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展覧会辻 晉堂展

辻 晉堂展

 陶彫という造形分野を確立して、彫刻界に独自の位置を占めていた辻晉堂は1981年8月18日、この世を去った。本展はその3回忌にあたって、彼の業績を回顧したものである。

 辻晉堂は明治43年、鳥取県の農家に生まれ、高等小学校卒業後大工に弟子入りしたが、文学や美術に憧れて昭和6年に上京、淀橋の独立美術研究所でデッサンを学んだ。彫刻は独学で、昭和8年辻汎吉の名で日本美術院展に出品し入選した。その作品「千家元麿氏像」の清新さと作者の資質は平櫛田中に認められた。以後春の試作展や秋の本展など日本美術院展に出品し、美術院の研究所にも出入するようになった。その作品の瑞々しさが認められ、院最年少の同人に推されたのは、昭和17年のことだった。戦中故郷に帰ったが、昭和24年京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)彫刻科教授として赴任し、旺盛な制作活動を繰りひろげると共に教育にも力を傾けた。戦中からロダンの影響を脱していたが、この頃から抽象彫刻へと転じ、昭和30年頃からは粗々しく力強い陶彫を発表し、国の内外で大いに注目を受けるようになった。その抽象的陶彫作品はアメリカにおける抽象表現主義的彫刻の出現と時を同じくしている。その表面の粗放な仕上げは、土を押しつけたり削ったりという作者の手の痕跡を生々しく示し、確かに抽象表現主義と通じるものがあるが、彼はそれを意識したのではなかった。やがて抽象表現主義からネオ・ダダイズム、プライマリー・ストラクチュア、コンセプチュアル・アート等々美術界が目まぐるしく変化していくと、辻の作品は次第に傍流として扱われるようになった感があった。また昭和40年頃から公害問題で登り窯が焚けなくなったこともあって、辻も大きな作品を造らなくなったが、他方リトグラフ制作に熱中していたのは諸傾向に敏感に変化する美術界への批判もこめられていたのではなかったかと考えられる。間もなく陶彫を再開するが、それは電気窯による小品で、洒脱な趣を示すものであった。

 辻晉堂の40年余の足跡を見ると一貫して特定の作風や主義に追随するものではなかった。日本美術院の先輩達の作風を追うことなく、また戦中の国粋主義一辺倒の風潮に反発し、逆に戦後の欧米美術への全面的傾斜にも批判的であり、常に自己に忠実な制作に打ち込んだのであった。

 本展は初期の木彫から晩年の陶彫まで彫刻85点、素描4点、版画23点を展示し、その独自の毅然たる生涯の制作態度を浮彫りにし多くの反響を呼んだ。

会期
8月3日(水)~9月4日(日)
入場者数
総数11,125人(1日平均383人)
共催
日本経済新聞社
出品目録
作品名 制作年 材質・技法等 寸法(cm)
1938 ブロンズ 17.5×24×23
出家 1939 78×85.2×23.6
婦人像 1939 128×49×79
こども 1940 44.5×28×22.5
夏のあした(平櫛先生古稀像) 1941 86.2×57.5×53.5
村の男 116×69×64
詩人(大伴家持試作) 1942 196×47×38
野良の父と子 198×47×45
琵琶を弾く男 1949 54×50×38
裸婦 1951 白セメント 100×70×90
坐像 1952 石膏 63×48×50
旅から旅へ 1954 ブロンズ 179×80×95
寒山 59×29×15.5
●々●々 1955 石膏 55.5×40×34
トルソ 67×50×41
時計 1956 40×34×10
時計 44×37×14
27×37.5×17.8
猫の頭 49×44×43.5
顔(寒拾) 31×24×24
32×35×31
禁煙(禁煙の名人) 31.5×22×16
沈黙 1957 115×86×25
迷盲 1957 陶彫 108×69×25.5
人間(椅子に座っている人物) 82×35.5×28.5
山の人(山の男) 120×45×46
馬の人 1958 101.5×96×41
牡牛(牛) 65×169×43
寒山 112×84×28
拾得 120×83×32
拾得 42×30×20
詩人(これ我かまた我に非ざるか) 1959 木・鉄 243×103×73
縄文 1960 陶彫 115×43×18
樵夫と熊 63×117×17
詰込主義教育を受けた子供 47.5×31×26.2
詰込主義教育を受けた子供 69×25×18
拾得 132.5×72×42.5
托鉢僧 1961 64.5×63×12
巡礼者(寒拾) 99.4×136.2×13.8
拾得 85×74×13
寒山 97×90×13
寒山 54×53.5×15
拾得 95×60×18
木樵のからだ 89×72×18
颱風の四角な眼とムカデ 陶彫 62.5×153×11.5
小判型と七つの小窓 1962 48.5×92×15
東山にて 68×118×15.5
並んで歩く人 c.1963 44×47.5×9
寒山(Han-shan) 1964 220×106×37
寒拾(Kan-Jyu) 1965 93×205×29
目と鼻の先の距離について 陶彫 48×46×47
目は口であり口はまた目である 72×62×13
ポケット地平線 20.5×83×13
ポケット地平線 26.5×93×13.5
ポケット地平線III 38×98×9
歩く壁 52×68×13
転変 40×61×12
非化Q 1967 184×90×25
拾得 陶彫 70×71×12
タオスにて 59×67×40
ワシ 1974 19×23×28
イザウ 30×30×26
雲自水由 37.5×27×10
カラカサのオバケ 39×21×23
カラカサのオバケ 55.5×18.5×18.5
カラカサのオバケ 29.5×16×16

作品名 制作年 材質・技法等 寸法(cm)
ボーシをかぶるオンナ 1974 陶彫 33×32×12
イシカハノカヒニマジリテ 1975 21×50.5×16
平曲(井野川検校) 25×29.5×16.5
拱手自像 1976 25.5×34.5×13
山房清韻 37.5×31×26
平曲(井野川検校) 38×45×25
詩人と家族 八木重吉 1977 32×28×7
潰鑵形象 50×28.5×11
潰鑵形象 56.5×42×3
桜姫東文章-風鈴お姫 44.3×48.8×25
桜姫東文章-釣鐘権助 43.5×48.8×30.5
イタイ、イタイ 1978 40.5×33.5×7
冬心先生 39.5×34×11.5
天下泰平家内安全 1979 25×33×25
マネキネコノマネ 43×31×23
緑陰読書 17×48×17
平曲(井野川検校) 1980 44×48×21
芭蕉 38×31×17
尺八を吹く男 41.5×23.5×11
無題 1957 素描(鉛筆、フェルトペン) 36×24
枯木 31×23
1958 35×22.6
空言 1958 素描(鉛筆、フェルトペン) 31×22.5
作品 1962 石版 41×32
c.1963 45×30
1966 46×61.5
作品 1966 46×61
自画像 c.1966 55×43
タオスにて エッチング 21×34.5
Adobe 1966 石版 43.5×54.5
作品 c.1966 45×61
へんぺい人間に非ず 46.8×62
長い長い行列 1967 62×46.5
二奇漢(YagiandShimomura) 61×46
寒拾 30.5×25.5
寒山拾得 62×46.4
大きな口 61×46
作品 61×46.5
作品 62×46
遠くをみてゐる自画像 1971 61×46
老人の日の老人 1972 46×61
挿画のための版画1 1980 木版 15.8×12.4
挿画のための版画2
挿画のための版画3
挿画のための版画4

新聞雑誌関係記事
日経/7月12日、7月28日(夕)、8月3日(夕)、8月5日(木村重信)、8月10日~17日(連載5回;足立巻一、下村良之介、三島喜美代、中西 徹、梅原 猛)
読売/8月3日(夕)(福永重樹)
毎日/8月10日
サンケイ/8月15日
朝日/8月17日(夕)(吉村良夫)、8月23日
アカハタ/8月16日(山口泰二)
芸術新潮 10月号(佐々木静一)

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