展覧会ダダの女流画家 ハンナ・ヘッヒの芸術
ダダの女流画家 ハンナ・ヘッヒの芸術
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ダダは第一次大戦の破壊のなかから起こった運動で、既成の芸術に反抗し、その伝統的価値を否定した。こうした否定と懐疑に向った精神は、その行動のなかで美術にも新しい地平を開き、それまでみられなかった表現の手段や素材を開発し、超現実主義などの前衛美術の展開に大きく寄与した。
このダダの動きは、チューリッヒに発生したといわれるが、若者たちの魂をとらえ、欧米各地に続々と連鎖反応をおこし、さらに世界中に波及した。なかでも、ベルリン・ダダは、その急進的姿勢でひときわ注目される。ハンナ・ヘッヒはベルリン・ダダの仲間として画壇に登場し、ナチス時代の嵐をくぐり抜けて現在も★矍鑠として仕事を続けている女流画家である。
ハンナ・ヘッヒは、1889年東ドイツのゴータに生まれた。ベルリンのシャルロッテンブルク工芸学校に学び、はじめは版画を手がけていた。1915年に、やがてベルリン・ダダの主宰者のひとりとなったラウル・ハウスマンと知り合う。はじめてコラージを試みたのもこの頃である。そして、ベルリンのダダイストたちとの親交が次第に深まってゆく。こうしたなかでフォトモンタージュの着想を得た。この手法は後に彼女にとって重要なものとなる。ベルリン・ダダが思想性を強め、街頭に散った後、彼女はクルト・シュヴィッタースと同志的な協力関係をもち、やがてはオランダに滞在して「デ・スティル」の連中と接触をもった。ナチスの支配が強まるなかで、彼女の画風は恐怖と苦難の形象化へ向ったが、1935年からナチス敗戦までは作品の発表はできなく、ひっそりと暮らしていた。敗戦後は、46年いちはやくフォトモンタージュの作品による個展を開催し、48年のニューヨーク近代美術館の「ダダ回顧展」をはじめ幾多の展観に出品している。
今回の展観は彼女の全生涯の作品のなかから、作家自身の意図をくんで選択されたもので、油彩13点、水彩84点、コラージュ61点からなっていた。作者は怪我のため来日できなかったが、メッセージがもたらされ、展観終了後、「日本の夏」ほか1点が当館に寄贈された。
- 会期
- 4月3日-5月12日
- 入場者数
- 総数11,247人(1日平均321人)
- 出品目録
作品 | 制作年 |
---|---|
階段 | 1923-26 |
垣根 | 1928 |
夜のランデヴー | 1939 |
漂うものたち | 1939 |
山岳風景 | 1940 |
女と鳥 | 1948 |
結晶 | 1949 |
帽子の婦人 | 1952 |
三つのフォルム(1) | 1952 |
二重像 | 1953-55 |
気質 | 1954 |
瀕死の良心 | 1954 |
三つのフォルム(2) | 1954 |
作品 | 制作年 |
---|---|
小さい弟 | 1912 |
娘(5) | 1914 |
出会い | 1920 |
植物的(1) | 1922 |
誘惑 | 1923 |
作品 | 制作年 |
---|---|
永遠の闘い(2) | 1924 |
出発 | 1924 |
小さい策略 | 1924 |
三匹の虫 | 1924 |
オランダの砂丘 | 1926 |
瞑想 | 1927 |
舞踊 | 1928 |
人は叫ぶ(2) | 1928 |
戦闘 | 1928 |
瀕死の良心 | 1928 |
漂う霊(2) | 1929 |
頭をかかえる | 1930 |
フリックス | 1930 |
被造物 | 1930 |
雨の植物 | 1931 |
夜の植物 | 1931 |
恋人たちと守護天使 | 1932 |
平和 | 1933 |
レクイエム | 1933 |
あきらめ | 1933 |
小さい沼 | 1936 |
牧場 | 1937 |
農家の恋人たち | 1937 |
猫 | 1937 |
雑草 | 1938 |
野生のぜにあおい | 1938 |
黄色いえぞみそはぎと野生のぜにあおい | 1939 |
黒い白鳥 | 1940 |
養鶏場 | 1940 |
巫女 | 1940 |
リヴァイアサン | 1940 |
娘 | 1940 |
蜃気楼 | 1940 |
無力 | 1942 |
苦難の時代:途上 | 1942 |
苦難の時代:炎につつまれた世界 | 1943 |
苦難の時代 | 1943 |
死の舞踏(1) | 1943 |
死の舞踏(2) | 1943 |
死の舞踏(3) | 1943 |
変性した植物 | 1943 |
水たまり | 1943 |
飛翔 | 1943 |
猫 | 1944 |
水の反映 | 1947 |
無題:色彩の喜びのみ | 1950 |
シリーズ第4:小さい抽象 | 1950 |
三人での散歩 | 1950 |
沈潜 | 1951 |
集合点 | 1951 |
猫 | 1951 |
無題:シリーズ第3 | 1953 |
恋人たち(3) | 1955 |
恋人たち(4):エヴァ | 1955 |
森ははなざかり | 1957 |
銀色のスケッチ | 1959 |
印象:街 | 1959 |
破裂する前 | 1960 |
無題-静けさのみ | 1960 |
ローマの庭より:黄色い葉 | 1961 |
ローマの庭より | 1961 |
着彩素描、シリーズ Oの6 | 1961 |
着彩素描、シリーズ Oの7 | 1961 |
二本の十字架と一人の子供 | 1962 |
生き生きとした世界 | 1963 |
陽気 | 1965 |
爆発 | 1965 |
不透明の女 | 1966 |
3次元 | 1966 |
球はいずこへ行く? | 1966 |
工業化 | 1967 |
威嚇 | 1967 |
あおざめた者たち | 1967 |
知者 | 1967 |
仮面 | 1970 |
けんかする者たち | 1971 |
風景(1) | 1972 |
静物(1) | 1972 |
静物(2) | 1972 |
作品 | 制作年 |
---|---|
猫のニン | 1926 |
ドイツ娘 | 1930 |
逃亡 | 1931 |
ファッション・ショー | 1936 |
ナイル河のほとり(2) | c.1940 |
夢の夜 | 1943-46 |
夢の走行 | 1947 |
合成花 | 1950 |
赤い羽を用いて | 1950-55 |
婦人 | 1954 |
金の檻からの逃亡 | 1954 |
不透明なものとの出会い | 1955 |
邪悪な者が前景にいる | 1955 |
飛散した統一 | 1955 |
涙の池 | 1956 |
煙突のまわりのポエジー | 1956 |
陰気な思い | 1956 |
あおざめた者との戯れ | 1957 |
おだやかな関係 | 1958 |
平和の天使 | 1958 |
ヴォルテッラの思い出 | 1959 |
密林 | 1961 |
植物的(5) | 1961 |
緑の野原で | 1962 |
遊び場 | 1962 |
頭を欠く者らの輪舞 | 1963 |
赤い顔 | 1964 |
緑のなかの優雅 | 1964 |
光の出現 | 1964 |
駝鳥 | 1965 |
灰色のコンポジション | 1965 |
天の穴 | 1965 |
祭をはじめることができる | 1965 |
作品 | 制作年 |
---|---|
魔術 | 1966 |
不思議の国(2) | 1966 |
日本の夏 | 1966 |
静かな池の上のどよめき | c.1966 |
見馴れぬ美(2) | 1966 |
青-緑 | 1966 |
木の霊 | 1966 |
美しき地霊 | 1966 |
蝶 | 1967 |
工場風景 | 1967 |
悲しみ | 1967 |
我らが夢のすべて | 1967 |
グロテスク | 1968 |
水の魔力 | 1968 |
海辺の街 | 1968 |
良い霊 | 1969 |
小さい傘 | 1969 |
変質 | 1969 |
月世界を征服した男たちに捧ぐ | 1969 |
美、知恵、実行力 | 1969-70 |
静寂 | 1970 |
水の反映 | 1970 |
或る芸術作品に捧ぐ | 1970 |
不安 | 1970 |
庭(2) | 1970 |
ラスプーチン | 1970 |
大きいコラージュ(1) | 1970 |
雲の上にて | 1970 |
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