コレクション展
2025年度 第4回コレクション展
2025.12.11 thu. - 03.08 sun.
居場所は何処に 上野リチ・リックス《ヨーロッパ最後の港》制作年不詳
16歳のブレーズはパリの娼婦ジャンヌとモスクワを発ち、遥か極東を目指す——1913年に制作された《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌのための散文詩》は、当時26歳のブレーズ・サンドラールによる自身の経験と虚構が混淆した詩文と、現在のウクライナ出身のソニア・ドローネー=テルクによる鮮やかなイメージが共鳴する「同時性的書籍」です。抽象的な形態の中、詩人が最終的に行き着いたパリを象徴するエッフェル塔のみが具体的な姿で屹立しています。
第一次世界大戦とロシア革命、その後の社会と文化を巡る変化の中で、芸術家たちは主題や思想の上で、あるいは地図上を東へ西へと彷徨います。
ロシア帝国のヴィテプスク(現・ベラルーシ、ヴィーツェプスク)のユダヤ系の家庭に生まれたマルク・シャガールは1911年にパリに赴き、最先端の美術を吸収します。しかし1914年、結婚のための帰郷中に大戦、そして革命が勃発、出国が困難となり、1923年にようやくパリに戻ります。《屋根の上の花》は妻子とともにパリでの生活基盤を整え、自由な創作環境を手に入れた頃の作品です。
ウィーンのユダヤ系実業家の家に生まれ、ウィーン工房のデザイナーとして活躍したフェリーツェ・リックス(上野リチ)は建築家上野伊三郎との結婚を機に1926年に京都に移りますが、1930年までウィーン工房の仕事を続け、1937年まで両都市を行き来しました。しかし1938年に故国オーストリアはナチ・ドイツにより併合され、以後彼女は日本での活動を本格化させます。
一方、1930年代のチェコスロヴァキア(当時)の前衛芸術家たちはパリのシュルレアリスムとソヴィエトの社会主義リアリズムの共闘を議論していました。それぞれパリとモスクワでの体験を基にした『ジ・ル・クール通り』と『見えないモスクワ』——中間に位置するプラハにて、詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルは苦悩します。のちに彼は、スターリン独裁下で反革命分子を粛清したモスクワ裁判とソヴィエトの文化政策の転換を擁護したことで盟友カレル・タイゲと対立、両者は訣別します。
激動の20世紀前半、東西の間を揺れ動きつつ、居場所を求めた人びとに思いを馳せていただければ幸いです。
京都―大阪:行き交う画家たち 秦テルヲ《桃太郎之図》1932年
江戸時代、京都と大坂の人々は淀川を往復する三十石船を利用し、さまざまな文物の往来や人的交流を活発に行っていました。明治時代になると、明治10年(1877)に官営鉄道が京都・大阪間で開通し、明治7年(1874)に関西初の官営鉄道として開業していた大阪・神戸間と合わせて、京都・神戸間が鉄道でつながりました。しかし、運賃が高かったことから、明治時代初期においては船を利用する人が多く、三十石船のほかに蒸気船も運航するようになっています。
こうした交通手段を利用しながら、近代以降の画家たちも京都と大阪を往来しています。「万巻の書を読み、万里の路を行く」を座右の銘とした富岡鉄斎が知られるように、文人画家は多くの旅をしましたが、田能村直入も各地を訪れ、京都や大阪で活躍した文人画家です。大阪では旧淀川(現在の大川)のほとりで青湾茶会と呼ばれる煎茶史に残る大茶会を催し、京都では京都府画学校の設立を建議し、初代摂理(校長)となるなど、大きな足跡を残しています。大阪には浪華画学校や大阪美術学校が設立されましたが、ともに民間の学校であり、長続きはしませんでした。そのため、京都府画学校を源流とする公立の美術学校である京都市立絵画専門学校で学んだ大阪出身の画家もいました。一方で、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、大正14年(1925)には大阪市が人口や面積などにおいて日本一となって「大大阪」時代を迎えるなど、経済的にめざましい発展を遂げていました。そうしたことから、京都から大阪へ出て仕事を得た者や大阪の実業家から制作依頼を受けていた画家、京都だけでなく大阪でも展覧会を開いた画家もいました。
本コーナーでは、大阪で洋画を学んだのち、京都市立絵画専門学校で日本画を学んだ池田遙邨や琴塚英一のほか、大阪から京都へ出て学び、自身の所属するパンリアル美術協会展を大阪で開いた下村良之介など、京都や大阪とかかわりの深い画家の作品を紹介します。
どこに立って見る? 椿昇《Zeit-01》1978年
あなたは今どこに立っていますか?
河口龍夫がかつて展覧会に出品したのは、作品の展示場所を記した地図。まだGPS機能がない時代、自分の立ち位置を上空から眺めるような視点が提示されています。井田照一は、床についた足あとを「版」としてイメージの中に取り込んでいます。足の持ち主はどこへ進もうとしているのか、さまざまな想像が膨らみます。作品との距離が、作品の見え方を左右することもあります。吉仲太造の《扉》は、遠くから見ると扉の形が半立体的に浮かび上がりますが、近づくと画面は小さな文字で埋め尽くされており、新聞の株式欄や不動産欄のコラージュであることが分かります。前川強の細い斜線は、じつは布に刺繍された糸です。小石とその周囲の空間との緊張関係を表した椿昇の絵画では、さまざまな筆使いで描くことで、画面全体に躍動感が生まれています。柏原えつとむの2点の絵画は、遠近法の錯覚によって中央の箱形のモチーフが立体的に見えます。実は、一方は平面、もう一方は半立体というトリックが仕組まれています。杉浦邦恵やイモジェン・カニンガムは、クローズアップという手法で花の生命力に迫ります。このように視覚とは、自分がどこに立つのかによって変化するものであり、美術鑑賞とは自分なりの「距離感」や「立ち位置」を見つける行為であるということもできるでしょう。
どこに立って見るか、という問いは、対象との心理的な距離を反映することもあります。美術鑑賞の決まりごとを批評的にとらえたカレン・ノールとオリヴィエ・リション。ファン・ゴッホの絵画と向き合ううちに絵の中の世界に入り込んでしまった森村泰昌。さて、あなたはどこから世界を眺めますか?
新時代を迎えて―明治の工芸— 並河靖之《花鳥図蓋付飾壺》明治-大正時代
明治の工芸は、明治維新により幕藩体制が崩壊したことで、それまでの藩の保護がなくなり、自身が身につけた技巧を新しい時代に即して活用していく必要に迫られたことから始まります。つまり、これまでの需要者に向けたモノ作りから、急速に変わりゆく時代を前にして新たな需要者の要求にこたえる形で作品形式を作り変えていったわけです。それが技巧それ自体を視覚的に作品化していくという明治工芸における一つのスタイルの確立につながりました。
近年では、明治の工芸は「超絶技巧」というキャッチコピーで語られ、高い人気を誇っています。確かにそれらの作品は緻密で細密な装飾性、実物そっくりの迫真性を有しており、工人たちの感性と技量には驚かざるを得ません。ただし、その「技巧」のもとは前近代から継続してきた技術体系です。そこに海外からどん欲に新しい情報を収集するとともに、最新技術、様式を吸収し、作者自らの意図の下で改良していったものが「超絶技巧」として現在評価されている作品群です。しかし明治工芸は長年、美術史においてほとんど顧みられることがありませんでした。その理由は、多くが万国博覧会や美術商を通じた海外向けの輸出品であり優品が国内にそれほど残っていなかったこと、そのために装飾過剰で技巧主義的で、本来の日本的な美観や特性を有していないなどと評されてきたためです。ただし、近代美術史の研究が進むにつれて、海外からの作品の買戻しが進み、第一級の作品を目にする機会が増えました。同時に国内に残る明治工芸の再評価が進められていった結果、これらの作品を通じて新しい時代を迎えた工人たちがどのようにモノを作り、近代国家としての日本を表象していったのかが見えてくるようになりました。そのために現在、明治工芸は前近代と近代とをつなぐ重要な存在として美術史に位置づけなおされています。
戦後の河井寬次郎 -川勝コレクション より- 河井寬次郎《呉洲泥刷毛目皿》1955年
当館の収蔵作品を象徴する川勝コレクションは、日本を代表する陶芸家である河井寬次郎の一大コレクションです。川勝コレクションが当館に寄贈されたのは、昭和43年(1968)のことです。当館への寄贈にあたっては、部屋一面に並べられた膨大な作品群の中から「お好みのものを何点でも」との川勝の申し出に従って計425点にものぼる作品が選ばれました。
川勝コレクションは、中国陶磁を手本とした最初期から、民藝運動に参画後の最晩年にいたるまでの河井の代表的な作品を網羅しており、その仕事の全貌を物語る「年代作品字引」として知られています。コレクションを形成した故・川勝堅一は、髙島屋東京支店の宣伝部長、髙島屋の総支配人、横浜髙島屋専務取締役などを務め、また、商工省工芸審査委員を歴任するなど、工芸デザイン育成にも尽力した人物です。河井と川勝の長年にわたる交友は、大正10年(1921)に髙島屋で開催した河井の第1回創作陶磁展の打ち合わせのために上京した河井を川勝が駅まで迎えに行ったことに始まります。そこでたちまち意気投合したことで、川勝は河井作品の蒐集を始めます。コレクションについて川勝は「これは、川勝だけの好きこのみだけでもなく、時として、河井自らが川勝コレクションのために作り、また、選んだものも数多いのである」と回想し、さらに「河井・川勝二人の友情の結晶」だとも述べています。
河井は民藝運動の創始者の一人として知られています。しかしその仕事は「民藝」の枠にとどまることなく、高度な技術に支えられて絶えず制作する器種や釉薬、手法を変化させていったもので、晩年に向かうほどますます作る喜びに満ちたものとなりました。ここではそのような河井の仕事のうち、戦後の作品を通じて河井の目指した美の世界の一端をご紹介いたします。
山口薫と彼をめぐる画家たち 山口薫《あや子あやとり(アヤコ十六)》1959年
前回のコレクション展では、松本竣介、靉光、麻生三郎の作品を、新収蔵作品を中心にご覧いただきました。今回は、同じく新収蔵作品の中から、山口薫の名作《あや子あやとり(アヤコ十六)》をご紹介します。
群馬出身のこの画家については、その没後一周忌を迎えようとする1969年に、代表作を網羅して画業の全貌を明らかにする大回顧展を開催したのが、ほかならぬ当館だったという縁もあり、既に3点の作品を収蔵していましたが、このたび、その大回顧展にも出品されていた《あや子あやとり(アヤコ十六)》を新たに加えることとなったのです。今回の展示では、山口薫の作品として当館所蔵の作品4点とともに、個人所蔵者の方から寄託していただいている作品1点を展示します。また、彼をめぐる画家たちも取り上げ、彼らの作品も一緒にご覧いただきます。
山口薫は少年時代から絵を描き始め、何人もの師に学び、多くの画家と交わって研鑽しましたが、後年、最も好きな画家を問われたときには、明治期以来の巨匠、坂本繁二郎の名を挙げたと伝えられます。確かに、写実を基本としながらも抽象度の高い絵をつくる点で、両者には似た面があるといえます。実際に絵を教わった師は東京美術学校教授の和田英作ですが、その少し前から川端画学校でも絵を学んでいて、そこで知り合ったのが終生の盟友となる村井正誠です。美術学校卒業後のフランス留学中には村井や矢橋六郎のほか長谷川三郎や森芳雄とも親しく交わり、帰国後には自由美術家協会などの団体でともに活動しました。
キュレトリアル・スタディズ17:
日常の二重性―テキスタイルの表現からみる―
1963年に開館した京都国立近代美術館では、早い段階からテキスタイルによる作品をとり上げてきました。継続的に取り組むのは、これまで紹介してきた作品が内包する表現の可能性と批評性を、今日的な状況を踏まえた上で再検証するためでもあります。
「テキスタイルの冒険―現代オランダの4人のアーティスト」(1996)において、レオッネ・ヘンドリクセンを紹介してから、30年が経ちます。今回展示する彼女の近作は、コロナ禍で顕在化した不安定な日常を送る人々にとって、必要な連帯を模索した作品です。サークルを描くように配置された半透明の袋状のモジュールは、人々の身体が互いに支え合うことで成り立つコミュニティを表わしています。
本展では、ヘンドリクセンの作品が提起する身体性をキーワードに、具象的な造形やモティーフを用いるのではなく、素材や構造と、織ったり縫ったりする行為そのものが象徴的な意味を持つテキスタイルの方法論について考えます。
布の身体性には、衣服として使用されることから想起される身体と、制作の主体である身体というふたつのアプローチが指摘できます。きものは、一般的に模様が鑑賞対象とされますが、村山順子の作品は、その着用性によって毛皮を纏うイメージを喚起させます。かつてきものだった大麻布を用いたメイ・エンゲルギールの作品や、田中千世子の〈袈裟〉シリーズは、切断し再構成することで新たな文脈をつくります。一方、ひろいのぶこは、織物の工程で通常は隠される糸の結び目を、切って結んだ行為の痕跡として見せ、費やされた時間や労働の価値、もしくは結び直すという象徴的な関係性を示しています。こうした関係性の射程を共同体へと広げ、アリ・バユアジは紡ぎ、染め、織り直すプロセスによって、コミュニティの再編を問うてゆきます。
作品の前で私たちが目にするのは、ただ結び目であり、継ぎ接ぎであり、布の重なりにすぎないのかもしれません。しかし日常的に見慣れた眺めの奥にこそ、私たちを取り巻く社会への想像を広げるためのしぐさが隠されているのではないでしょうか。
会期
2025年12月11日(木)~3月8日(日)
テーマ
居場所は何処に
京都―大阪:行き交う画家たち
どこに立って見る?
新時代を迎えて―明治の工芸—
戦後の河井寬次郎 -川勝コレクション より-
山口薫と彼をめぐる画家たち
キュレトリアル・スタディズ17:
日常の二重性―テキスタイルの表現からみる―
常設屋外彫刻
開館時間
午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館(12月12日、19日を除く)
*入館は閉館の30分前まで
休館日
月曜日(ただし1月12日、2月23日は開館)、12月30日(火)~1月3日(土)、1月13日(火)、2月24日(火)
観覧料
一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
*国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。
夜間割引
夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
無料観覧日
2025年12月13日(土)
*都合により変更する場合がございます。