
コレクション展
2025年度 第1回コレクション展
2025.03.13 thu. - 06.29 sun.
特別展示:日本のオルガ・ボズナンスカ オルガ・ボズナンスカ《L夫人の肖像》1919年頃、公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
企画展「〈若きポーランド〉—色彩と魂の詩1890-1918」では、20世紀初頭、最も成功した女性画家のひとりであるオルガ・ボズナンスカ(1865-1940)の作品11点を紹介しています。それに合わせ、今回の西洋近代美術コーナーでは、大原美術館所蔵のボズナンスカ作品2点を特別に展示いたします。
クラクフに生まれ当地とミュンヘンで美術教育を受けたボズナンスカは、1898年以降パリに定住しました。彼女が既に名声を確固たるものとしていた1920年頃、岡山県出身の洋画家・児島虎次郎は二度にわたり欧州を訪れます。その目的は自らの絵画修養、そして実業家でパトロンの大原孫三郎の支えによる西洋絵画蒐集のためでした。日本に西洋美術の優品を展示する美術館の建設を目指した孫三郎は虎次郎に現地での蒐集を依頼し、それに応えた虎次郎はパリを中心にクロード・モネ、アンリ・マティス、エル・グレコなどの作品を買い集めます。その中に含まれていたのがこの2点のボズナンスカ作品でした。
1923年春にボズナンスカを訪ねた画家の石井柏亭は、『滞欧手記』の中で彼女を「同国[注:ポーランド]人で名の聞えた」画家と紹介し、「なんでもアマンジャン氏の紹介で此人の画は大原氏の蒐集中に入つた筈である」と記しており、虎次郎の蒐集に協力した画家エドモン=フランソワ・アマン=ジャンの選択によって、ボズナンスカ作品が大原コレクションにもたらされたことがうかがえます。また柏亭は、ボズナンスカが若い紳士の肖像を「随分汚い一種特別なパレツトを手にしてくしやくしや描い」ていたと綴っており、素早い筆致によるまだらな色彩の生み出される過程を知ることができます。こうした特徴は虎次郎が蒐集したボズナンスカ作品にも見受けられます。
これら2点は、1922年に倉敷尋常高等小学校で行われた「第2回現代仏蘭西名画家作品展」に出品され、その後1930年に開館した大原美術館に収蔵されて以降、ほぼ公開されていなかった作品です。この貴重な機会に、ぜひじっくりとご覧ください。
大正時代の日本画 藤村良知《初夏風景》1925年頃
大正時代は大正元年(1912)から大正15年(1926)までの15年間に満たない期間でしたが、第一次世界大戦(1914-1918年)や関東大震災(1923年)が起こり、大衆が普通選挙の実施を要求するといった大正デモクラシーと呼ばれる民主主義や自由主義を求める運動も活発になるなど、大きな変化があった時代でした。美術界では、明治40年(1907)に政府が主催する展覧会として第1回文部省美術展覧会(文展)が開催され、新人作家の登竜門としての役割を果たすようになりますが、回数を重ねるにつれて審査員同士の意見の対立が大きくなり、審査に対して疑念を抱く者も現れるようになりました。東京では日本美術院が経営難と岡倉天心の不在によって活動休止状態となっていましたが、文展審査員を外された横山大観やそれに伴い審査員を辞退した下村観山らが大正3年(1914)に同院を再興し、第8回文展と同日となる10月15日より再興記念第1回日本美術院展を開催することで、反文展の姿勢を明らかにしました。京都では文展の審査に不満を感じた土田麦僊や小野竹喬らが大正7年(1918)に国画創作協会を結成し、新しい日本画の創造を目指しました。さまざまな問題をはらんでいた文展は大正7年の第12回を最後に終了し、代わって文部大臣管轄下に帝国美術院を設立して大正8年(1919)に第1回帝国美術院美術展覧会(帝展)を開くに至っています。
明治43年(1910)に創刊された雑誌『白樺』は、ゴッホやゴーガン、セザンヌら印象派以降の美術を日本に紹介し、洋画家だけでなく日本画家にも大きな刺激を与えました。また西洋美術の影響を受けた者の中には、日本の伝統的な画風を見直し、やまと絵や琳派から学んで発展させた者や、デューラーなどの北方ルネサンスや中国の院体画の細密描写に傾倒する者も現れ、大正時代は独創的な日本画が描かれました。いずれの画家も個性を尊重するという当時の時代状況を背景に、日本画に新生面を切り拓こうという熱意をもって制作に励んでいました。
彼女たちの「戦後」 杉浦邦恵《50 Cuts:遺された一瞬》1997-2001年/2022年
今年は、太平洋戦争の終結から80年を迎えます。この間、戦後の新憲法にもとづく男女平等政策によって、女性の社会的立場やライフスタイルの多様化が進みました。美術界においては、多くの教育機関が男女共学となったことで、表向きには女子が美術を学ぶ権利と機会は拡大したと言えます。その一方で、戦前の家父長制度や男性優位の社会通念が残り続け、女性が芸術家として生きていく上では依然としてさまざまな制約や困難があったことも事実です。私生活とのバランスの中で制作・発表のペースがゆるやかであったり、男性作家中心の前衛グループに属することができなかったりする(あるいは敢えて距離を置く)者もいました。その結果、未だ美術史上の正当な評価を受けてこなかった作家も少なくありません。近年ではこうした反省をふまえ、国内外の多くの美術館がジェンダーバランスの是正を掲げ、女性作家の再検証と再評価を進めています。ここでは1930年代から40年代に日本で生まれ、戦後の前衛美術の大きなうねりの中で創作活動を続けてきた女性作家の作品を紹介します。
田中敦子と菅野聖子は大阪を拠点とする芸術家グループ「具体美術協会」に参加していました。田中は色鮮やかな合成樹脂エナメル塗料による円と線で構成された絵画シリーズ、菅野は数学や物理をテーマとした直線の集積による絵画を発表しました。松本陽子は東京藝術大学在学中から抽象絵画に取り組み、油彩からアクリル、そして再び油彩へと画材や基調色を変えながら、一貫して重層的で朦朧とした独自の色面絵画を制作、現在も精力的に国内外で発表を続けています。森本紀久子は動植物をモチーフとした細密描写による独自の画風で注目を集めました。藍色と白の幅広いストロークが印象的な油彩画は、50代でがんを患った木下佳通代が命を削りながら新境地を模索した大作です。三島喜美代は日用品のパッケージデザインを転写した陶の立体作品を通して、情報化社会の危機感を表現しました。
活動拠点を海外へと移した者もいます。1960年代に渡米して写真を学んだ杉浦邦恵による植物をモチーフとしたフォトグラム写真。ニューヨークを拠点とする宮本和子によるピラミッド状に紐を張ったミニマリズム的立体構成。1970年代に渡米したエミコ・サワラギ=ギルバートによる人間の視覚の不確かさを表した繊細なドローイング。こうした素材や形式の多様化も、この80年間の美術における顕著な傾向です。
陶芸界では、戦後でも女性が窯に近づくことは「穢れ」として許されない風潮が残る中、1957年に坪井明日香が女性陶芸家のグループ「女流陶芸」を結成し、女性陶芸家の活動の道をひらきます。世代やジェンダー、人種といった属性で一括りに語ることは時に危うさをはらんでいますが、彼女たちそれぞれの実践は、人間の「生」をめぐる、複数の価値観の可能性についての思考を促します。
近代美術館の工芸コレクション 北村武資《経錦着物「蒼苑」》1997年
工芸を活動のひとつの柱とする当館の方針は、京都という土地柄を考慮して、1963年の開館時に定められたものです。草創期には「現代国際陶芸展」(1964年)をはじめ海外の動向に視野を広げ、クレイワークやファイバーアートと呼ばれた、工芸的な素材を用いた新しい美術表現も積極的に紹介しました。目まぐるしく変化する美術の動向のなかで、この方針は、日本の近代美術館が、美術や美術史の枠組みを超えて優れた表現をとりあげていくうえで重要な観点となっています。例えば、日本が近代化とともに、西欧の影響を受けて形成した美術体系を検証する際には、明治以降に画家や図案家と工芸家たちが共同でおこなった図案改良の意義や産業との関わり、また第二次世界大戦後の前衛作家たちにみられたジャンルに捉われない交流など、領域横断的な視点が不可欠です。
近代美術館が「きもの」をコレクションする視点を持っていることは、当初は作家からも意外に思われたようです。しかし用途をもつ造形が、美術表現と安易に切り離せないことについても、すでに多くの議論が重ねられてきました。古典に学び、食との関わりという総合的な視野で器を制作した北大路魯山人や、「羅」と「経錦」の重要無形文化財保持者として、復元と創作を反復しながら、織物の根源と向き合った北村武資。民藝運動に関わりながら晩年まで作風を変化させた河井寬次郎の作品は、パリ万国博覧会受賞作を含む425点におよぶ「川勝コレクション」として、作家研究の基準資料となっています。
銘や、自然の描写により連想される文学的テーマや季節感は、道具の取り合わせのように、見る/使う側にも解釈の幅を与えます。一方で、こうした文化的背景が強く存在するからこそ、日本における慣例と批評的に対峙する作品も生まれました。作品が成り立つ枠組みを内側から問い直しながら、工芸は複数のレイヤーをもつ表現媒体となってきたのです。立場を異にする作家が同時代に活動しながらも、そこには常に現代の創造性と探求がみられます。
今回は、春から夏へと移り変わる季節を踏まえつつ、コレクションの一端をご覧いただきます。
音楽とともに 岸田劉生《麗子弾絃図》1923年
このコーナーでは音楽をテーマにした平面作品をご紹介します。3階企画展の舞台、ポーランドを代表する音楽家と言えばフレデリック・ショパンですが、菅野聖子(1933-1988)の制作を支えたのは、オーストリアの音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトでした。油彩画の制作に行き詰まり、自身が追求すべき芸術を深く見つめる必要を感じていた菅野は、モーツァルトを聴きながら新聞紙をちぎり、音への感覚や身体的な反応をコラージュへと置き換えて、音と造形に対する感性を研ぎ澄ませていきました。
堂本尚郎(1928-2013)の《二元的なアンサンブル》は、2つに分かれたカンヴァスの上で躍動する色彩や線の調和を目指した作品です。堂本は当時「アンフォルメル」という前衛芸術運動の中心的な作家でしたが、本作は彼がアンフォルメルからの脱却を図り、自分のスタイルを模索し始めた時期のものです。作家はのちに、様々な楽器が奏でる音が一体となりシンフォニーを生み出すオーケストラの演奏や現代音楽の思想が、本作へ繋がったと語っています。
フランスの画家アンリ・マティス(1869-1954)の『ジャズ』は1947年に出版された挿絵本で、紙とハサミを使った切り紙絵という手法で原画がつくられました。実は本作には、音楽のジャズに直接関連するイメージはありません。マティスはジャズを「即興性、活気、一体感」のある音楽だと語っているように、このタイトルは色彩に直接形を与える切り紙絵の制作と、音楽のジャズとの本質的な繋がりを表しています。こうした目に楽しい色鮮やかな『ジャズ』を実見した洋画家の荻須高徳(1901-1986)は、その喜びを「色彩の音律によって壁一面にダンスしている様な美しさ」と伝えました。
ここでは他にも、三味線の稽古にはげむ娘・麗子の姿を日本美術の古典を意識し描いた岸田劉生の絵画や、流れるような木版の線と余白でピアノの旋律を表した藤森静雄などをご紹介します。それぞれの作品からは、どんな音楽が聴こえてくるでしょうか。
すわって、みる 安井曾太郎《婦人像》1930年
起きてから眠るまで、どれくらいの時間をすわって過ごしていますか? すわりながら、どんなことをしているでしょうか?
すわることは、日々の生活で多くをしめる行為です。そして「すわり方」に注目してみると、そこにはその人となりが表れたり、姿勢の中に潜む社会的・文化的な背景を読み取ることもできます。そのため、すわるポーズや、すわりながら仕事や読書などをする人々の姿は、古今東西の美術作品の中に数多く登場してきました。
このコーナーでは、こうした「すわる人の姿」に着目します。展示にあたり、今回は当館のキュレーターと2人のエデュケーターが対話を重ねながら作品を選び、「室内ですわる」「みんなですわる」など、全部で5つのテーマをつくりました。作品をより楽しむことができるヒントもいくつか用意しています。中央の展示室には普段よりも少し多めに、椅子を置き、すわることができる場所をつくりました。すわって心と身体を休めながら、作品にゆっくりじっくり向き合う時間を過ごしていただけたら幸いです。
会期
2025年3月13日(木)~6月29日(日)
テーマ
特別展示:日本のオルガ・ボズナンスカ
大正時代の日本画
彼女たちの「戦後」
近代美術館の工芸コレクション
音楽とともに
すわって、みる
常設屋外彫刻
展示リスト
2025年度 第1回コレクション展 (計148点) (PDF)
開館時間
午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館
*入館は閉館の30分前まで
観覧料
一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
*国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。
夜間割引
夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
無料観覧日
2025年3月15日(土)、22日(土)、5月18日(日)
*都合により変更する場合がございます。