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コレクション展

2024年度 第4回コレクション展

2024.12.06 fri. - 03.09 sun.

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「コンポジション」への道 —ピート・モンドリアン ピート・モンドリアン《コンポジション》1929年

 垂直線と平行線、無彩色と三原色のみで構成された絵画で知られるピート・モンドリアン(1872-1944)。しかし、彼は初めから抽象絵画を描いていたわけではありません。初期のモンドリアンは、19世紀後半にオランダのデン・ハーグを中心に活動していたハーグ派や、印象派の影響を受けており、《ヘイン河畔の樹》ではハーグ派の特徴であるくすんだ色彩や、印象派的な筆遣いが見て取れます。また右下のサインに注目すると、この頃は”Mondriaan”と、aが2つ続く元々の綴りを使っていることが分かります。
 神智学への傾倒とキュビスムの洗礼を経て、モンドリアンの絵画は次第に具象を離れます。またパリでの豊かな文化的体験も彼の新しい展開の糧となりました。1916年頃に描かれた《コンポジション(プラスとマイナスの習作)》では、画面に何が描かれているのかを識別することは困難です。
 1917年、モンドリアンはテオ・ファン・ドゥースブルフが結成したグループ「デ・ステイル」に創立メンバーとして参加し、モンドリアンが提唱した「新造形主義」は彼らの理論的な支柱となります。その理論の下、モンドリアンは要素を垂直と平行、無彩色と三原色に限定し、均衡と普遍性を追求した絵画を生み出します。しかし、デ・ステイルが対角線の使用を認め始めると、1925年、モンドリアンは自身の芸術論と嚙み合わなくなったデ・ステイルを離れます。脱退後の1929年に描かれた《コンポジション》は、彼の代名詞である「コンポジション」シリーズのひとつです。
 その後ナチズムの脅威を逃れてロンドンに移り、次いで戦火を避けてニューヨークに亡命したモンドリアンは、ブギウギのリズムや当地の幾何的な街並みに魅了され、黒よりも三原色を多く用いる華やかな画面構成を好むようになりますが、自らの原則を崩すことはありませんでした。
 2024年で没後80年を迎えたモンドリアン。初期の風景画から「コンポジション」に至る過程を、3点の作品を軸に追ってみましょう。


生誕130年 甲斐庄楠音 甲斐庄楠音《畜生塚》1915年頃

 甲斐庄楠音(1894-1978)は、明治時代の京都に生まれ、大正時代に画家としての才能を開花させ、昭和時代に入ると映画監督の溝口健二と出会って映画衣装の風俗考証に携わるなど、才能あふれる人物として知られています。
 明治41年(1908)、京都府立京都第一中学校1年を修了後、病弱であった楠音は京都市立美術工芸学校図案科に編入します。明治45年(1912)に卒業したのちは京都市立絵画専門学校へ進み、西洋の美術に刺激を受け、特にレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ウィリアム・ブレイクに傾倒しました。大正7年(1918)に土田麦僊や小野竹喬、村上華岳らによって国画創作協会が結成されると、華岳から声を掛けられ、第1回展に《横櫛》(広島県立美術館)を出品して注目を集めます。10年の間に7回開催された同会の展覧会を発表の場として、数々の野心的な作品を描きました。昭和3年(1928)に国画創作協会が解散すると、その後継団体とも言うべき新樹社を結成し、自宅を事務所とするなど積極的に会の運営に関わりました。楠音の作品は、刹那的ともいえる一瞬をとらえて描き出しており、明暗による不気味さや恐ろしさをも感じさせる表現を得意としました。これらの特徴はロートレックにも通じるものを感じさせます。
 会員の脱退などによって昭和6年(1931)に新樹社が自然消滅的解散を遂げたのち、昭和14年(1939)公開の溝口健二監督『残菊物語』の制作に参加しました。このとき楠音は45歳でした。その後、71歳となる昭和40年(1965)までの人生の後半生は映画界に身を置いて過ごしました。


コロマン・モーザーの装飾デザインとウィーン世紀末 コロマン・モーザー《『平面装飾』[『ディ・クヴェレ(泉)』第3巻]》1902年

 1897年、画家のグスタフ・クリムトを中心に新進気鋭の芸術家たちによって結成されたウィーン分離派(正式名称:オーストリア造形芸術家協会)。彼らは、当時のウィーン美術界の権威組織に反旗をひるがえし、「商業主義的性格にとらわれない、純粋に芸術的観点に立った基準」にもとづく展覧会活動の実現を目指しました。ウィーン分離派が発表の拠点としたヨーゼフ・マリア・オルプリヒ設計の分離派会館の入口には、彼らのスローガン「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」が刻まれています。展示活動と同様に、大衆に向けて新しい芸術の様式と思想を伝える上で彼らが重視したのが、機関誌『ヴェル・サクルム(聖なる春)』の刊行でした。美術や建築、文学、音楽など多岐にわたる内容で、特に自然モチーフの単純化による有機的なデザインや、日本の浮世絵に触発された木版画やグラフィック作品が図版として盛り込まれていました。なかでもコロマン・モーザーは、ウィーン分離派や1903年のウィーン工房の創設に関わり、絵画、版画、デザイン、室内装飾、家具、建築などを手がけ、世紀末ウィーンのデザイン界に大きな足跡を残しました。ここでは版画やその原画、装丁・ブックデザイン、図案集、そして珍しいマーブル染めによる作品などをまとめてご覧いただきます。また、ウィーンで出版社を営む版画・写真家のマルティン・ゲルラハは、カラー印刷や写真製版といった印刷技術の発展を背景に、出版という形で分離派を支えました。図案集『ディ・クヴェレ(泉)』シリーズでは、カール・オットー・チェシュカやマックス・ベニルシュケといった当時まだ若かった作家を積極的に起用しました。
 これらの作品は、アパレル会社キャビンの創業者である平明暘氏がかつて蒐集したものです。当館では2015年度に、世紀末ウィーンに生み出された版画や素描、デザイン画、書籍など302件からなる平明氏のコレクションを収蔵しました。芸術の変革を希求し、そして人々の生活に身近なものとして浸透させようとした、当時の芸術家たちの息吹をお楽しみください。


木と漆と竹の工芸 松田権六《蒔絵竹に雀図二段卓》1968年

 黒田辰秋の展覧会に関連し、コレクションから木と漆と竹の作品を紹介します。ものづくりにおいて、各工程に高度な技術を身に着けた作家が関わることは、質の高い作品を実現するためのひとつの方法でしょう。例えば、木地、塗り、蒔絵をはじめとした加飾など、丁寧に工程を重ねる分業によって、制作は成り立ってきました。同時に、作家たちはその技術を、自らの作品にも活かすことになります。関わる作家の層の厚さは、この領域に見られる表現の幅広さを示しているように感じられます。
 京指物の技術を学んだ竹内碧外は、主に注文に応じて文人趣味の作品を制作しました。堺を拠点とした歴代の竹雲斎も、煎茶の隆盛とともに活躍し、竹根のかたちをそのまま見せたり、古い弓矢を転用した特有の作風が見られます。
 碧外に師事した中川清司は、黒田辰秋の「桶からたがと底を取れないか」という言葉に向き合い、家業を発展させて、柾目を合わせた幾何学的な木画を生み出しました。
 初代鈴木表朔が二代木村表斎に師事し、京漆の表派と呼ばれる系譜があるように、技術は師弟関係のもとで継承されてきました。そうした中、二代表朔の次男である鈴木睦美は、極めて薄い木地を撓めて漆で固めることで、新しい造形を試みています。
 第二次世界大戦後、指導者の減少や、戦後復興に伴う急速な工業化による技術の衰退を背景として、重要無形文化財の指定が始まると、1955年には松田権六(蒔絵)、高野松山(蒔絵)、音丸耕堂(彫漆)、前大峰(沈金)などが保持者―いわゆる人間国宝―に認定されています。松田権六の《蒔絵竹に雀図二段卓》では、象牙を染めて文様を彫りあらわす撥鏤ばちるによって三羽の雀があらわされ、平文による餌をついばむ愛らしい姿が見られます。
 1927年に帝展(後の日展)に美術工芸部が開設されて以降、展覧会はひとつの発表の場となってきました。1954年に始まり、第7回から公募制となった日本伝統工芸展もまた、異なるアプローチで制作する作家たちが互いに研鑽する場となっています。


富本憲吉と河井寬次郎 富本憲吉《色絵金彩羊歯模様大飾壺》1960年

 黒田辰秋が若い時に一貫制作による個人作家となることを決意した際、その方向性に強い影響を与えたのが富本憲吉と河井寬次郎でした。
 富本憲吉は昭和30(1955)年に重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定されるなど、近現代陶芸の先駆者として高く評価されています。また、「模様から模様を作らず」という言葉が象徴するように、創作のあり方を生涯にわたり探求した作家です。特にその自然写生による模様は、それまで一般的であったモチーフをある様式に落とし込んだのちに様々な工芸品に対して応用していく便化と呼ばれるものではなく、自然の生命感をいかに直接に模様として表すのかという意識から生まれたものです。その後、富本は陶芸家として、染付、白磁、色絵、色絵金銀彩と作品における華麗さを増しながら作域を広げ、模様と形との関係を通じて立体物としての陶芸表現を確立しました。
 河井寛次郎は、東京高等工業学校(現、東京科学大学)を卒業後、京都市陶磁器試験場に技手として勤務し、何万種もの釉薬の研究に没頭します。試験場を辞し、陶芸家として独立後は、中国や朝鮮陶磁を手本とした作風で大正10(1921)年に最初の個展を開催し、「国宝的存在」などと評されるほどの高い評価を得ました。しかしその後、創作の方向を大きく変え、民藝運動に参画することで、「暮らし」と創作の密接な関係において作陶活動を展開していきます。河井の作品における造形性は、晩年に向かうほど、ますます意欲的となり、「生命」の喜びに溢れたものとなりました。
 黒田は富本については「陶工にも真摯なる芸術家の存在を知って、大いに自己の信念を強める」と回想しており、河井については、若い黒田が偶然目にした河井の作品に驚き、深い感動を覚えたことを繰り返し語っています。


生誕140年・没後90年 竹久夢二 竹久夢二《九連環》1928年頃

 明治後期から昭和初期にかけてグラフィックデザイナー、イラストレイターとして活躍した竹久夢二は、今日でも「大正ロマン」を代表する作家として愛されています。
 抒情性に富んだ「夢二式美人」で人気を博したことで知られていますが、もともとは幸徳秋水が結成した平民社の新聞に風刺画を描いていたこともあり、その制作の基本にはアヴァンギャルドの精神があったといえます。印象派以降の近代美術の流れを意識し、やがてロシア未来派や抽象絵画のような当時最先端の表現にまで関心を広げました。晩期にはハワイからアメリカを経てドイツへ旅行しましたが、ベルリンでは、一時期バウハウスにも参加していた美術家・美術教育者のヨハネス・イッテンが創設した学校「イッテン・シューレ」で日本画の講習会を開いたほどです。浮世絵風のやや古風で優美なイメージを基調とした中にもそうした最先端のセンスが活きていたからこそ、彼のイラストやデザインは大正・昭和期のモダンな文化に生きる少年少女や若者たちを魅了することとなったのでしょう。夢二の代表作といえる「セノオ楽譜」表紙絵シリーズの多彩な表現には、古今東西の絵画表現に対する彼の関心の広さがよく表れています。
 当館は川西英が収集した前衛傾向の版画を中心とする膨大なコレクションを収蔵していますが、その大部分を占めるのが竹久夢二の作品です。夢二の生誕140年、没後90年、そして川西英の生誕130年を記念し、川西英が収集した夢二作品コレクションから名作の一部をご紹介します。


文化―自然

 中央の正方形の展示室「スカイライト」とその前のスペースでは、人間と自然との関係について考察を深める作品を紹介します。
 今から80年前の1944年にドイツで生まれたローター・バウムガルテン(2018年没)は、戦争やホロコーストを止められなかった上の世代や社会に反発し、西洋近代以降の社会構造や思考方法を批判的に捉えました。一連の写真作品にうつるのは、西洋の外側を象徴する鳥の羽を用いた行為の跡や、ピラミッド型に顔料を積み上げた残らない彫刻といった、消えてなくなるものの記録です。これらはどれも作家が住むドイツの街や森、アトリエで撮影されました。バウムガルテンは異なる文脈にある行為やオブジェをイメージの中に共存させることで、人間が決めた分類や区分――例えば「文化」と「自然」、「西洋」と「非西洋」といった二分法――への内省を促します。
 「すべての生きている有機体は、ファイバーからつくられる」と語るマグダーレ・アバカノヴィッチ(1930-2017)にとって、作品に用いる植物の繊維(ファイバー)は生命そのものを象徴する素材です。《黒い上衣 Ⅴ》はサイザル麻を作家自ら手で織った作品で、内側に広がる大きな空洞に肉体の不在を感じることができます。
 ポーランドの複雑な歴史の中に生きたアバカノヴィッチが素材と対話しながら制作をつづけたように、長谷川潔(1891-1980)もまた戦争を契機に植物や自然への洞察を深め、精緻で詩情溢れる作品を残しました。今回は他にも、木目や葉などを擦り浮かんだ像で物語を構成したマックス・エルンスト(1891-1976)や、細かく木を穿ち時を刻む李禹煥(1936-)、ドリルで板を削り線を引く斎藤義重(1904-2001)、そして木の内部に複数の空間を創出する橋本典子(1939-)など、自然と制作とが呼応して生まれた表情豊かな作品たちをご覧いただきます。


会期 2024年12月6日(金)~2025年3月9日(日)

テーマ 「コンポジション」への道 —ピート・モンドリアン
生誕130年 甲斐庄楠音
コロマン・モーザーの装飾デザインとウィーン世紀末
木と漆と竹の工芸
富本憲吉と河井寬次郎
生誕140年・没後90年 竹久夢二
文化―自然
常設屋外彫刻

展示リスト 2024年度 第4回コレクション展 (計187点) (PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館
*入館は閉館の30分前まで

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。

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夜間割引 夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円

無料観覧日 2024年12月7日(土)14日(土)、2025年3月8日(土)
*都合により変更する場合がございます。

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音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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