展覧会共催展 京都国立近代美術館所蔵 ―川勝コレクションの名品 河井寬次郎展
共催展
京都国立近代美術館所蔵 ―川勝コレクションの名品 河井寬次郎展
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- 共催
- 京都新聞社
- 後援
- 京都府教育委員会、京都市教育委員会、NHK京都放送局
- 協力
- 京阪電鉄
- 会期
- 平成17年2月22日(火)~4月3日(日) (36日間)
- 入場者数
- 17,734人(一日平均:493人)
河井寬次郎は、1890年島根県安来市に生まれ、1910年松江中学校を卒業後、学校長の推薦により東京高等工業学校窯業科(現在の東京工業大学)に無試験入学しました。1914年、東京高等工業学校を卒業した寬次郎は、京都市立陶磁器試験場に技手として入り、釉薬の達人と呼ばれた小森忍のもとで窯業研究を行いました。さらに、1916年には東京高等工業学校の後輩である浜田庄司が同じく陶磁器試験場に入り、以後二人は小森とともに釉薬の研究に励みました。その後、1917年に試験場を辞めた寬次郎は、二年間清水六兵衛(後の六和)の釉薬顧問をつとめ、1920年には実業家・山岡千太郎の好意により五条坂鐘鋳町の清水六兵衛の窯を譲り受け(現在の河井寬次郎記念館)、その窯に鐘溪窯と名付け、生涯そこで作陶を続けました。
1921年、鐘溪窯で焼いた作品で第一回創作陶磁展を東京の高島屋で開催し、絶賛を博しました。この時、東京高島屋宣伝部長であった川勝堅一と知り合い、たちまち意気投合し生涯の親交を結びました。この出会いは、現在当館に寄贈されている川勝コレクションに大きな意味を持つこととなりました。
1924年には浜田の紹介で柳宋悦を知り、翌年には柳、浜田とともに紀州へ木喰上人の遺跡を訪ねる旅の車中で、民衆の手になる工芸品を指して民衆的工芸、略して「民藝」という言葉をつくりました。以後、柳、浜田らと民藝運動に傾注していき、生涯親交を結んでいきます。
寬次郎の作陶は大きく分けて、初期の中国や朝鮮の古陶磁の手法を逐った時期、柳宋悦と出会って繰り広げられた中期の民藝に傾注していた時期、後期の自由な造形を追い求めて制作した時期に分けることができます。いずれの時期も、寬次郎の真摯な制作態度と研究し尽くされた技術、さらに優れた感性は一貫しており、創り出された作品は人々を魅了します。
本展は、1921年に寬次郎に最初に会ってから1966年に没するまで最大の理解者で後援者であった故川勝堅一が、寬次郎とともに作り上げたコレクションの中より当館に寄贈された425点の優品からさらに約250点で陶工河井寬次郎の世界を紹介するものです。
当日 | 前売り | 団体(20名以上) | |
---|---|---|---|
一般 | 800 | 700 | 560 |
大学生 | 450 | 350 | 250 |
高校生 | 250 | 200 | 130 |
中学生以下 | 無料 |
チケットぴあ・ファミリーマート(Pコード:685-774)
ローソン(Lコード:59906)
ほか、主要プレイガイド
講師:河井須也子 (河井寬次郎記念館館長)
日時:3月5日(土)午後2時~
■「川勝コレクションと河井寬次郎」
講師:松原龍一(当館主任研究官)
日時:3月19日(土)午後2時~
会場:京都国立近代美術館 1階講演室
定員:100名、聴講無料、午後1時から会場受付で整理券を配布しています。
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