ギュスターヴ・モロー展
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本展は19世紀フランス象徴主義の代表的画家ギュスターヴ・モロー(1826、1898)の画業全体を紹介するもので、日本では1964年の国立西洋美術館での展覧会以来、二度日の本格的な展覧会であった。モローはフランス・アカデミスムの伝統をひくサロンに出品し、アカデミー会員、国立美術学校教授を勤め、また古典的な聖書や神話を主題とするなど、伝統的な絵画の陣営で画家としての一生を過ごしたが、伝統的な主題を個人的に解釈し、個人的な意味や感情を画面に担わせる方向、これを絵として実現するために、色彩、マティエール(画肌)などに関して新しい手法を開拓した。その方向は同時代の象徴主義運動という大きな芸術上の潮流の中で選択され、さらにはアカデミスムの外で活動したポスト印象派と期せずして歩みを同じくするものであった。教育者としても優れた指導力を発揮して、門下からマティス、ルオーなど1900年代初頭、野獣派として活躍した弟子たちが輩出したが、彼らはモローの新しい色彩表現を受け継いで展開させた。また、1920年代になると、シュルレアリスト達が、モロー絵画の主観的で神秘的側面に注目して再評価することとなった。今回の展覧会では、特にモローが如何に想像力を働かせながら伝統的主題を個人的に解釈したか、に焦点を絞り、これを明らかにするために、年代順ではなく、主題別(「神話的インスピレーション」、「キリスト教的インスピレーション」、「女性のイメージ」、「詩人のイメージ」、「諸神混淆のヴイジョン」)などに沿って作品を選定し展示した。展覧会は予想以上の反響を読んだが、それは展覧会構成上の主催者側の意図とは別に、特にモローの画面に漂う精神性や神秘的で幻想的な世界が現代の私たちの生活に欠如したものとして関心を呼び、また宝石細工のような色彩/画肌が、モロー絵画の背後に控えている主題や思想といった文化的土壊を抜きにしても十分に鑑賞しうる優れた特質として、一般の鑑賞者の眼を引き付けたからだろう、と考えられる。(永井隆則)
- 会期
- 5月23日(火)~7月9日(日)
- 入場者数
- 120,303人(1日平均2,864人)
- 共催
- 国立西洋美術館・NHK京都放送局・NHKきんきメディアプラン
- 出品目録
作品名 |
制作年 |
材質・技法・形状 |
寸法(cm) |
バッコスの信女達(或いはバッコスの祝宴) |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
52.0×154.0 |
デカメロン |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
50.0×154.0 |
馬に乗る男女 |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
40.0×32.0 |
クレタ島の迷宮にいるミノタウロスに捧げられたアテネ人達 |
1855 |
油彩、カンヴァス |
102.0×200.0 |
ピエタ |
1856 |
油彩、カンヴァス |
75.5×97.0 |
ローマの遺跡:ドミニコ会のアンゲリクムの庭から見たコロセウム |
1858 |
水彩、紙 |
22.5×28.5 |
ローマ、ノーメンターノ橋の道 |
1858 |
水彩、紙 |
27.0×41.0 |
ローマ、モーラ(モッレ)橋の道 |
1858 |
茶のインク、セピアの淡彩、紙 |
19.5×36.5 |
ヘシオドスとムーサ |
1858 |
ペン、茶のインク、黒チョーク、茶の淡彩、白のハイライト、水彩、紙 |
37.6×29.0 |
ジョヴアンニ・アントニオ・バッツィ(通称ソドマ)作《アレクサンドロスとクロサネの結婚》に基づく模写 |
1857 |
水彩、紙 |
70.0×49.0 |
カルパッチョ作「聖ウルスラ伝」に基づく模写:《聖ウルスラ礼讃》(上)と《聖ウルスラの教皇拝謁》(下) |
1858 |
油彩、鉛筆、カンヴァス |
44.0×18.0 |
ヴァン・ダイク作《カール5世騎馬像》に基づく模写 |
1859 |
油彩、カンヴァス |
94.0×59.0 |
オイディプスとスフィンクス |
1861 |
水彩、紙 |
29.0×14.5 |
オイディプスとスフィンクス |
1864 |
ペン、墨、透写紙 |
23.0×12.7 |
オイディプスとスフィンクス |
1860 |
鉛筆、紙 |
32.0×19.5 |
オイディプスとスフィンクスのための習作 |
1860頃 |
ペン、墨、鉛筆、紙(格子罫入り) |
30.4×17.3 |
オイディプスとスフィンクスのための坐った男性の習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
19.2×9.3 |
胸と腕の習作 |
1860~64頃 |
鉛筆、紙 |
16.5×12.5 |
男性の下半身の習作 |
1860~64頃 |
鉛筆、紙 |
16.5×12.5 |
謎を解かれたスフィンクスのための習作 |
不詳 |
ペン、墨、紙 |
11.7×5.9 |
謎を解かれたスフィンクスのための習作 |
不詳 |
ペン、墨、鉛筆、紙 |
16.5×10.5 |
スフィンクス |
1886 |
水彩、紙 |
31.5×17.5 |
スフィンクスのための習作 |
不詳 |
ヘン、黒のインク、鉛筆、紙 |
31.2×17.1 |
旅人オイディプス(或いは死の前の平等) |
1888項 |
油彩、カンヴァス |
124.0×93.0 |
スフィンクス |
不詳 |
鉛筆、紙 |
12.3×7.5 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888項 |
黒チョーク、紙(格子罫入り) |
24.3×17.4 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888頃 |
鉛筆、紙 |
19.0×8.8 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888頃 |
鉛筆、紙 |
18.4×8.1 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888頃 |
鉛筆、紙 |
27.2×8.2 |
旅人オイディプスのための習作 |
18朗頃 |
鉛筆、紙 |
14.0×5.7 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888頃 |
鉛筆、紙 |
19.0×7.8 |
旅人オイディプスのための習作 |
1888頃 |
鉛筆、紙 |
12.5×5.0 |
イアソン |
1865 |
油彩、カンヴァス |
204.0×115.5 |
イアソンのための習作 |
1864~65頃 |
鉛筆、紙 |
13.4×7.7 |
イアソンのための習作 |
1864~65頃 |
鉛筆、ペン、墨、インク、紙 |
20.2×10.9 |
イアソンのための習作 |
1864~65頃 |
鉛筆、紙 |
19.3×11.5 |
手、足、頭部、人物の習作 |
1864~65頃 |
鉛筆、紙 |
29.5×22.5 |
メディアの頭部の習作 |
1864~65頃 |
鉛筆、墨、透写紙 |
14.0×11.9 |
ペルセウスとアンドロメダ |
1867~69頃 |
水彩、紙 |
25.5×14.5 |
ピュトンに打ち勝つアポロン |
1885頃 |
油杉、紙 |
23.1×16.5 |
ヘラクレスとレルネのヒュドラ |
1876頃 |
水彩、紙 |
22.0×18.0 |
ステュムファロス湖のヘラクレス |
1875 |
鉛筆、油彩、カンヴァス |
145.0×128.0 |
デイアネイラの掠奪 |
1872頃 |
油彩、カンヴァス |
172.0×138.0 |
自らの馬にい殺されるディオメデス |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
130.0×196.0 |
ケンタウロスの闘い |
不詳 |
水彩、紙 |
15.0×28.0 |
ガラテイアとポリュフェモス |
1880頃 |
水彩、紙 |
28.0×16.0 |
ガラテイアとポリュフェモスのための習作 |
不詳 |
鉛筆、方眼紙 |
13.6×76.0 |
レタ |
1865頃 |
油彩、カンヴァス |
190.0×103.0 |
レタ |
1865 |
水彩、紙 |
23.0×21.0 |
アポロンとムーサ達 |
不詳 |
水彩、紙 |
29.0×23.0 |
ピエリデス |
1886~89頃 |
油彩、カンヴァス |
95.0×150.0 |
作品名 |
制作年 |
材質・技法・形状 |
寸法(cm) |
ムーサ達の逍遥 |
不詳 |
水彩、紙 |
29.5×22.5 |
エヴァ |
1880~85頃 |
油彩、カンヴァス |
125.0×65.0 |
雅歌 |
1893 |
水彩、紙 |
37.5×19・5 |
デリラの化粧 |
不詳 |
水彩、紙 |
27.0×43.0 |
貞節なスザンナ |
1895頃 |
油彩、紙 |
52.0×33.5 |
ヤコブと天使 |
1878項 |
水彩、紙 |
18.5×10.0 |
ヨブと天使達 |
1890頃 |
水彩、紙 |
30.0×23.0 |
ナイル河に捨てられたモーゼ |
不詳 |
油杉、カンヴァス |
81.0×100.0 |
三王礼拝 |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
43.0×162.0 |
三王礼拝 |
不詳 |
鉛筆、透写紙(台紙に貼付) |
41.0×157.0 |
オリーヴ園のキリスト |
1885~90頃 |
油彩、カンヴァス |
80.0×75.0 |
ゴルゴタ |
1867~70頃 |
油彩、カンヴァス |
103.0×145.0 |
ピエタ |
1876頃 |
油彩、板 |
23.0×16.0 |
ピエタ |
1882頃 |
水彩、白のグアッシュのハイライト、紙 |
20.0×26.3 |
放蕩息子 |
1891~92頃 |
油彩、カンヴァス |
115.0×200.O |
聖セバスティアヌス |
1875項 |
油彩、カンヴァス |
108.0×138.0 |
聖セバスティアヌス |
不詳 |
水彩、紙 |
18.5×14.5 |
聖女達(或いは聖セバスティアヌス) |
1869 |
油杉、紙 |
32.1×23.7 |
聖セバスティアヌス |
1869頃 |
油彩、紙 |
24.5×32.0 |
聖セバスティアヌスと天使 |
1876頃 |
油彩、紙 |
27.0×15.0 |
聖マルチィヌス |
1882頃 |
油彩、紙 |
27.0×21.0 |
サロメの舞踏 |
1876頃 |
水彩、紙 |
31.0×23.5 |
ヘロデ王の前で踊るサロメ |
1876頃 |
鉛筆、透写紙 |
23.7×17.0 |
ヘロデ王の前で踊るサロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、擦筆、紙 |
14.9×9.5 |
ヘロデ王の前で踊るサロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
12.2×8.9 |
ヘロデ王の前で踊るサロメのための習作 |
1875頃 |
黒チョーク、擦筆、紙 |
23.2×16.1 |
ヘロデ王の前で踊るサロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
14.3×10.7 |
踊るサロメ |
不詳 |
油彩、カンヴァス |
92.0×60.0 |
ヘロデ王の前で踊るサロメのための習作 |
不詳 |
鉛筆、ペン、墨、紙 |
15.4×9.9 |
サロメ |
1875頃 |
油彩、カンヴァス |
80.0×40.0 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
10.8×6.7 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、透写紙 |
20.5×15.2 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、ペン、黒のインク、透写紙 |
26.4×12.6 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、ペン、黒のインク、透写紙 |
21.4×15.4 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
ペン、黒のインク、透写紙 |
12.6×8.8 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
15.0×12.0 |
サロメのための習作 |
1875頃 |
ペン、黒のインク、透写紙 |
16.2×9.0 |
女性の習作 |
1875頃 |
ペン、黒のインク、透写紙 |
20.9×8.7 |
サロメのための女性の習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
10.8×5.4 |
女性の習作 |
1875頃 |
鉛隼、紙 |
10.6×5.7 |
男の習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
10.8×5.7 |
刑吏の習作 |
1875頃 |
鉛筆、ペン、黒のインク、紙 |
10.8×5.8 |
刑吏の頭部の習作 |
1875頃 |
ペン、茶のインク、透写紙 |
15.7×10.2 |
牢嶽のサロメ |
1873~76頃 |
油彩、カンヴァス |
40.0×32.0 |
洗礼者ヨハネの死のための習作 |
1875頃 |
鉛筆、紙 |
10.6×20.9 |
洗礼者ヨハネの首を持つサロメ |
1885~90頃 |
水彩、油彩、グアッシュ、紙 |
35.0×22.5 |
サロメのための油彩習作 |
1880~90頃 |
油彩、カルトン |
47.0×33.0 |
出現のための習作 |
1875頃 |
ペン、黒のインク、紙 |
20.7×13.2 |
出現のための習作 |
1875頃 |
黒のチョーク、紙 |
10.6×7.8 |
洗礼者ヨハネの頭部のための習作 |
1875頃 |
ペン、黒のインク、鉛筆、透写紙 |
14.2×8.2 |
オデュッセウスとセイレン達 |
1879頃 |
油彩、カンヴァス |
89.0×118.0 |
セイレン達 |
1875~80 |
油彩、カンヴァス |
93.0×62.0 |
キマイラ |
1879頃 |
水彩、紙 |
31.0×31.0 |
空想 |
1879 |
水彩、紙 |
28.5×21.5 |
作品名 |
制作年 |
材質・技法・形状 |
寸法(cm) |
女とグリフォン |
1878 |
油彩、紙 |
31.0×23.0 |
一角獣 |
1885頃 |
油彩、カンヴァス |
78.0×40.0 |
ヴェネツィア(東京展のみ) |
1885 |
水彩、黒チョーク、グアッシュ、紙 |
24.9×35.7 |
岩の上の女神 |
1890頃 |
水彩、紙 |
30.0×20.0 |
化粧 |
1885~90頃 |
水彩、グアッシュ、紙 |
33.0×18.5 |
若者と死(東京展のみ) |
1881頃 |
水杉、黒チョーク、白のグアッシュのハイライト、ペン、茶のインク、紙 |
36.0×22.8 |
夜 |
1880頃 |
水彩、鉛筆、金、白のハイライト、紙 |
26.3×20.9 |
ヘシオドスとムーサ達 |
1860頃 |
油彩、カンヴァス |
133.0×133.0 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、ペン、茶のインク、透写紙 |
13.7×7.8 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、ペン、茶のインク、透写紙 |
11.8×6.5 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
12.4×17.2 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
15.2×23.2 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、透写紙 |
12.2×8.2 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
20.2×20.1 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、透写紙 |
8.2×6.6 |
声 |
1867 |
水杉、グアッシュ、紙 |
22.0×11.5 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
20.5×10.4 |
ヘシオドスとムーサ達のための習作 |
1860頃 |
鉛筆、紙 |
27.6×20.5 |
詩人の嘆き |
1882頃 |
水彩、黒チョーク、金、紙 |
30.0×19.4 |
アリオン |
1891 |
油彩、板 |
45.5×37.0 |
淵に身を投げるサッフォー |
1867 |
油彩、板 |
20.0×14.0 |
サッフォーの死 |
1872~76頃 |
油杉、板 |
26.0×21.0 |
サッフォー |
不詳 |
鉛筆、方眼紙 |
13.6×7.5 |
ペリ |
1865 |
黒チョーク、セピア、白と黒のグアッシュ、紙 |
35.0×25.0 |
インドの詩人 |
1865~70 |
水彩、紙 |
35.0×39.0 |
インド(或いはアラブ)の歌手 |
1884 |
水彩、紙 |
20.7×14.0 |
夕べと苦しみ |
1882頃 |
水彩、グアッシュ、紙 |
38.0×20.0 |
夕べ |
1887 |
水彩、紙 |
39.0×24.0 |
サテュロス達 |
1892 |
水杉、グアッシュ、紙 |
38.4×20.2 |
詩人とサテュロス達 |
不詳 |
水彩、紙 |
18.5×12.0 |
聖チェチリア |
1885~90頃 |
水杉、グアッシュ、紙 |
16.0×19.0 |
ケンタウロス達に運ばれる傷ついた詩人 |
不詳 |
油杉、カンヴァス |
116.0×90.0 |
オルフェウスのための習作 |
1865頃 |
ペン、黒のインク、透写紙 |
14.4×7.8 |
オルフェウスのための習作 |
1865頃 |
鉛筆、透写紙 |
14.7×7.0 |
オルフェウスのための習作 |
1865頃 |
鉛筆、紙 |
13.8×6.7 |
オルフェウスのための習作 |
不詳 |
鉛筆、紙 |
15.5×15.5 |
オルフェウスのための頭部の習作 |
1865頃 |
鉛筆、紙 |
18.1×18.1 |
エウリュデイケの墓の前のオルフェウス |
1891頃 |
油彩、カンヴァス |
173.0×128.0 |
エウリュデイケの墓の前のオルフェウス人類の生(第2作)油彩、9枚の板(マホガニー) |
1890~91頃 |
木炭、白チョーク、紙 |
172.0×129.5 |
a黄金の時代・アダム・朝・祈り |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.6 |
b黄金の時代・アダム・星・陶酔 |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.6 |
c黄金の時代・アダム・夜・眠り |
1886 |
油形、板 |
34.0×25.7 |
d白銀の時代・ヘシオドス・朝・インスピレーション |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.6 |
e白銀の時代・オルフェウス・昼・歌 |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.8 |
f白銀の時代・ヘシオドス・夜・嘆き |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.6 |
g鉄の時代・カイン・朝・労働 |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.8 |
h鉄の時代・カイン・昼・休息 |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.5 |
i鉄の時代・カイン・夜・死 |
1886 |
油彩、板 |
34.0×25.8 |
贖い主キリスト |
不詳 |
油彩、板 |
38.5×95.0 |
ユピテルとセメレ |
1893頃 |
水杉、紙 |
26.7×21.0 |
ユピテルとセメレのための油彩素描 |
1889頃 |
油杉、カルトン |
41.0×33.0 |
ユピテルとセメレのための習作 |
1895頃 |
鉛筆、方眼紙 |
13.6×7.6 |
作品名 |
制作年 |
材質・技法・形状 |
寸法(cm) |
ユピテルとセメレのための人物の習作 |
1895頃 |
鉛筆、方眼紙 |
13.6×7.6 |
水辺 |
1896 |
水彩、紙 |
27.0×37.0 |
栄光のヘレナ |
1896~97頃 |
水彩、紙 |
30.0×23.0 |
死せる竪琴 |
1896、97頃 |
水彩、紙 |
37.5×25.0 |
死せる竪琴のための習作 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.1×6.4 |
死せる竪琴のための習作 |
1896~97頃 |
鉛筆、方眼紙 |
11.5×7.0 |
死せる竪琴のための習作:大天使 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.7×8.2 |
死せる竪琴のための習作:大いなる竪琴の奉持者 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
13.7×8.5 |
死せる竪琴のための習作:守護天使達 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
13.3×8.4 |
死せる竪琴のための習作:死せる偉大なるパン |
1897 |
鉛筆、紙 |
13.1×8.4 |
死せる竪琴のための習作:詩人達と地上の女神達 |
1897 |
鉛筆、紙 |
13.3×8.8 |
死せる竪琴のための習作:詩人達の死 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.9×8.3 |
死せる竪琴のための習作:詩人達の死 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.7×8.3 |
死せる竪琴のための習作:詩人達の死 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.5×8.0 |
死せる竪琴のための習作:サッフォー |
1897 |
鉛筆、紙 |
13.2×8.7 |
死せる竪琴のための習作:人間存在を貪ぼり喰う自然の生の力 |
1897 |
鉛筆、紙 |
13.3×8.8 |
死せる竪琴のための習作:植物界 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.9×8.3 |
死せる竪琴のための習作:動物界 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.4×8.1 |
死せる竪琴のための習作:動物界 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.7×8.1 |
死せる竪琴のための習作:動物界 |
1896~97頃 |
鉛筆、紙 |
12.9×8.6 |
敗北のフランスのための習作 |
不詳 |
黒チョーク、紙 |
20.5×26.5 |
敗北のフランスのための習作 |
不詳 |
黒チョーク、紙 |
20.0×31.0 |
敗北のフランスのための習作 |
不詳 |
黒チョーク、紙 |
31.0×20.0 |
敗北のフランスのための習作 |
不詳 |
黒チョーク、紙 |
25.5×18.8 |
敗北のフランスのための習作 |
不詳 |
ペン、黒のインク、紙 |
17.5×25.6 |
長崎湾 |
不詳 |
鉛筆、紙 |
12.5×19.1 |
素描帖『東洋研究』 |
不詳 |
ベージュの布で表装された厚紙の表紙を持った横長のアルバム |
24.0×31.5 |
- 新聞雑誌関係記事
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●新聞記事
日経:3月31日 (宝玉正彦)
京都:6月3日(O)
産経:(松村寿雄)
中国:6月8日(無署名)
朝日:(夕):6月9日(無署名)
読売:6月9日(安)
神戸:6月12日(無署名)
国際芸術新聞No.187:(無署名)
毎日:6月17日(有)
産経:7月2日(早)
- ●雑誌記事
文化庁月報No.320 5月号(喜多崎親)
芸術新潮 5月号(鹿島茂)
美術の窓4(喜多崎親他)
視る 335号 5月号(喜多崎親)
336~337号 6~7月号 (永井隆則)
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