展覧会金田和郎回顧展
金田和郎回顧展
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金田和郎は京都市立絵画専門学校別科、同美術工芸学校日本画科、同絵画専門学校本科などで日本画を学び、その間、大正7年、土田麦麦僊、小野竹喬、榊原紫峰など、当時の京都の気鋭の若手画家たちが新しい日本画の創造をめざして結成した国画創作協会の第1回展に出品して入選、樗牛賞を受けたが、京都で画家として立とうとした志半ばで、病気のため郷里福岡へ帰り、福岡県立朝倉高等女学校で約2年、また福岡県立朝倉中学校で約19年の長い年月、図画教師として、教鞭を取った。彼は図画を教えるだけではなく、より広く近代の芸術思潮を生徒たちに教えた。昭和16年(1941)、彼は図画の授業中倒れ、わずか46歳の若さで他界した。
金田和郎は、このように将来を期待されながらも、早く京都を去ったこと、郷里福岡で画界とは無縁のまま、図画教師として過ごしたこと、世を去ったのが戦時中であったことなどから、これまで彼を画業を顧みる機会はほとんどなかった。昭和61年、本館において開催された「京都の日本画一-1910-1930」展の際、出品作品調査の過程で国画創作協会展に出品され受賞した「水蜜桃」が見つかり、それを機会に、他の作品や遺族の下に残されていた下絵、習作類、あるいは、福岡県甘木市を中心に九州地方に残されていた作品約30点の所在も明らかとなった。
この展覧会は、画家の没後50年にあわせて本館と画家の郷里である福岡県甘木の福岡県立甘木歴史資料館との共催によって開催した連携企画展である。展示は本館4階の常設展示室の一部を用い、本画24点、下図、素描等12点、合計36点によって、その画業を回顧した。
- 国公私立美術館連携企画展
- 共催
- 福岡県立甘木歴史資料博物館
- 会期
- 11月2日~12月1日
- 入場者数
- 総数14,397人(一日平均554人)
- 出品目録
作品名 | 制作年 | 技法 |
---|---|---|
水蜜桃 | 1918 | 絹本彩色・二曲屏風一隻 |
葡萄図 | 1919 | 絹本彩色・四曲屏風一隻 |
牡丹図 | 1920 | 絹本彩色・額装 |
牡丹 | 1920 | 絹本彩色・軸装 |
雨中牡丹図 | 1920 | 絹本彩色・軸装 |
竹薔薇図 | 1924 | 絹本彩色・軸装 |
滝楓図 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
滝紅葉園 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
山水図 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
登鯉 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
旭波図 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
蓬莱山 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
鴛鴦図 | 1926 | 絹本彩色・軸装 |
竹バラ図 | 1927 | 絹本彩色・軸装 |
山水図 | 1930 | 絹本彩色・軸装 |
釈迦出山図 | 1933 | 絹本彩色・軸装 |
金魚 | 1935 | 絹本彩色・軸装 |
柘榴 | 1936 | 絹本彩色・軸装 |
遊埋之図 | 1938 | 絹本彩色・軸装 |
蓬莱山 | 1938 | 絹本彩色・軸装 |
金敷(扇面) | 1938 | 絹本彩色・軸装 |
氾蟹 | 制作年不詳 | 絹本彩色・軸装 |
念政 | 利作年不詳 | 絹本彩色・軸装 |
旭波図 | 別作年不詳 | 絹本彩色・軸装 |
寒菊写生 | 1915 | 紙本淡彩・軸装 |
松に蔦写生 | 1915 | 紙本淡彩・軸装 |
金魚写生(福田平八郎と合作) | 1915 | 紙本淡彩・軸装 |
矮鶏写生 | 1916 | 紙本淡彩・軸装 |
菜の花写生 | 1916 | 紙本淡彩・軸装 |
桐の花写生 | 1916 | 紙本淡彩・軸装 |
水蜜桃写生 | 1917 | 紙本淡彩・軸装 |
虎下図 | 制作年不詳 | 紙本淡彩・軸装 |
- 新聞雑誌関係記事
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新聞記事
読売:11月7日
京都:(藤 慶之)
毎日:11月13日
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