展覧会ファイバーアートの先駆者-- 高木敏子遺作展
ファイバーアートの先駆者-- 高木敏子遺作展
HOME > 展覧会 > 過去の展覧会 1989(平成元)年度 > ファイバーアートの先駆者-- 高木敏子遺作展
高木敏子は1924年(大正13)京都西陣の機屋に生まれ、当然のように織物の技術を習得していった。京都府第一高等女子学校高等科在学中の1940年、16歳で『紀元二千六百年奉祝展』に「秋綴織壁掛」を出品して入選、その後昭和30年代半ばまで、綴織の複雑な技法を駆使して文典、市展、京展、日展などに平面の作品を出品しつづけた。1952年(昭和27)、陶芸家八木一夫と結婚、1962年(昭和37)には京都市立美術大学の非常勤講師となり、次第に当時の美術、工芸界の新しい息吹きに触れ、依然として綴織の技法を用いつつも、作風を抽象的なものへと転換していった。
高木敏子が立体的な作品を創りはじめるのは昭和40年代の前半からであるが、技法も綴織の精緻さを離れて単純な平織を用い、素材も立体に適した麻を用いはじめた。しかし、高木敏子の場合、立体を支えているのは織られた布の平面性であり、紙を折ったり畳んだりすることによってその構想を練るという、家事との両立を余儀なくされる主婦としての生活の智恵が、その底流となっている。
高木敏子を日本に於けるファイバー・アートの先駆者と呼ぶことに異論はないが、更に重要なのは、高木敏子が自己を直截に表現する造形を糸と織を通して行い、それを多くの染織を学ぶ学生たちに、誠実に教えたという事実である。
この展覧会は本年度の特別展『雄弁なオブジェ--現代アメリカ工芸の展開』とほぼ同じ時期に本館の一階展示ロビーと四階の特別室で展示された。
- 会期
- 11月21日(火)~12月17日(日)
- 入場者数
- 6,676(339)人(一日平均278[14]人)
※( )〔 〕内は本展のみへの入場者数 - 出品目録
作品名 | 制作年 | 材質・形状等 |
---|---|---|
綴織壁掛 アミ | 1968 | 経:絹/緯:絹 |
綴織壁掛 緑潭 | 〃 | 〃 |
綴織壁掛 作品 | 〃 | 〃 |
綴織壁掛 夕映え | 1969 | 〃 |
綴織壁掛 作品K | 1970 | 〃 |
綴織壁掛 水紋 | 〃 | 〃 |
綴織壁掛 交 | 1971 | 〃 |
綴織壁掛 青い森 | 〃 | 〃 |
綴織壁掛 日時計 | 1972 | 経:絹・麻/緯:絹/紙 |
綴織壁掛 花野 | 1974 | 経:絹/緯:絹 |
綴織壁掛 秋 | 1940 | 経:麻/緯:絹 |
綴織壁掛 葡萄園 | 1957 | 経:絹/緯:絹 |
綴織壁掛 採果 | 1960 | 〃 |
綴織壁掛 奏楽 | 1961 | 〃 |
綴織壁掛 女 | 1962 | 〃 |
綴織壁掛 貌 | 1963 | 〃 |
綴織壁掛 もえる | 1964 | 〃 |
綴織壁掛 貌 | 1965 | 経:絹/緯:絹・ウール |
綴織壁掛 形象 | 1967 | 経:絹/緯:絹 |
綴織壁掛 貌 | 〃 | 〃 |
螺施階段 | 1985 | 経:麻/緯:絹 |
Body | 1986 | 〃 |
螺施 | 〃 | 〃 |
綴織壁掛 七面鳥 | 年代不明 | 経:木綿/緯:絹 |
大アミ | 〃 | 経:麻/緯:絹 |
綴織襟飾 | c.1963 | |
綴織襟飾・帯留・帯 | 〃 | |
綴織壁掛 貌 | 1975 | 経:絹/緯:絹 |
平織壁掛 象 | 〃 | 〃 |
平織 貌 | 1976 | 〃 |
形象一球 | 1980 | 経:麻/緯:鉄 |
花 | 1981 | 経:麻/緯:絹 |
平織Torso | 1982 | 〃 |
形象 | 1983 | 経:麻/緯:絹/竹 |
太った星 | 1984 | 経:麻/緯:絹 |
下絵・草稿類 |
- 新人雑誌関係記事
-
新聞記事
朝日/11月22日、12月9日(夕)
毎日/12月7日(夕)
京都/12月7日(太田垣實)
産経/12月7日
読売/12月24日(夕)「三次元空間への飛翔」(福永重樹)
公明/11月19日
リビング京都/11月25日
新美術新聞/11月11日
このページの先頭へ