展覧会共催展 20世紀陶芸界の鬼才 加守田章二展
共催展
20世紀陶芸界の鬼才 加守田章二展
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- 共催
- 朝日新聞社
- 後援
- 岸和田市、岸和田市教育委員会
- 協力
- 全日本空輸株式会社、株式会社資生堂
- 会期
- 平成17年5月31日(火)~7月10日(日)(36日間)
- 入場者数
- 18,636人(一日平均: 518人)
本展は20世紀後半の日本陶芸界に異色の才能を輝かせた陶芸家である加守田章二(1933-1983 )の芸術世界を、加守田家の協力を得ながら、約180余点の作品で再検証する回顧展であった。加守田は大阪府岸和田市に生まれ、高校時代から美術の才能を発揮し、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に進んだ後、富本憲吉のもと研鑽を積んだ。卒業後は茨城県日立市の日立製作所関連の製陶所を経て、1959年栃木県益子町に窯を借りて独立し、本格的な作陶生活を始めた。1961年、鉄釉作品で日本伝統工芸展に初入選したのを皮切りに、1967年には陶芸家として唯一、第10回高村光太郎賞を受賞、また同年、伝統的な作風からの脱却を考えて日本伝統工芸展への出品をやめ、岩手県遠野市で新しい陶房と単窯で修行僧のように制作に励み、曲線彫文、彩陶など新境地を次々と発表し、遠野時代を確立した。1974年には、40歳の若さで陶芸家初の芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)を受賞した。デザインを研究し、独創的な器形を広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え、多くの人を引きつけるとともに高い評価を受けたが、50歳を前に夭逝し、多くのファンに惜しまれた。
加守田は生前から関西では殆ど個展を開催せず、没後も大きな回顧展が関西で開催されることはなかった。没後20余年を経て加守田の出発点である京都で開催できたことは、加守田芸術を認知してもらうとともに、その業績を考える上で有意義なものであった。
なお、本展は京都会場終了後、山口県立萩美術館・浦上記念館、東京ステーションギャラリー、岩手県立美術館、岐阜県現代陶芸美術館の各会場に巡回した。
- パネル他
- あいさつ(和・英) 各1
- 年譜 1
- 写真パネル 6
- カタログ
- 28.0×22.7cm、216頁
- 図版 カラー200点
- 収録論文等
- 「20世紀陶芸界の鬼才 加守田章二の軌跡」 松原龍一
- 「加守田章二の技法」 佐野素子
- 「証言 天才・加守田章二の生涯」 吉田耕三
- 「年譜」 松原龍一・根本亮子・鎌田智子編
- 「主要参考文献」 石崎泰之編
- 編集:京都国立近代美術館、朝日新聞社事業本部西部企画事業チーム
- 製作:講談社
- デザイン:斎藤伸介
- 英文翻訳:松谷誠子・赤尾秀子
- 発行:朝日新聞社事業本部西部企画事業チーム
- 新聞雑誌関係記事
朝日 4月26日 | 「加守田章二展」 |
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朝日 5月21日 | 「加守田章二展 陶器にこめる個性・独創」 |
朝日 5月28日 | 「心の源流探し求め 20世紀陶芸界の鬼才 加守田章二展」 福島建治 |
朝日 5月31日 | 「土と炎命宿し『加守田章二・陶芸展』に寄せて(上)」 土岐直彦 |
朝日 5月31日 | 「異色の才能・業績を回顧 加守田章二展」 |
朝日 6月1日 | 「豊かな作品に感嘆の声 加守田章二展」 |
中日 6月1日 | 「加守田章二の回顧展 造形世界の多様な展開」 淺野徹 |
朝日 6月7日 | 「土と炎命宿し『加守田章二・陶芸展』に寄せて(中)」 土岐直彦 |
朝日 6月14日 | 「土と炎命宿し『加守田章二・陶芸展』に寄せて(下)」 土岐直彦 |
毎日 6月18日(夕) | 「2度の転機 『色』を求めて」 岸桂子 |
朝日 6月23日 | 「加守田章二展で作風解説 『形や文様、理詰めで制作』」 |
京都 7月2日 | 「日本人の源の発掘を意図 20世紀陶芸界の鬼才 加守田章二展」 太田垣實 |
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