかと言うことに関して、確固とした方向がなくなってしまった。この問題は私の学生時分には、ハンス・ゼードルマイアの『中心の喪失』という本が出て、大いに話題になりました。ゼードルマイアはキリスト教的信仰の薄れた近代美術をこの視点から批判的に論じました。まさに「共同幻想」の消滅への嘆きです。しかしそれ以前に、十九世紀初頭にこのことを語った哲学者がいます。ヘーゲルです。この時期は、「芸術」という用語が自明となり「美術館」が誕生し、「美術アカデミー」が自明のものとなり、「芸術家」が多く生まれていた、まさに「芸術」が自立した時期です。このときに「芸術」はもう「過去のもの」だと言うのです。私はヘーゲル哲学と美学とを一つのテーマにしていますので(「美術館」長なのに??)、彼の言い分を紹介しておきましょう。中々面白い意見ですからご覧下さい。かつて書いた文章を以下に示します(岩城「芸術の終焉(ヘーゲル)とアーティスト形而上学(ニーチェ)——美学における超越論的尺度の変換について——」原田平作、神林恒道、岩城見一編『芸術学の射程』〈『芸術学フォーラム』2〉勁草書房 1995年)


十九世紀初頭、ヨーロッパにおいてかつては「技術」を意味したart, Kunstという語が「芸術」を意味する語に変わり、これがようやく一般化し、芸術が文化の一領域として制度化され始めたそのときに、ヘーゲルは「美学」(「芸術哲学」)講義において、芸術は今や「過去」のものになっているという、きわめて挑発的な発言をした。以下その要約である。

〔芸術は真理表現の一形式だが、この形式にふさわしいのは特定の真理、感性的に表現可能な真理であり、その典型はギリシアの神々だ。これに対しキリスト教の真理は感性的なものを超えており、芸術には十分表現できないものになっている。特に今日の世界精神、理性的教養の精神(まさに「近代」)は、芸術が絶対的なものを意識にもたらす最高の方式であったような段階を超えている。ギリシア芸術の美しい日々も、中世後期の黄金時代も過ぎ去った。反省能力が形成され、一般法則によってすべてを規則づける今日の世界では、芸術家も反省、意見、判断の習慣に染まり、しかも自分の意志や決意によってこの反省的世界を無視したり、そこから離れたりすることはできない。芸術に本来必要なのは生命感であり、そこでは普遍的なものは個々の心情や感情と一つになっている。この点で現在は芸術に都合のよい時代ではなく、芸術は今では観念に変わっている。これらすべてのことからして、最高の使命のという点では、芸術は過去のものになっている。今や芸術の享受よりも芸術への判断が主な関心事だ。重要なのは芸術の学問であり、芸術はわれわれを思想的考察へと招いている。それも芸術を再び呼び出すためにではなく、芸術とは何であるかを学問的に認識するために、である。〕
(全集13巻23頁)

  「反省」の時代においては芸術様式の混乱、過去の偉大な芸術の恣意な引用やパロディーも必然的に生じてくる。この必然性にもヘーゲルは言及している。

〔今では何を如何に制作するかは、白紙状態(tabula rasa)になっている。今日の芸術家にとっては、一つの特殊な内容への拘束と、この内容だけにふさわしい表現方法といったことは、何か過去のことになっており、芸術は、芸術家という主体が自由に扱いうる道具になっている。芸術家は、自分の蓄えた諸々のイメージや形成方法、昔の諸々の芸術形式を自由に利用する。今日の偉大な芸術家に必要なのは精神の自由な形成であり、これによってすべての迷信や信仰は、芸術家の自由な精神こそが支配者であることを示すための要素でしかなくなる。こうして芸術は、内容と把握との限定された圏域から出て、フマーヌス(Humanus=人間的な諸問題)を自らの新たな神(信仰すべき対象)にする。芸術は、人間の心情自体を動かすもの、この文字通り普遍的に人間的なものを表現すべきものとして神聖視するようになるのだ〕
(全集14巻232頁)


  この哲学者は、中々凄いことを言ったものだと思います。芸術が奉仕してきた「共同幻想」の時代はもう終わったのだ、この哲学者は、まだ宗教的な力が残存し、同時に「芸術」が世間に認知されてきたその時期に、このようなことを講義であっけらかんと語ったのですから。二十世紀後半には、これをめぐって色んなところで大論争が起きました。また面白いのは、「共同幻想」が終わったときに、芸術において前面に出てくるのは、作家の「素材選択と技術との卓越性」だと言われている点です。これからの芸術は、前もって与えられたもの(例えば宗教的ストーリー)を同じく前もって与えられた技術で再現して人々に見せるものではなく、逆に技術的巧みさを通して、それまで日常では気づかなかった物事の見方を呈示するものだ、と言うわけです。その意味で、三瀬さんの言われる「名作」の「器の大きさ」を理解しておきたいと私は思っています。つまり、接するごとに、私たちがそれまで知らなかったものに気づかせる、また真似るごとに、私たちの表現方式が変わり、それにつれて世界認識が更新される、そのような作品が「名作」だという風に。
  そのためには、「批評」もきわめて重要な役割を持ってくるでしょう。作品から作者さえ気づかなかった新しい側面を見出し語りうる批評が今後一層必要になります。その意味では、「批評」も作品制作に深く関わっています。批評の貧困、批評の権威主義、批評家によるその時点で権威をもっている表現説の反復や有名作家の言葉の単なる反復によって、アートの力は覆い隠され、アートは痩せ衰えていくことになるでしょう。
  これと美術館の使命とは関わってきます。美術館も一つの「批評機関」ですから。美術館の使命について、三瀬さんは「物語をリセットし再編集しうる美術館の柔軟性と説明責任」を求めておられます。全く同意見です。これもかつて少し書きましたので、その部分を取り出しておきましょう。

〔展覧会、それは単なる名作の呈示や、芸術家の紹介ではないし、それら作品や作家を巡る過去の理解のニュートラルな再現ではない。そのようなことは不可能である。作品呈示、図録作成は、どのような作品や作家を選んだかということからしてすでに、新たな世界制作であり、またそうでなければならないし、同時に、それを呈示する者や機関が、展示を通して特定の見方を将来に対して提供している(時として強要しもする)こと、このことを自覚したものでなければならないだろう〕
(特集「ヴィジュアル・エデュケーション」の「序」、
『美術フォーラム21』第12号、醍醐書房 2005年)

  私たちがこのようなことにどれだけ自覚的でありうるか、ここに美術館の使命はあるように思います。このためには、美術館は一層様々な議論に開かれた場になる必要があります。この討論会はそのささやかな一歩です。今後とも是非、積極的にご意見をお寄せ下さい。その都度テーマを設けて有志が集まってエキサイティングな研究会を開いてもいいのではと考えています。どうでしょうか。

  また、小金沢智さんからのメールには、「近代」を考える場合、「江戸」も含めて考えるべきではないかとのご意見がありました。小金沢さんのご意見には、直接的には古田氏がまた答えると思いますが、上のご意見に私はまったく異論ありません。というより、「江戸」のみか、それ以前のすべての過去を考慮に入れて、しかも東西双方の作用も同時に考える必要があります。要するに「純粋な近代」などない、ということです。「近代」は、そのような多様な過去や現在の要素が「ハイブリッド」なかたちで合わさって姿を取ってきたものだということです。どの時代もそうでした。その点でもその時々の史料を丁寧に捉えなおしてゆく「歴史研究」が必要になります。お互い、結論を急がずに一歩一歩進めることにしたいと思います。

  ご理解いただけると思いますが、これまで述べてきましたことは〈一つの考え〉に過ぎません。これは決して「先生の説教」ではありません。議論の深まりの中で、私自身また様々なことを学ばせていただくことを希望しています。「電子メール討論会」は、今後何度でも開始することにしたいと思っています。どうかご参加を。

  メールを頂いてお返事するまでに、一週間ほど経ってしまいました。5日から10日まで、台北の故宮博物院に行っていたためです。昨秋博物院の建物のリニューアルが済んで、それを記念した国家的規模の大展覧会が開催されています。北宋時代を中心に、書画、工芸(特に陶芸)の「名作」が並び、圧倒されます。ただ「歴史が作品を作る」だけでなく、逆に「作品が歴史を作る」という側面を見逃してはならない、このことを改めて感じました。范寛の《渓山行旅図》や、郭熙の《早春図》がいかに強くそれ以後の山水の見方、描き方を方向づけてきたことか。作品を全面的に歴史に回収することはできません。歴史をはみ出し、そして書き換えてしまう作品の力をどのように語りうるか。「歴史研究」は具体的な「作品研究」にフィードバックされてはじめて意義深いものとなるでしょう。こういったことを具体的に考えてゆくことも、常に作品に接している美術館の役割だと思っています。今年度から『CROSS SECTIONS』という雑誌を私たちは刊行します。「切り口」、「断面図」という意味です。三瀬さんが言われるように、作家だけでなく、私たち人間は社会や歴史の全体を「俯瞰」することはできません。私たち自身がその中に生きているのですから。だから、せいぜい多様で、できれば素敵な「切り口」だけでも呈示する試みをしてみようと思うわけです。出ましたらどうかお読みくださるよう。

(2007/02/12 岩城見一)



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