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コレクション展

2021年度 第4回コレクション展

2021.11.11 thu. - 01.16 sun.

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西洋近代美術作品選

 当館所蔵・寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は、マルク・シャガール(Marc Chagall, 1887 – 1985)による3点の作品をご覧いただきましょう。
 シャガールは、1887年に帝政時代のロシアの地方都市、現在ではベラルーシ共和国に位置するヴィテブスク近郊のユダヤ人居住区に生まれ、1985年にフランスのサン・ポール・ド・ヴァンスで97歳の生涯を閉じた、20世紀美術を代表する画家のひとりです。19歳の時に当時の首都ペテルブルク(現在のサンクトペテルブルク)にある美術学校で学んだのち、フォービスムやキュビスムなどの新しい芸術表現が花開いていたパリに出て多くを学び、画家としての基礎を築きます。その後、第一次世界大戦勃発とロシア革命にともなうロシア滞在を経て、再びパリに戻り活躍の場を広げました。しかし、ナチス・ドイツの台頭と第二次世界大戦勃発によりアメリカへ亡命、その地で最愛の妻ベラを病で亡くし、失意の時を過ごします。戦後は再びフランスに戻り、南仏に拠点を構え、落ち着いた環境と明るい陽光のもと色彩豊かな作品を数多く生み出しました。
 1925年頃に描かれた《屋根の上の花》では、画面下部に簡素な屋根の上に花瓶が描かれ、生けられた赤を基調とした花々間にひとりの天使が遊んでいます。1923年にシャガールは、1914年6月から続いた苦しいロシア滞在からようやくパリに戻り、妻ベラそして娘イダとともに生活の基盤を整え、新たな仕事に邁進しました。困難を経て充実した時間を手にした画家の心情が、本作品には素直に表われています。
 1940年代、戦争とそれに伴う過酷な反ユダヤ主義、それに続く同郷の妻ベラの突然の死は、シャガールに生涯において最も苦しい失意と試練をもたらしました。1948年にようやくフランスに戻った彼は、ピカソやマティスが近くに住む南仏のヴァンスに居を構え、1952年に知り合ったヴァランティーナ・ブロツキー(ヴァヴァ)と同年再婚します。この頃の作品《花と恋人たち》には、浮遊する恋人たちのほかに、鮮やかな花が生けられた大きな花瓶が置かれた食卓と、ヴァイオリン弾きそして棺にも見える区画に並ぶ男女が描かれており、本作品がシャガールとヴァヴァの結婚を言祝ぐ内容を持つことが示唆されています。
 そして晩年の画家は、安定した生活の中で、故郷へのノスタルジーや愛する人々、これまで取り組んできたサーカスや聖書といった様々な主題や自らの体験を、美しい色彩と自由な筆致で縦横に結びつけた作品を生み出しました。宙に浮かぶ馬に乗った母と子そして大きな花瓶が、ヴィテブスクとおぼしき街を見守るかのように描かれた《母と子》も、まさにそのような1点です。
 この三つの作品に共通して描かれているのが花瓶に入った花々です。花そして花束はシャガールの作品によく登場するモティーフですが、シャガール28歳の誕生日にベラが花束を抱えてやってきたことにその端緒があることを、そのときの幸福感と愛の象徴として花束を描くようになったことを、画家自らが告白すると同時に、次のようにも述べています。「芸術の中では人生と同じように全てが可能なのです。もしそこに愛があるならば。」


生誕150年・没後90年 都路華香 都路華香《埴輪》1916年

 都路華香(1871-1931)は、現在の京都市中京区姉小路通小川東入ル宮木町に生まれました。本名は辻良景で、通称を宇之助と称し、都路華香と号しました。辻家は祖父の代に京都に出て京都府庁前近辺で植木屋を営んでいたようですが、父は姉小路小川に移り住み、友禅描きで生計を立てました。幼い頃から絵に親しんだ華香は、9歳で幸野楳嶺の画塾に入門しました。ともに楳嶺四天王として知られる菊池芳文、谷口香嶠、竹内栖鳳の中では最も入門が早く、最年少でもありました。《水底游魚》や《春宵図》などの円山・四条派風の作品は、楳嶺のもとで力を蓄え、頭角を現したことを示しています。そのほか、狩野派や琳派、文人画などからも学び、さらに一時家業を手伝って工芸図案も描いています。また、精神修養のために建仁寺管長の竹田黙雷に参禅しており、こうしたさまざまな経験に基づく独自の味わいを持った画風は、画家たちの間でも一目置かれるものでした。京都市立美術工芸学校や京都市立絵画専門学校で後進を指導し、両校の校長も務めました。
 《白雲紅樹》や《高野詣》に見られるデカルコマニー(紙で絵具を挟んで偶発的なマチエールを得る技法)のような筆触は実験的な試みに溢れており、《良夜》の即興的な波の表現は文人画の精神に通じています。しかし、そうした凹凸のある筆触や波の線が持つ美しいリズムは、日々の修練を怠らず、自身の技に磨きをかけ続けたからこそ生まれたものであり、絵画制作と真摯に向き合う華香の姿が浮かび上がります。自宅の玄関にはいつも楳嶺の作品を掛け、絶筆が黙雷禅師像であったことも、謹厳実直で温情豊かであった華香の性格をよく表しています。


モダン ⇄ ポストモダン 揺れ動く建築と建築家 チャールズ・ジェンクス《ティー&コーヒー・ピアッツァ》1983年

建築は使いやすさか、美しさか。

 そんな単純な二元論ではないまでも、様式を失った近代以後、建築は常にその間を揺れ動いてきました。
 機能が優位の時代は、第一次世界大戦後の1920年代に始まります。ヨーロッパ各国で住宅不足が加速し、住宅をいかに早く大量に供給できるかが課題となりました。こうした各国共通の課題に建築家は、国家を超え科学的思考のもと解決の糸口をさぐります。これがモダニズム建築運動の始まりです。
 上野リチ・リックスの夫である上野伊三郎は1922年に渡欧し、ヨゼフ・ホフマンのもとで働きます。まさにこうした状況にあるヨーロッパに接した彼は「インターナショナル建築会」を創設します。これはヨーロッパですでに設立されていた建築家同士の国際的なネットワークであるCIAM(近代建築国際会議)や国際住居協会の日本版といえます。
 機能優位で装飾をそぎ落とすことは、建築を無個性にするかに思えます。しかし事態は逆でした。表層的な装飾ではなく、建築の形態そのものを大胆に表現していきます。これがモダニズム建築の大きな矛盾であるとして、ロバート・ヴェンチューリらによる『ラスベガスから学ぶ』(1972年)により批判されると、モダニズム建築を乗り越えようとする試みが世界で起こります。こうした建築をチャールズ・ジェンクスが『ポスト・モダニズムの建築言語』(1977年)のなかで、モダニズムの「後」(=「ポスト(Post)」)として「ポストモダン建築」と呼びました。モダニズム建築への批判から生まれた「ポストモダン建築」は、機能だけではなく、建築が発信するメッセージ性を重視しました。その際、歴史的建築のモチーフを引用したり、誇張したりすることで、建築に時代への批評性をまとわせようとしたのです。
 こうした時代を受け、1985年に京都国立近代美術館では「現代デザインの展望―ポストモダンの地平から」が開催されました。そして翌年に槇文彦の設計で、現在の京都国立近代美術館が竣工し、日本を代表するポストモダン建築と話題になりました。
 モダンとポストモダンは、時代の様式を失った近代では、揺れては返す波のようです。むしろ、この両者への評価こそその時代の写し鏡ともいえそうです。あなたは、どちらの時代がお好みですか?


近代工芸の意匠 富本憲吉《色絵飾筥》1941年

 工芸は、立体としてのそのかたちだけではなく、模様や装飾にも魅力があります。定型的な吉祥文様や花鳥風月を描くこともあれば、作品の表面をひとつの画面のように用いて、より絵画的な表現がなされることもあります。今回は、特定のモティーフを繰り返すことで全体の文様となる「くりかえしのデザイン」を展示いたします。
 近代日本を代表する陶芸家の富本憲吉は、「模様にはどうしてか繰りかへす部分が多い。これは織物の色の違ふ糸の配列を繰り返す事に起源があるらしい」と記しています。これは富本の未定稿の著作『わが陶器造り』に見られる言葉で、「材料から来る制限のために極端な単純化、分割、繰返し、添加、結合等を永年に渡つて行つて来た結果、構成的な因子を非常に多く持つてゐる」と続けています。
 「くりかえしのデザイン」を見ると、そこにはバリエーションがあることに気づくでしょう。特定のモティーフが規則性を持って繰り返し用いられるなかで、森口邦彦の作品のように、少しずつ変化し増殖して、広がってゆくものもあれば、河井寬次郎作品に描かれるように、モティーフが円形に繋がって永遠に途切れない文様になるものもあります。また、三代宮田藍堂(宏平)の作品のように、ランダムにモティーフが組み合わされる場合や、色の変化によって異なるパターンに見える場合にも、繰り返しの構成は変わりません。こうした繰り返しは、染織では型染のようにその技法に基づき、またプリントテキスタイルのように製造工程によって、必然的に生じるものもあります。
 テキスタイル・デザイナーとして知られ、デザインと空間との関りを強く意識していた粟辻博は、「パターンには語りがある。用を離れた装飾、ただアーティストの作品が語るような、受け手を射竦める強さはない。一つの形は反復されることによって曖昧になり、繰り返しは一つのリズムになって心地よさに変わる」と、繰り返しのデザインの特質を述べています。


前衛陶芸の時代 林康夫《雲》1948年

 前衛という言葉は今日ではあまり使われなくなりましたが、第二次世界大戦後の新しい時代に登場した芸術表現は、しばしば前衛という冠をつけて語られてきました。そもそも近代に入り個人作家が登場したことで、「陶芸」は陶産地と結びつきながら日本各地で特徴を持った創作活動が展開されてきました。戦前は、官展であった日展が陶芸家たちの目指す作品発表の場でしたが、戦後は芸術上の方向性の多様化に伴って大小の様々な芸術グループが結成され、前衛陶芸の主要な活動の場となっていきます。その中心地が京都(関西)です。京都では1946年に中島清を中心に八木一夫らが参加して京都陶芸界における戦後最初の新団体である青年作陶家集団が結成されます。翌年には宇野三吾や林康夫らによって四耕会が結成され、1948年には青年作陶家集団を発展的に解消して八木一夫、山田光、鈴木治らによって走泥社が結成されました。現在、工芸史(美術史)において四耕会、走泥社が特筆されるのは、それぞれのグループでの活動の中でいわゆる「オブジェ」と称される実用性を排した陶芸による造形表現が追求され、世間に認知させたことが主な理由です。その他にも、川上力三らが1958年に陶造形を中心に野外や陳列台無しでも見られる作品を作ることを目的に作陶集団マグマを結成しました。また、京都以外の団体ではモダンアート協会が、熊倉順吉や藤本能道、柳原睦夫などによる陶の造形作品の発表の場として機能していました。その後、一部を除き、様々なグループで活躍していた前衛陶芸家たちの多くは走泥社へと活動の場を移していき、走泥社は解散する1998年まで日本の陶芸界を牽引しました。ここではキュレトリアル・スタディズ「八木一夫の写真」展にあわせて当館の収蔵品の中から前衛陶芸の一側面をご紹介いたします。


香月泰男と洋画における「単純化」 香月泰男《流れ》1961年

 第二次世界大戦後の日本美術を代表する作家、香月泰男(1911-1974)。今年は彼の生誕110年にあたるため、大規模な回顧展も開催されていますが(当館所蔵の《奇術》もそちらに出品されています)、ここでは当館へ寄託されている個人蔵の作品により、彼の画業をご覧いただきます。
 香月といえば、画家になって間もない時期に召集令状を受けて満州へ出征し、戦後1年以上をシベリアの収容所で過ごしたことが知られています。戦後の彼の画業にその記憶が色濃く影を落とし続けたことは、彼自身も認める事実です。しかし同時に彼は戦争や抑留の記憶とは関係なく絵を描きたいと考えてもいたのです。
 彼が戦前の青年時代から一貫して取り組んできたのは、単純化された線と色と形による構成という課題でした。もともと梅原龍三郎(1888-1986)の画風に心惹かれて「梅龍式にかいてみる」ところから画業を始めた香月は、梅原と同じ形ではないにしても梅原と同じく、浮世絵や琳派など日本・東洋古来の美を意識し続けていました。それは単純化や抽象化による象徴性や装飾性への志向でもありました。しかし彼がそうした画境に達したのは、1950年代末から60年代にかけて、シベリア抑留の経験を主題とした一連の作品においてだったといえそうです。黄土色と黒を基調とする重厚な画面において、単純化された形と色が、シベリア経験の重みに満ちた複雑な思いに調和していると見られるからです。
 ここでは香月の作品とともに師の梅原と、その周辺で活動をともにしていた熊谷守一(1880-1977)、宇治山哲平(1910-1986)の作品も展示しています。単純化と構成をめぐるそれぞれの姿勢を感じ取っていただけることでしょう。


キュレトリアル・スタディズ15:八木一夫の写真 八木一夫《信楽にて 信楽の窯》1961年 個人蔵 八木一夫《粟田口にて》1962年 個人蔵 八木一夫《自宅にて》1963年 個人蔵

 八木一夫(1918-1979)は、1948年に前衛陶芸家集団として知られる走泥社を結成し、自身もいわゆる「オブジェ焼」を追究した戦後の日本陶芸界を牽引した陶芸家です。八木の作陶の軌跡はこれまでに1981年の「八木一夫展」、2004年の「没後二十五年 八木一夫展」を通じて紹介されてきました。後者では八木の陶芸作品以外にもブロンズやガラス、版画の作品なども展示されながら作家の表現が回顧されています。一方で八木のエッセイについても生前に『懐中の風景』(講談社、1976)が出版されるなど、多くの人々を魅了してきました。しかし今回紹介する八木が撮影した写真は2017年に菊池寛実記念智美術館で開催された「八木一夫と清水九兵衞 陶芸と彫刻のあいだで」で一部紹介されたものの、これまでにほとんど知られていなかったものです。今回、八木家に残る作品・資料の悉皆調査を行う中で、八木自身がまとめた写真アルバムが14冊、写真類が数千カット現存していることがわかりました。それらの写真は個展会場の記録として撮られたものも含まれますが、多くは1960年代前半から中頃にかけて散歩や旅行で目にした事物が対象となっています。八木の写真について、当時の新聞記事には「八木は町を歩きながら、心をひく風景や形があると、ポケットから小型カメラをとりだしてパチパチ。くずれた土べい、壁のシミ模様、工事現場のアナなど、アルバムがもう十冊を超えた」とあります。八木家に残されていた膨大な数の写真からは、陶芸家としての経験に基づく、事物への好奇心、対象に向けた優しさやユーモア、諧謔味あふれる八木のまなざしをはっきりと感じることができます。本展では100点の八木の写真を通じて作家の知られざる一面をご紹介いたします。


会期 2021年11月11日(木)~2022年1月16日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
生誕150年・没後90年 都路華香
モダン ⇄ ポストモダン 揺れ動く建築と建築家
近代工芸の意匠
前衛陶芸の時代
香月泰男と洋画における「単純化」
キュレトリアル・スタディズ15:八木一夫の写真
常設屋外彫刻

展示リスト 2021年度 第4回コレクション展(PDF 759KB)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前9時30分~午後5時
※ただし金、土曜日は午後8時まで開館
※いずれも入館は閉館の30分前まで
※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生、18歳未満、65歳以上:無料
※( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
※チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。

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コレクション展無料観覧日 11月13日(土)、11月14日(日)
※都合により変更する場合がございます。

展示リスト 2021年度 第4回コレクション展(PDF 759KB)

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