
コレクション展
2025年度 第2回コレクション展
2025.07.03 thu. - 09.28 sun.
不安の時代の芸術 アンリ・マティス《鏡の前の青いドレス》1937年
1933年にドイツで政権を獲得したナチ党は、そのイデオロギーにそぐわない表現主義、ダダ、新即物主義などの芸術を反道徳的・不健康な「退廃芸術」と断じ、前衛芸術家たちは活動や生活が困難な状況に追い込まれます。
ハノーファーを拠点とし、印刷物や毛糸、針金などをコラージュした「メルツ絵画」や、彫刻・詩作・演劇・建築など多分野にわたる活躍で知られるクルト・シュヴィッタースは、公共美術館からの自作の排除、秘密警察ゲシュタポによる友人一家の逮捕などを受けて1937年にノルウェーに亡命、その後1940年にドイツの北欧侵攻を受けて英国に逃れました。「敵国人」として収容所に送られた彼は1941年11月にようやく釈放され、その後ロンドンに身を落ち着けます。今回の出展作はこの時期に制作されたものです。
多くの芸術家たちが亡命を選択する中、ベルリン・ダダを代表する芸術家ハンナ・ヘーヒは当地に留まりました。しかし「文化ボルシェヴィスト」と中傷され、作品発表の機会を失った彼女は隠棲を余儀なくされます。《不安》は当時の苦難と孤独を端的に示しています。
1940年6月、パリを含むフランス北部はドイツに占領され、南部も傀儡政権の支配下に置かれます。かねてよりナチを非難していたフォーヴの画家アルベール・マルケはパリを脱出し、戦火を避けて仏領アルジェリアに渡ります。この頃描かれた《港のクルーズ船》には、彼が好んで主題としたアルジェの港が描かれています。
一方フォーヴを代表する画家アンリ・マティスはフランス本国に残りました。《鏡の前の青いドレス》は第2次世界大戦前夜の1937年の作ですが、その後の戦乱の中で数奇な来歴を辿ります。もともと本作はパリの画商ポール・ローザンベールの所蔵でしたが、ドイツのパリ占領後、ユダヤ系であった彼の財産はナチにより没収されました。当時ナチは組織的な美術品略奪をおこなっており、政策に合致する古典絵画などを本国に送る一方、「退廃芸術」とされた作品は外貨獲得のために売却されたり、「ふさわしい」作品との交換に利用されたりしました。1942年、本作も17世紀オランダ絵画と引き換えにドイツ人画商グスタフ・ロホリッツの手に渡ったのち、フランス人画商ポール・ペトリデスに売却されます。しかし戦後複数の画商の手を経由したのちローザンベールに返還され、米国の著名収集家ノートン・サイモンの所蔵を経て、1978年に当館に収蔵されました。
戦争やイデオロギーが、いかに芸術のあり方や芸術家の生活に暗い影を落とすのか——これらの作品は現代の我々に対し、重く語り掛けています。
新収蔵記念 巨勢小石 《巨勢小石肖像写真》明治後期–大正初期
巨勢家は、平安時代に活躍した絵師・巨勢金岡の系譜を受け継ぐとされ、仏画を得意としていました。巨勢小石は巨勢家38代として天保14年(1843)に生まれ、金起と名付けられました。幼い頃から絵を好んだため、祖父の金彦より仏画を学んだほか、花鳥画を岸連山に、山水画を中西耕石から学びました。万延元年(1860)には、日向大神宮より江戸へと向かい、富士山などの名所を訪れる写生旅行をしています。明治11年(1878)には、中国に渡って上海で絵を学んでおり、その名声は広く知れ渡りました。同年、望月玉泉や幸野楳嶺、久保田米僊とともに画学校設立の建議書を京都府知事宛に提出したことは、京都に日本初の公立画学校が創設されるきっかけとなりました。明治13年(1880)の開校後は画学校に出仕し、明治19年(1886)には南宗の教員となっています。明治21年(1888)に画学校を退任した後、岡倉天心に請われて明治22年(1889)より東京美術学校で教員を務めました。明治27年(1894)に美術学校を退任し、京都へ戻ってからは、各会の委員や皇室関係の依頼を受けて過ごし、「昭憲皇太后御大喪絵巻」を宮内省に納入した大正8年(1919)に京都上賀茂の自宅で亡くなりました。
当館では2023年に巨勢小石の作品および関連作品や資料の一括寄贈を受けました。その中には小石の作品のほか、小石の長女と結婚して巨勢家を継いだ友石の作品、小石に関する資料類、小石に贈られた中国文人たちの書が含まれています。明治時代に入ると、日本と中国の文人たちの交流が活発となり、彼らが来日する機会も増えました。小石旧蔵のこれらの書作品からは、その交流の一端をうかがい知ることができます。銭懌の書には「藻采堂」と書かれていますが、これは小石が蓮花を描いた袱紗の款記に「寫於藻采堂」とあるため小石の画室名と考えられ、両者の交友の深さを示しています。
明治時代の日本画 神阪松濤《花売り図》明治末期
明治時代を迎えた日本では、政府が天皇中心の国家体制を整備し、首都機能や経済の中心が東京へと移りました。そのため皇室の拠点も東京へ移っていくこととなり、それに伴って京都を離れ、東京へと移動した人も多く、京都の人口は激減しました。注文数の減少によって日本画家たちは通常の画料だけで生活することが難しくなり、工芸品の下絵を手がけるようになりました。当時の日本画は江戸時代の画風を受け継いでおり、花鳥風月を主題としていました。こうした主題は工芸の図案としても適しており、日本画家と工芸家が協働して近代的な新しい図案による工芸品を生み出しました。
時代が進むにつれ、西洋絵画の影響が広く浸透し、軸装ではなく額装を前提として描かれる日本画が出てくるようになりました。これは内国勧業博覧会など各種展覧会の開催や西洋式の建物が増えたことで、絵画を従来掛けていた床の間で鑑賞するのではなく、壁掛けにするという変化とも関係しています。もちろん古くから寺社や建物の入口に掲げる扁額という形式などで額装は日本にも存在していましたが、日本画が本格的に額装されていくのは明治時代以降のことになります。こうした変化と並行して、構図や主題も変化していきました。労働者を主題とする絵画はその一例であり、美しい花鳥や歴史的な題材を主題とするのではなく、現実社会に目を向け、時代に対応する日本画の制作がなされました。当館の所蔵品では、元々軸装であったものを額装に改装している例もあると考えられますが、額装されている日本画の一例としてご覧いただければと思います。
カリカチュアとしての版画――人間のおかしみと哀しみと 池田満寿夫《急ぐ人》昭和37年
「諷刺画が優れた絵画であるためには、作品の背後に、作家の厳しい文明批評の眼と、奇智と、人間に対する深い愛情が流れていなければならない。」——浜田知明
一般的に「カリカチュア」とは、人物の外観的特徴を誇張することで、滑稽さや諷刺を狙った、素描風のポートレイトを指します。19世紀以降、西洋ではゴヤやドーミエによる社会的な諷刺画、日本では市民の日常を描いた北斎漫画など、作家の観察力が光る版画が数多く生み出されました。ここでは、当館の近現代の版画コレクションの中から、「人間のカリカチュア」というテーマで選んだ作品を紹介します。
浜田知明は、第二次世界大戦の際に出征し、戦地での過酷な体験をもとに銅版画による《初年兵哀歌》を発表して注目を集めました。戦争の悲惨さと、その中で露わになる人間の愚かさを描写した浜田の洞察は、戦後の日本社会を生きる人間にも向けられ、時にユーモアを交えた諷刺的な作品が数多く生み出されました。マルク・シャガールの《死せる魂》は、彼の祖国であるロシアの作家ニコライ・ゴーゴリによる、税関吏チーチコフの詐欺をめぐる人間の負の側面を描いた小説にもとづく作品ですが、描きこまれた動物たちはどこか愛らしく、全体的にやさしい印象に仕上がっています。諷刺で知られるベルリン・ダダの作家ハンナ・ヘーヒのコラージュによる《絵本》には、写真の切り抜きや色彩豊かな紙片を自在に組み合わせて、さまざまな動物が時に擬人化されて表現されています。池田満寿夫の版画に見いだせるのは、まるで虫や動物のように表された、滑稽でちっぽけな人間の姿です。岡本信治郎は、険しい顔つきで知られるファン・ゴッホの自画像を、シンプルな線や形に置き換えてユーモラスな作家像へと変換させています。冒頭の浜田の言葉を胸にとめながら、20世紀という激動の時代を生きたアーティストたちの、厳しくも愛情深い人間への眼差しをお楽しみください。
京都国立近代美術館の工芸-近年の収蔵作品より- 赤塚自得《桜蒔絵料紙硯箱》明治―大正時代
昭和38(1963)年に開館した当館は、これまでに様々な展覧会を開催し、調査、研究、教育普及活動などの活動を行うとともに積極的に作品収集にも努めてきました。現在の収集方針には「芸術の動向に係る作品・資料をジャンルの区別なく収集するだけでなく、複数のジャンルを横断する作品も積極的に収集対象とする」という一文があります。一方で当館の運営方針には「美術館発足時より京都市からの要望に応えつつ、工芸分野に重点を置いてきた伝統を継承すること」という記述もあります。つまり、当館の美術館活動・収集活動とは、工芸を柱の一つに置きながらも、工芸の持つ潜在的な可能性を日本画や洋画、写真、版画、彫刻、現代美術などの様々な表現分野と批評的にリンクさせることで近代の美術の輪郭を総合的に描き出していくものであるといえます。それは工芸を「工芸」という狭いジャンルにおいてだけ捉えるのではなく、異なる(とされる)分野や各時代の人々の生活感情との影響関係において初めて成り立つものであると考えているからです。
さて、本コーナーで紹介する工芸作品は、近年に購入や寄贈を通じて収集した数多くの作品のごく一部です。「工芸」といっても機能を持たない大型作品から屏風や器物のような機能性を有した形態まで様々あり、色彩や装飾においてもバラエティに富んでいます。しかしいずれも素材とイメージと形体と技術とが一体となって生み出されたものであることは共通しています。美術館のコレクションは、その美術館の性格をそのまま表しています。その意味で様々な分野の作品が回廊型の展示室で繋がる当館のコレクション展全体において、工芸作品が「工芸」に対する興味だけでなく、他分野への気づきのきっかけになることを願っています。
日本の洋画:藤原彰氏コレクション 安井曽太郎《晩秋の湯河原》昭和27年
美術館コレクションの中にはさらに別のコレクションが含まれていることがあります。当館の場合は、芝川照吉コレクションや川西英コレクションなどがその例です。そうした個人コレクションには、もともとのコレクターが作品を収集するにあたって抱いていた思いや、作品へ向けた愛情がこめられていて、作品そのものが持つ魅力とは別の魅力をそこに感じることができます。
今回ここにご紹介するのは、昨年度、当館へ一括寄贈された日本洋画のコレクションです。収集なさった藤原彰氏は、企業に勤務しながら純粋に美術を愛好する一個人として、日本の洋画(油彩画、水彩画、版画、素描)を収集してこられました。大川美術館のような美術館をつくりたいという思いがあってのコレクションであり、明治から昭和まで絵画史の流れをたどるかのような、バランスのよさがあるのが特色です。
例えば、坂本繁二郎や須田国太郎のように、当館コレクションでも馴染み深い作家の作品も含まれていますが、中村彝、村山槐多、鳥海青児など、重要な作家でありながら当館には今まで収蔵の機会がなかった作家の作品も含まれています。青木繁、熊谷守一、小出楢重、安井曽太郎、梅原龍三郎、金山平三、長谷川利行、岡鹿之助、野田英夫、松本竣介、麻生三郎など、当館としても収蔵作品点数を充実させたかった作家の作品も、このコレクションによって新たに加えることができました。長谷川潾二郎や鴨居玲のような、国公立美術館にあまり収蔵されていない作家の作品も、これによって収蔵することとなりました。
これらの作品は今後、当館のコレクション展や他の美術館への貸出によってたびたびご覧いただくことになると思いますが、まずは全作品をご覧いただきます。愛情をこめて集められた作品群の魅力を楽しんでいただければ幸いです。
最後になりましたが、充実したコレクションを一代で形成され、一括で当館へご寄贈くださいました藤原彰氏にあらためて心からお礼を申し上げます。
会期
2025年7月3日(木)~9月28日(日)
テーマ
不安の時代の芸術
新収蔵記念 巨勢小石
明治時代の日本画
カリカチュアとしての版画――人間のおかしみと哀しみと
京都国立近代美術館の工芸-近年の収蔵作品より-
日本の洋画:藤原彰氏コレクション
常設屋外彫刻
展示リスト
2025年度 第2回コレクション展 (計182点) (PDF)
※洋画コーナーにて展示の小出楢重《裸女》は、大阪中之島美術館で開催される展覧会「小出楢󠄀重 新しき油絵」(会期:2025年9月13 日-11月24日)に出品するため、8月17日までの展示となります。
開館時間
午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館(7月4日、11日、18日、9月19日、26日を除く)
*入館は閉館の30分前まで
観覧料
一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
*国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。
夜間割引
夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
無料観覧日
2025年7月5日(土)12日(土)、9月20日(土)27日(土)
*都合により変更する場合がございます。