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コレクション展

2021年度 第1回コレクション展

2021.03.23 tue. - 06.20 sun.

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西洋近代美術作品選

 当館所蔵・寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は「胸像」をテーマに作品を選びました。「胸像」とは、人物の頭部および胸部をふくむ身体上部を表した彫刻または絵画で、古くはエジプト新王国時代の死者の胸像の作例があります。特にローマ時代には、現在でもルーヴル美術館などで見られるように、皇帝や共和制の行政官などの記念的胸像が数多く作られました。中世に一旦衰微するものの、胸像(画)制作はルネサンス時代に再び活性化し、その後西洋美術において最も古典的でアカデミックな人物表現の一形式とされてきました。この伝統的胸像におけるモデルは、歴史や当時の社会における重要人物であり、そこで優先されるべきは、その人物の社会的特性の正確な描写であって、その人物の外見的特徴の精緻な再現ではありませんでした。しかし19世紀以降、「人間」についての各種学問領域の発展を背景に、胸像のモデルが市民階級へと拡がり、それに伴って「肖似性」が求められるようになりました。その端的な事例を、制作に写真を参照していたと伝わる、新古典主義絵画の巨匠アングルの作品に見てとることができます。20世紀になると、モデルの外見的特徴だけではなく、内面性の描写へも強い関心が向けられますが、その表現方法模索の過程において、芸術家自身の個性の表出が再現性以上に重視されることになります。この変化は、20世紀の画家たち、たとえばゴッホやピカソによる胸像画を見ると、モデルよりも作者の名をまず思い浮かべる、という私たちの経験に明らかです。
 マイヨール自身が「想像上の詩的な胸像」と呼ぶ《ヴィーナスの胸像》を除き、ここで紹介する絵画作品の制作過程には具体的なモデルがいたはずです。しかしいずれにも、当時の恋人の名前をタイトルにもつモディリアーニ作品にすら、画面にモデルを特定できる明確な情報は描かれていません。私たちが見てとるのは、例えばルノワールの作品においては、帽子の薔薇と明るい朱色の服と輝く肌、それに反するアンニュイな視線が表現する若さと生命力です。モディリアーニの作品では、セザンヌや原始彫刻などのプリミティヴィズムから影響を受け、彫刻制作を経て、イタリアの古典的作品を参照して築いた独自の造形に、キスリングの作品では、薄い透明性の絵具を何層にも塗り重ねる古典的手法から得られた色彩の深い輝きと明快なコントラストに、つまり両作品では絵画における構成や色彩の実験に目を奪われます。唯一、《パリジェンヌ》という別称をもつヴァン・ドンゲンの作品のみが、まっすぐ正面を見つめる力強い眼差しと豪奢な衣服・装飾品によって、誰かは特定できないまでも、モデルが社会的ステータスの高い自立した女性であることを伝えています。


ひとを描く ―日本画にみる人物表現― 橋本関雪《郭巨図》1919年(展示期間:3月23日~5月9日) 三木翠山《維新の花》1940年(展示期間:5月11日~6月13日)

 一口に人物画と言っても描く対象はさまざまです。仏教上の人物を描いた仏画、特定の人物を描いた肖像画、また説話や物語の一場面を描いた絵画にも人物が登場します。江戸時代に浮世絵が登場すると、舞妓や芸妓など女性の姿を描いた美人画も盛んに描かれるようになり、明治時代以降にも引き継がれるジャンルとなりました。さらに、庶民の生活にも目が向けられ、労働者や母子像など身近な人々をテーマにした作品も数多く描かれました。
 表現方法においても、水墨のみで描かれたものから、やまと絵風のもの、琳派風のもの、西洋絵画の影響を受けたものなど多岐にわたっています。特に京都では、江戸時代に円山応挙が登場したことにより、人体を意識した人物画が描かれるようになりました。杉田玄白らによって『解体新書』が刊行されたように、蘭学において腑分け(解剖)が行われ、人体について科学的な見地から理解できるようになったのもこの時代のことでした。応挙はこうした状況を背景にして、実在感の伴った人物画を生み出しました。近代以降の画家たちは、応挙由来の写実の伝統や欧米の動向にも目を向けつつ、独自の表現を模索しました。大正ロマンを代表する竹下夢二が描いた「夢二式美人」や、人体の痕跡を用いた星野眞吾の人拓の手法は、独創的な作品の代表例と言えます。日本画の画材やマチエールを活かし、日本画にしか出せない味わいのある人物画を描くため、作家たちは日々研鑽を積みました。


体当たりの美術―アーティストと身体― 森村泰昌《私の妹のために/シンディー・シャーマンに捧ぐ》1998年

 現在企画展を開催中のピピロッティ・リストの初期の映像作品では、作家本人がまさに体をはって創作に挑む姿がみられます。ここに紹介するアーティストの多くも、自らの身体を投げ出し、作品の中に取り込むことで表現の手法としてきました。
 リトアニア出身のジョージ・マチューナスを中心とする前衛芸術家集団「フルクサス」は、1960年代ニューヨークやドイツを拠点に美術や音楽など領域を超えたアーティストが集まり、コンサートやパフォーマンスなどのイヴェントを展開しました。日本人ではオノ・ヨーコや久保田成子、靉嘔、一柳慧、塩見允枝子、斉藤陽子らが参加し、国際的なネットワークが形成されました。その主導的立場にあったのが、デュシャンの追随者で偶然性にもとづく創作「チャンス・オペレーション」を提唱したジョン・ケージでした。晩年のケージは、アメリカに移住した日本人作家の大倉侍郎との交流を深め、ワークショップなどを通じて彼の思想は日本でも紹介されました。
 草間彌生は1960年代ニューヨークで、全裸のモデルに水玉を描くパフォーマンスや、網目模様が集積した絵画、ソフトスカルプチュアと呼ばれる立体作品などを発表しました。ソフトスカルプチュアの代表作《トラヴェリング・ライフ》では、男性のファルスのような形をした突起物が脚立を覆い尽くし、草間の強迫観念を象徴しています。
 吉原治良を中心とする芸術家グループ「具体」に参加した田中敦子は、9色の塗料で彩色された約200個の管球・電球から成る《電気服》に身を包んだパフォーマンスを行い、電気服から着想を得た絵画シリーズを生涯にわたり描き続けました。大きな画面には、光のエネルギーを色彩と形へと変換していくプロセスを描き出す、田中自身の創作の身ぶりが残されています。
 一方、絵画と同様に写真というメディアにとっても自分自身は格好の被写体となりました。現代美術家の森村泰昌、澤田知子、リサ・アン・アワーバックは化粧や服装を駆使して変装することで、自らのアイデンティティやジェンダーをも操ります。


世界の工芸

 古今東西で様々に発達してきた工芸は、広義には、生活を作り上げるうえでの人間活動であるといえます。というのも、もともと「工芸」の中には、衣服や食器などの生活用具など通常私たちが頭に思い描くもの以外に、造園や農業や鉱業などまでも含められる場合があったからです。つまり、人工的な造形物や自然の営みに人工的に参画することを総合して工芸であると考えていたことになります。このような人間活動には、当然、精神性や装飾性、身体と関わるものごとも含まれており、時代や地域、文化の違いや求められる役割の違いによって、それらは多様な表れをみせてくれます。
 近代以降は、このような広義の「工芸」に対する概念がそのまま継続するのではなく、工業の発達や美術という視覚を中心とした造形行為がジャンルとして成立することで、工芸家は工業と手仕事、美術と工芸など、工芸を客観的・自覚的に捉えなおす必要に迫られました。そして各国、各地域の制度的、文化的土壌による差異や他者との出会いを通じて、世界各国で様々な美術・工芸運動が起こり、その中で作者は創作性を発揮してきました。
 本コーナーで展示している作品は、欧米の作家たちによるものです。当館では1963年の開館以降、折に触れて、海外の美術や工芸の動向を意識的に紹介してきました。冒頭で、工芸を「生活を作り上げるうえでの人間活動である」と述べました。こうした作品たちは、時代の中で作り上げられてきた文化や文明を基盤として、作家個々の感性を介して素材や技術、ものを作るという行為などを読み直すところから生まれたものであり、人々が生活を営んできたことの象徴であるということができます。


川勝コレクション 河井寛次郎作品選 河井寬次郎《呉須蓋付陶硯》1936年頃

 川勝コレクションは、昭和12年(1937)のパリ万国博覧会グランプリ作品を含む、質、量ともに最も充実した河井寬次郎作品のパブリック・コレクションです。
 川勝コレクションが当館に寄贈されたのは、昭和43年(1968)のことです。当館への寄贈にあたっては、部屋一面に並べられた膨大な作品群の中から「お好みのものを何点でも」との川勝の申し出に従って415点が選ばれました。それ以前にすでに寄贈されていた3点と、初期作品が不足しているとのことで後に追加となった7点を加えて、計425点に上ります。このコレクションは、中国陶磁を手本とした初期から、民藝運動に参画後の最晩年にいたるまでの河井の代表的な作品を網羅しており、その仕事の全貌を物語る「年代作品字引」となっています。コレクションを形成した故・川勝堅一氏は、髙島屋東京支店の宣伝部長、髙島屋の総支配人、横浜髙島屋専務取締役などを務め、また、商工省工芸審査委員を歴任するなど、工芸デザイン育成にも尽力しました。
 河井と川勝の長年にわたる交友は、大正10年(1921)に髙島屋で開催した河井の第1回創作陶磁展の打ち合わせのために上京した河井を川勝が駅まで迎えに行ったことに始まります。そこでたちまち意気投合したことで、川勝は河井作品の蒐集を始めます。コレクションについて川勝は「これは、川勝だけの好きこのみだけでもなく、時として、河井自らが川勝コレクションのために作り、また、選んだものも数多いのである」と回想し、さらに「河井・川勝二人の友情の結晶」だとも述べています。


日本の外光派 太田喜二郎と大久保作次郎を中心に 太田喜二郎《水辺の街》1911-12年頃

 京都生まれの画家、太田喜二郎(1883-1951)は今年で没後70年です。また、大阪生まれの画家、大久保作次郎(1890-1973)は昨年で生誕130年でした。
 特に深い関係があったわけでもない両名ですが、黒田清輝の教え子で、日本における外光派であるという共通点があります。
 外光派とは、戸外で風景等を写生して自然の光を明るい色調で表現する画家たちのことです。印象派もその一つですが、印象派の影響を受けた画家たちも外光派と呼ばれます。外光派が登場する前までの西洋絵画では、屋外で写生したあとそれを参考にして屋内のアトリエで制作するのが普通の流儀で、自然の光の明るさをそのまま表現しようとすることはなかったわけですが、19世紀、欧州諸地域における戸外制作を試みる画家たちの出現、特に印象派の誕生とともに、色彩表現が一新されるに至りました。
 これを日本へ紹介したのが黒田清輝で、自ら結成した美術団体「白馬会」と、教授をつとめた東京美術学校を通じてそのスタイルを普及させました。やがてそれは日本の洋画壇におけるアカデミズムとなり、そうなると今度はポスト印象派の影響を受けてそれを乗り越えようとする者や、それを日本画風に改良しようとする者なども出てきました。太田と大久保は、欧州に留学してあらためて印象派の点描技法を学び直しながら、穏健な光の表現を追求し続けた画家たちだったといえます。
 この展示では、当館コレクションと当館寄託作品の中から、彼ら二人の作品とともに、同時代の外光派の画家たちによる作品もご覧いただきます。


パンリアル美術協会前史:歴程美術協会 ―山崎 隆と山岡良文を中心に― 山岡良文《シュパンヌンク》1938年

 昨年4月にパンリアル美術協会が解散したことを受け、昨秋、緊急特集展示を開催したところですが、それ以前に、たまたま「歴程美術協会からパンリアル、パンリアル美術協会へ」という特集展示を計画していました。今特集は、その計画を、歴程美術協会、なかでも山崎隆と山岡良文に焦点を当て、パンリアル美術協会前史として組み直したものです。
 昭和初期から10年代にかけて、日本では沢山の美術研究団体が創設されその展覧会が開催されていました。日本画界も例外ではなく、官展や院展、青龍社展等の既存団体に属しながらも、そこに飽き足らない若手画家達が離合集散を繰り返しています。昭和13(1938)年に結成された歴程美術協会(歴程)も、そのような団体の一つでした。瀧口修造の命名による歴程は、長谷川三郎や村井正誠等を擁する洋画の団体自由美術家協会にも所属していた山岡良文や船田玉樹等が結成したものです。その初期の作品は抽象やシュルレアリスム、バウハウスといったヨーロッパ・アヴァンギャルドからの影響がみられ、技法面でも従来の日本画には見られないフロッタージュやデカルコマニー、画面へのヤスリがけ、岩彩の吹き付けなどに、実験と称して果敢に取り組みました。また、14年の第1回試作展では写真作品が出品され、公募展となって2回目となる15年の第3回展では募集内容を「絵画(和・洋)」「コラーヂュ」「立体」「写真」の4ジャンルに、それ以降もポスターなどの商業美術、室内装飾、陶芸、金工、染織、安達流の盛花をも加え、「綜合芸術運動」を目指しました。しかし、戦争の激化に伴い第8回展を開催した翌18年、美術新協、明朗美術連盟と統合されて日本作家協会となり、その第1回展をもって一旦活動を終息することとなります。
 歴程では、船田らが去った第2回展開催後は、東京の山岡良文が実質的なリーダーで、彼が中退したとは言え、京都市立絵画専門学校(絵専)に在籍したことがあったことから、同校の後輩が参加していました。その中でも日華事変に応召し負傷、帰国後の第1回試作展から参加した山崎隆は、京都側の中心人物と言ってよい存在です。彼は21年に復員すると、絵専の後輩でその才能を買っていた三上誠を誘い、東京の山岡良文と共に歴程を再建しようとするも挫折。京都側だけで新しい団体を結成するべく、絵専の有望な若手である星野眞吾、不動茂弥、田中進(竜児)、佐藤勝彦を誘い、さらに家が近所同士で、歴程の第6回展以降にも参加していた八木一夫(虚平)、その仲間の鈴木治、さらに絵専で日本画科に在籍しながら洋画を描いていた青山政吉を加えてパンリアルを結成、昭和23年に第1回展を京都で開催しました。その2ヵ月後、陶芸家の団体走泥社を結成した八木と鈴木が脱退、青山も去就に迷いを持っていたことから、パンリアルは、日本画の団体パンリアル美術協会として再出発、「美術文化協会」の福沢一郎、小牧源太郎等の応援も得、24年5月第1回展を開催しました。同時代の洋画家達と交流を持つ、在野の革新的な日本画前衛集団としての歴程美術協会のDNAを受け継いだ同協会が、33年山崎の退会後も活動を続け、昨年4月に解散したことは冒頭にも書いた通りです。なお、歴程第8回展に出品された《続戦地の印象(其五)》は第1回のパンリアル美術協会展に《風景》というタイトルで再出品された作品で、山崎にとって、歴程とパンリアルが一続きのものであったことを証明しています。


会期 2021年3月23日(水)~6月13日(日)
2021年3月23日(水)~6月20日(日)
※2021年4月25日(日)~5月11日(火)臨時休館
[前期]
3月23日(火)~5月9日(日)
[後期]
5月11日(火)~6月13日(日)
5月11日(火)~6月20日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
ひとを描く ―日本画にみる人物表現―
体当たりの美術―アーティストと身体―
世界の工芸
川勝コレクション 河井寛次郎作品選
日本の外光派 太田喜二郎と大久保作次郎を中心に
パンリアル美術協会前史:歴程美術協会 ―山崎 隆と山岡良文を中心に―
常設屋外彫刻

展示リスト 2021年度 第1回コレクション展 (計168点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前9時30分~午後5時
(6月1日(火)から午前9時30分~午後6時)
金、土曜日は午後8時まで開館
※ただし、6月20日(日)は午後5時まで
*いずれも入館は閉館の30分前まで
*新型コロナウィルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*本券ではコレクション・ギャラリーのみご観覧いただけます。企画展はご観覧いただけませんので、ご注意ください。

コレクション展無料観覧日 2021年3月27日、4月3日、5月18日
*都合により変更する場合があります。

コレクション展夜間割引 夜間開館日の午後5時以降、コレクション展観覧料の夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
*午後5時以降に観覧券をご購入、入場されるお客様に割引を実施します。
*観覧券のご購入、入場は閉館の30分前まで。

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音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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